父の食事の世話、なかなか進まない剪定作業、一番嫌いな果樹園の消毒をしなければならないこと、母とも波長がうまく合わずイライラ、自分の生活が消え、料理を自分の家で作ることがなくなり、食生活も変化して、いきなり変わった日常に、めまいがして倒れたことも。
ヨガのクラスもお休みをして皆さんにご迷惑おかけしているのも気掛かりでした。
そんな日々の中
ベットに寝たきりの父が「黄金が出た。」と真面目にうんちが出たことを伝える言葉に、母と大笑いしたり、「(点滴を)つ・な・が・な・い・で」と可愛くお願いされたとか、「お父さんは今日も『歩いて俺は便所に行ってくる』と足をベッドから投げ出してる」と母がオムツ交換から手を拭きながら報告してきたり、
手術をしてからフィルターが取れたような父の面白い言動を、母と報告しあうことで笑いが起こり、それは殺伐とした日々を上手く乗りこなすエネルギーとなりました。
歩くことも立つことも座ることもできない父が、SS(消毒の車)を動かす私を心配して、「まだ帰ってこないのか、無事に動かせているか見てこい」と偵察にいかせようとした、と伝える母の言葉に、おむつをしていても、どこまでも親である気持ちににほろりとしたことも。
母とはお互い助け合う存在です。
農作業は、82歳の母がいなければ分からないことだらけですし、父の介護も母のサポートがなければ成り立たちません。
でも高齢で体を動かしにくい母の一生懸命の努力が、かえってイラつきの原因になり、親だから出る感情なのだろうけど、お互い心でぶつかり合っているような嫌な気分になることもあります。
そんな、気分がとても悪いある時、母の一生懸命にふと「ありがとう」と伝えた時、自分の気持ちがすーっと楽になりました。
潤滑油を得たようにお互いの心がぶつからなく、かえって母の気持ちを思いやることができました。
こんな簡単なことだったのだ、と気が付いたのですが、私にとって母があまりに近すぎてなかなか素直には言えない言葉です。
でも父が倒れた事で、60歳近くなってからぶつかり合う母に、ひとりの人間としての母を知ることができた気がします。
父の病気は
身の回りの人々の温かさも、家族に病気の人がいることの大変さも、病気の人の心の葛藤も、家族の気持ちが時に一つになる心強さも、人の終末の心の動きも、何もなければ知ることがなかったことばかり教えてくれました。
そんなことを感じながら、生徒さんたちも自身の生活の中で、さまざまな経験されて日々過ごしているのだなと思い、偉そうに知っていることを鼻高々に話していた自分が、とても恥ずかしいくなりました。
経験をするということは宝ですね。
取り留めのないことたくさん書いてしまいました。
7月すぎたら、またヨガのクラスが再開できることを願って、日々努力します。
私も身体がバキバキとしてます。
こんな感覚をみんな感じていたのだなと思いながら
日々のどこか空いた時間、身体を呼吸とともに動かして空気を体に通しています。
久しぶりの美容院で、わー肩柔らかいですね!とびっくりされて嬉しかったこと自慢したいです。
柔らかい土にハマってしまったマリオカートの草刈機。
困り果てている私に、父が「SS(消毒の車)で引っ張り出せば良い」とベットから母に伝えてくれた。オムツしていても頼りになる父である