雪組公演に轟悠さんが主演されることに思うこと【閲覧ご注意】(追記しました。) | 45分で夢の世界へ

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宝塚歌劇や旅行について語ります。

昨日雪組公演の初日でした。

 

 ネットで拾う、演者のパフォーマンス、お芝居の雰囲気。

 「轟さんに関しては18年前の主演再び!」ということばかりで肝心の中身はほとんど触れられていません。今さらカッコイイ!だけでもないでしょう。

 トップコンビはじめ、雪組生の頑張りへの拍手。それだけは共通のもののようです。

 

 この公演の意義、何のために?今となっては楽しむしかない…。それはそうでしょうが、こうなることは半ば予見できたことです。どうして工夫しなかったのか。ほんとうにこのまま最後まで続けるのですか?

 

 切符は売れているはずなのに赤いシートが沢山見える。特に2階はそうなるでしょう。付き合わされているのは誰なのでしょう。

 

 今の雪組生(どこの組にとっても)には、(大劇場では)枠の小さすぎるお芝居なのだと思います。

 

 せめてショーで発散してください。雪組生も、観客も。

 

 

 

~以下昨年10月の記事です。~

 

本日出ました。公式ホームページのニュースです。


2018年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、【宝塚大劇場】【東京宝塚劇場】の上演作品が決定しましたのでお知らせいたします。   


雪組公演

◆宝塚大劇場:2018年6月8日(金)~7月9日(月)
 一般前売:2018年5月5日(土)
◆東京宝塚劇場:2018年7月27日(金)~9月2日(日)
 一般前売:2018年6月24日(日)

ミュージカル・プレイ
『凱旋門』-エリッヒ・マリア・レマルクの小説による-
 脚本/柴田 侑宏 演出・振付/謝 珠栄
■主演・・・(専科)轟 悠、(雪組)望海 風斗、真彩 希帆

 祖国を追われた亡命者たちが集う、第二次世界大戦前夜のパリ。ドイツから亡命してきた外科医ラヴィックは、友人ボリスに助けられながら、あてどなく仇敵を捜すだけの失意の日々の中で鮮烈な恋を見出す……。ラヴィックにとって生きる希望となるジョアンとの恋を軸に、過酷な運命に翻弄されながらも懸命に生きる人々の姿を、シャンソンをモチーフにした音楽を絡めて描き上げた作品。2000年に雪組で初演、主演を務めた轟悠が文化庁芸術祭賞演劇部門優秀賞を受賞するなど、絶賛を博した傑作ミュージカルの待望の再演となる。

ショー・パッショナブル
『Gato Bonito!!』~ガート・ボニート、美しい猫のような男~
 作・演出/藤井 大介
■主演・・・(雪組)望海 風斗、真彩 希帆

ポルトガル語で“美しい猫”を意味する“Gato Bonito”。クールで気まぐれな性質、気品溢れるしなやかな身のこなしなど、猫からイメージされる姿を望海風斗率いる個性豊かな雪組生達に重ね合わせ、バラエティ豊かな場面で構成する華やかでドラマティックなラテン・ショー。宝塚歌劇ならではの、ゴージャスで熱い夢の世界をお楽しみ下さい。

 

 

 以下は小生の個人的意見です。轟さんファンの方々はじめ、多くの方に不快感をお与えすることになるかもしれません。

 この点ご承知の上、ご自身のご責任で読み進めて頂きますよう、よろしくお願いいたします。

 


 また轟理事の主演公演ですか?劇団はファンのニーズをどう考えているんでしょうか…。

 

 「轟悠さんの主演するお芝居をご覧になりたいファンは、そんなにたくさんいらっしゃるのですか?」


 名作の再演はいいかもしれません。でも轟さんが主演である必要がホントウにあるのでしょうか。だいもん(望海風斗)ときいちゃん(真彩希帆)のトップコンビで十分できるでしょ。できませんか?(もちろん他の演目の方がもっと似合うでしょうが。)


 2000年の時点の轟さんがおできになったお役を、現時点の実力派トップスターであるだいもんにできないはずがないと思います。雰囲気も合わないことはないでしょう。

 ましてや主演娘役は、轟さんが主演であっても代わらずきいちゃんです。

 

 「どちらの方が自然で『宝塚らしい』お芝居が期待できると思いますか?」


 宝塚の舞台は伝統芸能ではありません。歌舞伎や能なら、伝統的な様式美を追究するのもありでしょうし、その時大名跡の「枯れた芸」に感動するのもよくわかります。しかしそれは連綿と続く「血脈」や「芸の系統」に重きを置く伝統芸能であればこそです。

(追記です。

 宝塚歌劇は100年を越す伝統があり、素晴らしい芸が、連綿と引き継がれ、これが基礎になって、今も観客を魅了しているのはわかっております。

 ただ同時に、宝塚歌劇は同時代性の高い芸能であって、旬の美しい女性が、その素晴らしい芸をもって創る「美味しいとこどりの」舞台で、観客を夢の世界に連れていってくれることに特長があると思っています。

 長い歴史を経て、同じ演者さんが、ずっと舞台の中央に立って演じても違和感ないように洗練され、むしろその演者の芸がすべての観客に期待されている芸能=伝統芸能、とは違うと考えています。

 伝統芸能の同時代性などにふれず、それだけに押し込めるつもりはないのですが、いつまでも同じ方が真ん中に立たれるのは、小生としては宝塚的でないと考えており、このように書いています。)

 

 轟さんも初演のときは、トップとして役と向き合い、ご自分なりの演じ方を創られて主演されたのではないでしょうか。

 それは美しい旬の女性が、その時にこそ持っている「タカラヅカ的最高の状態」を捧げて作り上げた舞台であったはずです。であったからこそ賞をとられたのではないでしょうか。

 劇団はむしろだいもんや今のトップスターさんたちにそれを目指させるべきなのではないでしょうか…。

 

 「今ホントウに大劇場の主演が似合うのは轟さんなのですか?」


 小生の妄言かもしれませんが、

「『宝塚の公演』としては、ずっと前にに主演された方が、17年後同じ役で改めて同じように主演されるというのはありえない。」と思います。

 博多座の公演とて、理事いらっしゃらなければできなかったとは、小生は思いません。

 

 もちろん轟さんが、初演時と同じレベルのパフォーマンスを発揮することがおできになるというのならそんなことは申しません。

 「磨きぬいた男役芸が、お歌や踊りのパフォーマンスの衰えを補って余りある。」などとおっしゃらないで頂きたいです。轟さんの男役芸は初演時でもう完成の域であったはずです。

 

 「宝塚は伝統芸能ではありません。」


 もちろん轟さんの舞台をご覧になりたいファンもいらっしゃるでしょう。それに応えるのであれば、主演はだいもんとして役替わりで何度か轟さんが主演されればいいと思います。組子さんたちは充分対応できると思いますし、ニーズも満たすことができるのではないでしょうか。