神のはしため ルイザ・ピッカレータ
神のみ旨の小さな娘
第2巻より
1899年5月7日
行動における意志の純粋さ。
日中、黙想をしていると、イエスが私の近くにいてくださり、こう言われました。
「私の身体は、魂が行なうすべての行為によって、衣服のように包まれています。そして、彼らがより純粋な意志と愛の強さを持てば持つほど、彼らは私により多くの輝きを与え、私は彼らにさらなる栄光を与えます。裁きの日に、私はそれらを全世界に示し、私の子供たちがいかに私を敬い、私がいかに彼らに敬意をはらったかを全世界に知らせよう。」
さらに苦しげな雰囲気を漂わせながらこう付け加えました。
「娘よ、たとえ良いものであっても、純粋な意志なしに習慣的に私利私欲のために行われた多くの行いはどうなるのでしょう? 裁きの日に、それ自体は善良であっても、その意志によって腐敗させられた多くの行いを目の当たりにして、その行為そのものが他の多くの人々にとってそうであったように、彼らに名誉を与えるどころか、彼らに恥を与えることにならないでしょうか。実際、私は行いの素晴らしさではなく、それがどのような意志で行われているかを見ています。ここに私のすべての関心あるのです。」
イエスはしばらくの間黙っておられ、私は心の中で黙想している間に、イエスが私に語られた言葉、特に意志の純粋さについて、また、被造物が善を行なうとき、被造物は消え去り、被造物が存在しないかのように、被造物を主ご自身と同一化させなければならないという事実について考え続けました。
イエスは続けて言われました。
「しかし、そうなのです。ほら、私の心はとても大きいのに、その扉はとても狭い。この心の空白を埋めることができるのは、無執着で、純粋で、単純な魂だけです。実際、見ての通り扉は小さいので、ほんのわずかな支障、つまり、執着の影、正しくない意図、私を喜ばせる目的なしに行われた働きは、私の心を喜ばせるために入ってくることができません。多くの隣人愛が私の心に入ってきますが、それは私の心と一つになって、一方が他方と区別できないような形で、一つの愛を形成するものでなければなりません。しかし、私の愛に変えられない隣人愛については、私はそれを私に属するものとはみなさないでしょう。」
みなさんに神様の祝福がありますように
■ ヨハナ通信 ■
「天国の書」第二巻
すでに世の中に出回っている本があるので
そちらの訳とは比べないでくださいね
こんな程度でご覧くだされば幸いです。
ある程度短い章がたまると一つにまとめて
「それゆけだんごむし!」のブログの方で
アメンバーにて公開しています。(第2巻)
(※まとめたものは順次消しています。)
(一応世の中に広く出回っている本だし、中古で手に入らなくものないので)
第5巻以降(順次更新中)は普通に読めるようにしていますのでご覧くださいね。
「天国の書」とは日本で発行されている「被造界の中の神の王国」のことです。
日本では4巻まで発行されています。
外国のサイトで全36巻読むことが出来ますので、ヨハナの翻訳を待っているのが面倒な方は、そちらを検索してみてくださいね(*'ω'*)☘
こちらになります↓