⑩天国の書についての考察 | かもめのヨハナ☆バラの花冠(*'ω'*)☆彡

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~マリアを通してマリアの内にそしてマリアと共に~
マリア様をこよなく愛するカトリック信者の自己満足のブログです。

 

天国の書についての考察

 

⑩天国の書の題名について

ルイーザは十字架上で生きているイエスを見る

 

私たちの主イエス・キリストから

神のはしため、ルイザ・ピッカレータ

(神の意志の小さな娘)へ

 

 

第19巻より    

 

第19巻

1926年8月27日

イエスはご意志についての書にタイトルを与える。

私がいつもの状態でいると、常に愛すべきイエスが愛すべき神のご意志に関する本の印刷に専念しなければならない敬虔な司祭に会わせてくださいました。そしてイエスは彼の近くに身を置いて言われました。

 

「息子よ、あなたが私の意志について印刷する本につけるタイトルはこうです。『被造物の中にある私の神聖な意志の王国。天国の書。被造物が神によって創造された秩序、居場所、目的への呼びかけ。』つまり、タイトルも私の意志の偉大な仕事に対応するようにしたいのです。私は被造物に、神によって与えられた自分の居場所が私の意志の中にあり、私の意志の中に入るまでは、居場所も秩序も目的もないことを理解してほしいのです。被造物は創造物への侵入者であり、何の権利も持たず、それゆえ、平和なく、相続もなく、さまよいます。そして私は被造物への同情に動かされ、絶えず被造物に叫びます。『自分の居場所に戻り、秩序に戻り、あなたの遺産を受け継ぐために、つまり自分の家に住むために来なさい。なぜよその国の家に住みたいのですか?なぜ自分のものでもない土地を占拠したいのですか?そしてそれはあなたのものではないので、あなたは不幸に生き、すべての創造物のしもべとなり、笑いものとなるでしょう。私が創造したすべてのものは、その場所にとどまっているので、秩序正しく、完全に調和し、神によって与えられたすべての宝をもっています。あなただけが自分から不幸になりたいと思っています。それゆえ、あなたの居場所に来なさい。そこで私はあなたを呼び、あなたを待っています。』それゆえ、私の意志を広めようとする者は、私の代弁者となるとともに、私は彼らに王国の秘密を託すでしょう。」

 

そしてこの後神は被造物全体を示し、どうやってすべての被造物が神によって望まれたその場所にとどまり、それゆえに完全な秩序と完全な調和を保っていることを示されました。そしてそれらがその場所にとどまっているからこそ、至高の意志は、それらの存在を完全で美しく、新鮮で常に新しいものにします。そして秩序は、すべての人間に共通の幸福と普遍的な力をもたらします。すべての創造物の秩序と調和を見るのはなんと美しいのでしょう!

 

そしてイエスは話を再開し、こう付け加えられました。

 

「娘よ、私たちの業はなんと美しいことでしょう。それらは私たちの名誉であり、永遠の栄光です。それらはすべてその場所にとどまり、そして創造されたものはそれぞれの役割を完璧に果たしています。人間だけが私たちの創造的な業において、私たちの不名誉となりました。なぜなら私たちの意志から離れることで、彼らは逆さまになり、頭を大地につけ、足を空に上げて歩くからです。

 

なんという無秩序!なんという無秩序でしょう!

人間を見るとうんざりします。

人間は頭を逆さまにして歩くことで大地を這い回り、すっかり混乱し、自らを変えてしまいました。

人間の視力は必要な視野に欠けています。

人間は物事を知るために空間を動き回ることも出来ないし、敵が肩の後ろにいる場合にも身を守ることも出来ないし、遠くまで行くこともできません。なぜなら、かわいそうなことに、人間は歩く代わりに頭で体を引きずらなければならないからです。なぜなら歩くと言う仕事は足の役割で、頭の役割は主導することだからです。つまり、自分の意志を行なうことは、人間の真の完全な転倒であり、人類全体の無秩序なのです。だからこそ私は私の意志が知られることを強く望むのです。そうすれば人間が自分の居場所に戻り、頭を逆さまにして引きずるのではなく、自分の足で歩き、元の場所に戻ることができます。もはや私の不名誉と人間の不名誉を形成するのではなく、私の名誉と人間の名誉を形成するのです。

 

御覧なさい。

生き物たちが地面を頭につけて歩く姿を見て、醜く見えませんか?あなたも彼らの無秩序な姿を見て気の毒に思いませんか?」

 

見ると、頭は下に、足は中に浮いているのが見えました。イエスは姿を消し、私は全人類の数世紀に渡る醜い光景を見つめ続けました。そして主のご意志が知られるように心から祈りました。

 

      

 

 

第19巻

1926年8月29日

至高の意志だけが真の善の本質を有している。

イエスの最も聖なる意志についての書物に与えられる題名の祝福。

 

私の貧しい心は、常に永遠の意志という至高の中心に戻ります。そして時々、私が他のことを考えてもイエスご自身がご自分のことを語り、彼の最も聖なるご意志の果てしない海を渡るように私の注意を促してくださいます。それで、私が他のことを考えているとき、私の優しいイエスは嫉妬して、私を抱きしめて言われました。

 

「娘よ、いつも私の意志の中であなたを望んでいます。なぜならその中に善の本質があるからです。善に決して終わりはなく、始まりも終わりもないとき、初めてそれは真の善と呼ぶことができます。始まりと終わりがあるときは、善は苦味、恐怖、不安、そして幻滅に満ちています。これらすべてが善そのものを不幸にし、多くの場合、人は富から不幸、幸運から不運、健康から病気へと簡単に転げ落ちます。なぜなら、始まりのあるすべてのものは、不安定で、はかなく、短命で、結局は無に帰るからです。真の善の本質を持つのは私の至高の意志です。なぜならそれには始まりも終わりもなく、それゆえにその善は常に満ち、常に安定しており、いかなる変化も受けないからです。だからこそ魂が至高の意志に入るすべてのもの、つまり、最も聖なる意志の中で形成される魂の行為のすべてが、真の善の本質を獲得するのです。なぜならそれらは、永遠で計り知れない価値を含む、安定した不動の意志の中で行われるからです。ですから、あなたの愛、あなたの祈り、あなたの感謝、そしてあなたができるうるすべてのことは、決して終わることのない永遠の始まりの中でその場所を取り、それゆえ善の本質を豊かに獲得します。ですから、あなたの祈り、あなた自身があなたの祈りの実りと効果がどこまで広がるかを理解できないような方法で、完全な価値と完全な実りを得るのです。それは永遠を巡り、すべての人に自分自身を与え、同時にその効果において常に満たされています。あなたの愛は、真の愛の本質、つまりそのゆるぎない愛は、決して失敗することなく、決して終わらず、すべてを愛し、すべてに自分自身を捧げ、真の愛の本質である善の充満とともに常にとどまります。そして残りのすべてのものについても同様です。私の意志の中に入るすべてのものにたいして、私の意志の創造的な力は、私の性質を伝え、それを私自身の行為に変えます。というのも、私の中に私と異なる行為を持つことを容認しないからです。それゆえ、私の意志によって行われる被造物の行為は、神の不可知な道に入り込むのであり、その無数の効果のすべてを知ることは誰にもできません。 始まりも終わりもないものは、始まりのある被造物には理解できません。なぜなら、始まりのない行為の力が被造物には欠けているので、すべての神聖なもの、そして私の意志に入るすべてのものは、それ自体を不可解で理解することの出来ないものにしてしまうからです。 私の意志で行動する大いなる善をごらんなさい。その被造物をどれほどの高みにへと引き上げるでしょう。魂が創造主の胎内から生み出されたように、魂は善の本質を取り戻します。 一方、私の意志の外で行われることは、それがたとえ善であったとしても、真の善とは呼べません。なぜなら神聖な滋養とその光が欠けており、これらの行いは私の行いとは異質であり、魂から神の姿の類似性を取り去ってしまうからです。実際、魂を私に似せて成長させるのは私の意志だけです。いったん私の意志が取り除かれれば、最善のもの、人間の営みの最大の価値が取り除かれます。それゆえそれらは中身も生命も価値も空っぽの働きであり、実のない植物、実のない食べ物、命のない彫像、報いのない働きのようなもので、最も強い者の手足を疲れさせます。ああ!私の意志で行動することと、それなしで行動することの違いは、どれほど大きいでしょう。それゆえ注意深く、あなたの中に私の似姿を成さない行為を一つも見ないという悲しみを私に与えないでください。」

 

この後、主は姿を消しましたが、少しして、お受けになった侮辱のために落ち着かないご様子で戻ってこられました。私の中に避難して休むことを望んでおられたので、私は彼に言いました。

 

「私の愛する人よ、私にはあなたに伝えたいことがたくさんあり、あなたと私の間に築きあげなければならないものが沢山あります。私はあなたに、あなたの意志が知られ、その王国が完全な勝利を収めるようにあなたにお願いしなければなりません。でも、あなたを休ませるために私は黙っていなければならず、あなたが休むなら私は何も話すことが出来ません。」

 

するとイエスは私の言葉を遮り、言いようのない優しさで私をご自分に強く抱きしめ、キスをしてこう言われました。

 

「娘よ、最も聖なる意志の王国の勝利を祈るあなたの唇はなんと美しいのでしょう。それは私自身の祈り、私のため息、そして私のすべての業のこだまです。私はあなたが私の意志について書かれた本につけるタイトルついて、あなたが何を書いたか見てみたい。」

 

そう言いながら、イエスはこの本を手に取り、8月27日に書かれているところを読んでおられるようでした。読んでいる間、彼は物思いにふけり、まるで深い思索の中に身を置いているかのようで、私は彼に何も話す勇気がありませんでした。主の心臓がとても強く鼓動し、今にも爆発しそうになっているのが聞こえました。それから彼はその本をご自分の胸に押し当ててこう言われました。

 

「私はこのタイトルを祝福します。私は心から祝福し、私の意志に関わるすべての言葉を祝福します。」

 

そして魅惑的な威厳をもって右手を上げ、祝福の言葉を宣べられました。そうしてイエスは姿を消しました。

 

 

第20巻

1926年9月28日

 

※そのうち更新します。

 

 

 

 

 

 

もとのサイトはこちらです↓

 

 

 

 

 

 

キラキラみなさんに神様の祝福がありますようにキラキラ

 

 

 

 

■ヨハナ通信■

 

天国の書についての考察をまた始めました。

サイトの順番通りではなくて、その時の気分で好きな個所を

抜粋していくことにしたいと思います。

なのでしばらく順番バラバラに投稿しますが、

後から整理する予定です☆

 

 

 

 

「天国の書」とは日本で発行されている「被造界の中の神の王国」のことです。

外国のサイトで全36巻読むことが出来ますので、ヨハナの翻訳を待っているのが面倒な方は、そちらを検索してみてくださいね(*'ω'*)☘

 

こちらになります↓

 

 

 

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