【知道中国 1686回】 ――「全く支那人程油斷のならぬ者はない」――(中野6) | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1686回】           
――「全く支那人程油斷のならぬ者はない」――(中野6)
  中野孤山『支那大陸横斷遊蜀雜俎』(松村文海堂 大正二年)


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  長江も四川省に近づくに従って「千百の蛟龍の頭を並べて飛下するが如」き「激流」となる。

 

 

「凶灘惡水、實に難所のみなれば年々船舶の破損するもの多」く、夏には多く「江水氾濫」し、「魚腹に葬らるゝもの亦少なからず」――

 

 

「波濤勇躍奔騰して旋渦濆激萬雷、一時に叫ぶが如」き激流に次ぐ激流を翻弄されながら、一路、四川を目指す。

  途中の順慶府大西街では「邦人中村富哉氏、當地中學堂にありて、我等を歡迎したり」。

 

 

この街では「日本商品にては、タオル、齒磨、マツチ、其他雜貨販賣せられたり」。また新都縣でも「數多の邦人の、歡迎するあり」。

 

 

彼らもまた当地の学校で教鞭を執っていた。

  かくして「入蜀の旅行の終りを告げ」るわけだが、旅の苦労を「噫交通至難!! 峽江の儉灘。 噫交通至難!! 峽江の遡航」と簡潔に振り返る。

 

 

それにしても、そんな艱難辛苦の先に漸く辿り着くような街の学校で日本人が教師を務めていたとは。

 

 

驚き以外のなにものでもなく、同時に彼らが残したであろう『有形無形の遺産』を後の日本は生かすことができたのだろうか。

 

 

個々人の悪戦苦闘で終わらせはしなかったか。疑問は増すばかり。

  苦難を重ねた四川への旅で歩いた「沿道市街」を細かに綴っているが、そのうちの面白そうな情景を紹介してみたい。

  「支那は國土の大なるばかりではなく、凡べてのものが雄大である」が、不思議にも「獨り市街の道路は陜隘を極めてゐるので、常に雜踏をしてゐる」。

 

 

そこで「轎子の通行の時なぞは、其混雜實に甚だしい」のだが、轎子(かご)の担ぎ手は「乘客の威をかりて」雑踏の中を進む。

 

 

通行人がグズグズしていようものなら「突き倒し、踏みつぶして進む」。

 

 

轎子が行き違いが出来ないほどに狭い道だったら、互いに譲らず「腰を据え轎を動かさず」。

 

 

そこで「我は東洋人に從ふものなりと威を示せば、先方終に避ける得る所まで後戻りする」。

 

 

さぞや気持ちがよかっただろうが、そこまで東洋(にほん)人は威力があったということか。

 

 

日清、日露両戦争勝利のゆえか。それとも数多くの日本人教師の粉骨砕身のゆえか。

  「支那内地は何の地を問はず、盗賊が?行する。年に二三回位は、何れの市街へも二百三百、或は七八百も千人以上も黨を組みて、賊盗がやつて來る、そして其地の財産家を荒して去る。

 

 

其引上の際意に滿たざるときは、子女を掠めて行く」。営利誘拐である。

 

 

そこで街も家屋の構造も、「防盗の外、他意はないやうだ」。

 

 

かくて衛生環境や居住性は極端に軽視される。

 「街道も陜隘である」。

 

 

家屋は「陰氣に薄暗く狹苦しく、間口は狹く、奥は深く、(中略)出入口は一箇所あるのみ、窓は高き所に、小形のものを設くるだけ」。

 

 

だから「我國の四方開放自在にして、清明温雅なる點は全くない」。

 

 

家々の「門には五六の犬が居る、犬は決して獵犬ではない、必ず防盗犬である」。

 

 

中野は気づかなかったのか、犬に関する大切な“役割”を記していない。

 

 

「獵犬ではない、必ず防盗犬である」ことはもちろんだが、「防盗犬」も役立たなくなれば食用犬にされる。

 

 

愛玩犬から「防盗犬」を経て食用犬というのが、中国における犬の運命だったはずだが・・・。

  じつは今から半世紀ほど昔の香港留学時、農村の集落の一角に下宿していた。

 

 

管理人の曽バアサンは市場で子犬を買ってくる。

最初は愛玩用だ。ぷくぷくと太り、コロコロと駆け回る。エサは彼女の食べ残し。

 

 

立派な体になると番犬、つまり「防盗犬」だ。

 

 

やがて秋風が起つ頃になると、麻袋に秤を手にした業者がやってくる。

 

 

肉の着き具合を見定め目方を計ったうえで犬を買い取って行く。

 

 

曽バアサンは彼から渡されたカネを手に、「あいつはムダメシ喰らいだった。喰わせた割には安すぎる」と。

 

 

手にした額が見込みより少なかったらしい。

 

 

翌朝、そのカネを握りしめ市場へ。これを輪廻転商?!とでもいう。
《QED》

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