佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 631」 | 護国夢想日記

護国夢想日記

 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

◎佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 631」

--------------------------------------------------  


≪(承前)しかし、それだけでなく、当時の日本の対韓政策としては正攻法であったともいえる。

 

 

甲申事変では、近代化路線を主張する独立党のクーデターが、圧倒的に優勢な清兵に潰されてしまった。

 

 

今度は、優勢な日本軍を京城に擁している。これは朝鮮の近代化のための改革を実施する機会である。

 時まさに、西欧文明のヘゲモニーの絶頂期である

 

 

後進国を植民地にしても、野蛮の民に恩恵を与えるためということで、十分正当化された時代である。

 

 

気の毒な未開の朝鮮を文明化させるためというだけでも、結構、派兵の理由となりえた。

陸奥は、この伊藤提案について熟考する。

【口語訳】

 自分も、もともとこれに異議はないのであるが、まず、これによって、わが外交は、受け身の立場から主導的立場に変わる結果になることを考えなければならない。

 

 

また、今日の情勢では、清国はこの改革案には容易には同意しないであろうが、同意しない場合は、その後の外交戦略をどのようにして維持していくかを考えた。

 

 

そして、伊藤総理は閣議では明言していないが、この提案を起草した以上、胸中に深く決意しているものがあるに違いないとも考えた≫

 重要なのはこの部分にある。時まさに「西欧文明のヘゲモニーの絶頂期」であったことを、わが国の戦後の歴史学者は見落としているところがある。

 

 

岡崎氏が書いたように「後進国を植民地にしても、野蛮の民に恩恵を与えるためということで十分正当化された時代」であり、「未開の朝鮮を文明化させる」と言う理由だけでも相手国に侵攻できた時代であった。

 

 

しかし我が国は、万やむを得ず“朝鮮併合”に踏み切ったものの、西欧諸国のような“野蛮な”行動よりも、本当に「未開の朝鮮を文明化させる」善政を施し、台湾にも朝鮮にも、インフラ、教育などに莫大な投資をし続けた。

 

 

この点が如何にも日本人らしい行動だったと言えるのだが、それにしても大東亜戦争後は、台湾には感謝されたが、朝鮮からは「恩を仇」で返され続けている。

 

 

これは地政学的に見て「海洋国家」と「半島国家」の大きな相違点だと言うべきなのかもしれない。

 さらに陸奥と伊藤との関係が素晴らしい。

 

 

自衛隊の幕僚教範でも「幕僚たる者は常に上司の意図を戴して行動する」よう教育されているが、なかなか教範通りにはいかないものだ。

 

 

しかし陸奥は見事に上司の意を戴して行動している。

≪そこでわたしは、この提案の可否を決めるために、一日、考える時間がほしいと希望して家に帰り、一晩中、考えて、もはや日本は、外交上、策略を用いるべき時期に来たと判断した。

 

 

清国政府は、十中八、九までは日本の提案に同意しないであろうが、その場合でも、日本の提案を捨てることはできないことは当然である。

 

 

伊藤総理の提案に従う以外にいい考えがあるとは思えなかったが、もし清国が日本の提案に同意しない場合には、日本が単独でも朝鮮の内政改革を担当する決心をしておかないと、

 

 

将来、日清間の意見が合わないときに、日本外交の進路が塞がれる恐れがあると判断した】

 そこで.陸奥は、翌日、内閣会議で、伊藤総理の提案に加えて.一項目を付け加えた。

 

 

すなわち「清国政府との商議の成否にかかわらずその結果如何を見るまでは、目下韓国に派遣しある我が軍隊は決して撒回すべからず、

 

 

またもし清国政府において我が提案に賛同せざるときは、帝国政府は独力を以て朝鮮政府をして前述の改革をなさしむるの任に当るべし」(清国との交渉の結果が出るまでは、日本軍を撤兵しないこと

 

 

もし清国が日本の提案に賛同しないときは、日本の独力で、朝鮮の内政改革を行わせること)を追加し、裁可を得た≫

ここにも当時の外交官が持っていた優れた軍事知識が見えてくる。

 

 

軍事力の効用を熟知していないと、外交交渉を有利に展開することはできないのである。さすがに陸奥は“明治人”であった。

≪【口語訳】今や、日本の外交は、最早引き返せない所からさらに一歩前進することになった。

 

 

……もし清国政府が日本の提案を拒否することになれば、我が政府は最早、黙視することはできない。

 

 

したがって、いずれ日清両国の衝突を免れることはできず、日本政府はその時は、やむを得ず最後の決断をしなければならない。

しかし、この決心は、最初に日本政府が朝鮮に軍隊を送った時に、すでに決めたことなので、今となって少しも躊躇する理由はない。】

 もともと朝鮮を属国と見做す清国が、日本と対等の立場での共同改革に同意するはずもなく、まして日本単独ということは実際上、日本の保護国化であり、これを容認するはずがなかった。

すなわち、日本から清国への提案は、即ち、「戦争も辞せず」との決意を込めた提案であった≫

そしてこの部分が素晴らしい。相手である清国が取るであろう方策を十二分に熟慮し、それに対する我が方の方策を間違えぬよう配慮している。

 

 

そして何よりも『最後の決断』、つまり戦争をも覚悟しているところである

「戦争論」を書いたクラウゼヴィッツは「戦争は政治の延長」だと喝破している。

 

 

外交という“論議の場”で解決しない場合には、万やむを得ず実力行使して相手を我が方の意思に従わせざるを得ず、そこに戦争が起きるのだが、その覚悟があれば、相手にもその真剣度は伝わるものである。

オバマ前大統領が「米国は世界の警察官ではない」と世界に向かって宣言した途端、世界中に何が起きたか?

 

 

強力な力で統制してきた米国は見くびられ、戦火が各地に広がったではないか。

 

 

戦後日本外交が、韓国からさえも馬鹿にされている?のは、この最後の手段が取れないからである。

 

 

軍事力が行使できないから、金で解決しようとしてきたわが戦後外交の最大の問題点がそこにあると言えよう。(元空将)、