佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 439」 | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 439」

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渡辺氏は、ドイツが虎視眈々とフィリピンを狙っていることに気が付いたアメリカが、「当初予定していなかったフィリピン買収を決断した」と書いた。

新生アメリカが、彼ら自らが捨てて逃れてきた出身地、欧州の動きに敏感だったのは当然だろう。当時の仮想敵が大西洋の覇権を狙うドイツだったとしてもおかしくはない。前回の渡邊氏の説を続けよう。

≪アメリカがフィリピンから撤退すればドイツがこの島々を占領するというロジックを、アメリカはこの島の買収の正当化に使いました。それはありもしない危機を煽ったのではありません。アメリカ海軍がドイツ海軍とマニラ湾で対峙している現実があったのです。

ドイツ艦隊はマニラ湾から消えました。しかしドイツは、スペインからマリアナ諸島、カロリン諸島、パラオ諸島を購入することに成功しています。既にドイツはスペインからマーシャル群島を四百五十万ドル(現在価値約一億ドル)で買収していましたから、それに続く領土拡大でした。

「スペインの米西戦争での敗北を受けてドイツは(スペインに代わる)ミクロネシアにおける盟主たらんと欲した。そこにはドイツ国家としての誇りとコプラ生産という現実的利益の二つの理由があった。


ドイツは一八八六年にはマーシャル群島を手中にしていた。一八九八年には(アメリカに売却された)グアムを除いたマリアナ諸島、カロリン諸島、パラオ諸島をスペインから二千五百万ペセタで購入した。これは現在価値に換算すると八千百万ドルであった(二〇〇〇年換算)」

スペインとの間で購入契約が調印(一八九九年七月十八日)されると同時に、ヴィルヘルム二世はこれらの島々の行政権がドイツ領ニューギニア総督の管轄下にあることを宣言しています≫

大東亜戦争で、日米が死闘を繰り広げた南太平洋海域は、この当時はドイツ領だったのであり、その後第1次世界大戦でこれを移管された日本に対して、米国が“本来の目的?”を達成するために進出して来たかのような印象を受ける。

渡辺氏は、前著の「日米衝突の根源」の中で、米西戦争後のアメリカのフィリピン購入で太平洋が「スペインの湖」から「アメリカの湖」に変貌したと書いているが、本書では「いささか誤解を惹起する表現だったかもしれない」として、

≪ドイツも独領ニューギニアを拠点として、太平洋を「ドイツの湖」化することを考えていたのです。そしてその計画は少なくとも西太平洋地域ではアメリカよりも早い進捗を見せていました。ドイツも「沈みゆく帝国スペイン」に代わって太平洋を支配する野望を持っていたのです。

ドイツが進めた西太平洋の領土拡大は着々と面を広げていくものでした。しかしアメリカの奪取したフィリピンは、ハワイからグアムを経由して引かれた細い線でつながるだけの危うい新領土でした。それは本書の目次の後ろに掲げた地図でも明らかなのです≫と続けている。

渡辺氏が指摘した「地図」は、大東亜戦争で我が国が占領した広大な太平洋地域に重なっているのは当然だが、大日本帝国も、この地域を「絶対国防圏」として“死守する”ことを宣言していた。米国の“危うい新領土”であることを見抜いていたのである。そこで米国は、この“弱点”である南方の豪州を起点とした対日反撃路を開発する。

話は飛ぶが、昭和17年初頭、わが大本営は概ね予定の初期攻略作戦が一段落すると見て、その後の作戦指導に取り掛かった。


「大東亜戦争全史」によれば、その作戦目標は「アリューシャン、ハワイ、フィジー、サモア、ニューカレドニア、豪州、ニューギニア、ココス、インド」などであったが、陸軍統帥部が3月初旬頃までに出した一応の結論は、「ハワイ、豪州およびインドに対しては制圧作戦ならばよいが、大攻略作戦を伴うような作戦は避けるべきである」というものであった。

もともと大陸での作戦を主に教育訓練されてきた陸軍の考えの根本には、日米開戦直後、予想以上の成果を収め「予定の範疇を攻略した以上は常に自己の国力、特に戦力に相応した堅実さを以て戦略持久を策し、来攻する敵を破砕して持久目的を達成すべきである。


このやり方は戦争の短期終末を期しえないところに欠陥はあるが、直接米本土に侵攻するが如き積極的屈敵策を見出し得ない日本としてはやむを得ないことで、これは開戦時決定せられた戦争及び作戦指導の基本方針であり、軽々に変更すべきではない」というにあった。

これに対して海軍、特に山本五十六大将指揮する連合艦隊の思想は、「豪州、ハワイ、インドなどの地域に対し、なし得れば逐次攻略作戦を伴う作戦を実施し、この際惹起する艦隊決戦により敵を破砕して敵海軍の台頭を常に抑圧せんとする連続決戦の思想」であった。

既に私は、山本連合艦隊司令長官の作戦指導に多くの疑問を呈してきたが、その根源はこのような≪誇大妄想的≫ともいえる己の力の過信があったからである。

何度も書いてきたことだが、本来の我が国の大戦略は「対ソ戦」であって、対米戦は一応計画らしきものはあったが、陸軍が「戦力に相応した堅実さを以て戦略持久を策し、来攻する敵を破砕して持久目的を達成すべきである」とした方針こそ実は本来は海軍の「敵を迎え討つ戦略」であったはずだ。

しかし、ハワイ真珠湾“奇襲”作戦の“大成功”という幻に取りつかれたかのように、連合艦隊は「イケイケどんどん」的作戦が目立つようになってきた。

ここでも「豪州、ハワイ、インドなどの地域に対し、“なし得れば逐次攻略作戦を伴う作戦”を実施し」とあるように、「陸軍頼み」の希望的観測が主になっていて、精神主義と評される陸軍よりも、科学的論理的近代的思考が進んでいた筈の海軍が、実はこのような精神主義的作戦を主導していたのである。(元空将