国柄探訪: 日韓文化摩擦を乗り越えて NO.2 | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

国柄探訪: 日韓文化摩擦を乗り越えて NO.2



■5.消しゴム事件■

 日本人の友だちができて、本格的につきあい始めると、ここ
でもさまざまな摩擦が生じてきた。たとえば、韓国ではご飯も
スープも食卓に置いたまま、スプーンですくって食べるのが食
事作法である。お茶碗を手に持って食べるのは、たいへん行儀
の悪いことである。

 それが日本の作法だと知っていても、目の前でそうされると、
生理的な嫌悪感を抑えることができない。日本人はなぜそんな
おかしな事をするのか、嫌な人たちだ、と思えてしまう。

 大学に入ってから、とても気のあう日本人の友だちができた。
しかし、その友だちは一緒に勉強していて、呉さんに消しゴム
を借りる時に「ちょっと消しゴム、貸してくれる?」と聞くの
である。返すときもいちいち「ありがとう」と言う。そのたび
に呉さんは「この人は私のことを本当に友だちだと思っている
のだろうか?」と不安な気持ちに襲われるのだった。

 韓国では親友や家族の間には、距離があってはいけない。
私の物はあなたの物、あなたの物は私の物、それでこそ親密な
間柄と言えるのである。だから友だちの間で「消しゴムを貸し
て」とか、いちいち「ありがとう」などと言うのは、とても失
礼なことなのだ。

 呉さんのほうは、友だちの消しゴムが横にあれば、まるで自
分の物のように断りもなしに使い、返すときもいちいち「あり
がとう」などとは言わない。ある日、呉さんがいつものように
そうしたら、友だちは耐えかねたのか、明らかにムスッとした
表情を示した。なぜそんな顔をされるのか、分からないまま、
呉さんはいいようのない暗く沈んだ世界に一人取り残された気
分に陥ってしまった。

■6.日本人も韓国人も行き違いに悩んでいる■

 呉さんは大学に通いながら、コンサルタント会社でアルバイ
トをするようになった。そこでは月に1、2回日本のビジネス
マン相手に韓国ビジネス・セミナーを開いており、呉さんは事
務局役をやりながら、セミナーを後の席で聞いていることがで
きた。

 そこでは日韓の摩擦について話題になる事が多かった。ちょ
うど呉さんと反対に、日本人ビジネスマンが韓国に行って、摩
擦に悩むという声がしばしば聞かれた。悩みはお互い様なのだ、
という当たり前のことに気づかされて呉さんは嬉しくなった。
そのうちに会社からの要望で、日本人ビジネスマンに韓国語を
教え始めた。

 ちょうどその頃、縁があって、韓国人ホステス数人相手の日
本語教室を自分のアパートで開いてみた。一般の学校での教え
方とは違って、韓国人が理解しにくい日本人の発想の仕方から
教えていくと、同じ年頃の韓国人の女性から教わるという事も
あって、よく分かる、と好評だった。

「こんな言葉を使えば、日本人の男性には好感を持たれるのよ。
韓国式にこんないい方をすれば、必ず嫌われるわよ」と呉さん
が教える。彼女たちは早速、店でそれを実行すると、「なるほ
ど先生の言うとおりだった」となる。その評判がパッと口コミ
で韓国人ホステスの間で広がった。

 昼は韓国人との行き違いに悩む日本人ビジネスマンに教え、
夕方は日本人との行き違いに悩む韓国人ホステスを教える。日
本人と話しても、韓国人と話しても、行き違いはだいたい共通
する所にあった。


日韓摩擦のポイントは、その共通項の解明に
あるのだ、という考えが徐々に固まっていった。そして語学教
室でそのあたりから教えていくと、日本人ビジネスマンも韓国
人ホステスも非常によく理解してくれるのである。まさに生き
た文化人類学研究であった。

 異なる文化間の摩擦とは、相手が自分のルールに従ってくれ
ない、という所から来る。自分では左側通行が当たり前だと思
っているのに、相手が右側通行をするので「なぜこの人は平気
で交通違反をするのか」と悩んだり、怒ったりすることになる。
それは「違反」なのではなく、相手は違った交通ルール体系に
従っているのだ、と知ることが、摩擦を乗り越える第一歩なの
であろう。そうしてお互いの交通ルールの違いを知ることが、
まさに自分自身を知ることにもつながる。

■7.彼女は済州島出身の田舎者で、、、■

 平成2年、呉さんは「スカートの風」を出版した。日韓の文
化・習慣の行き違いについて、韓国人ホステスの例などを通じ
て述べた本である。反響は大きく、3ヶ月ほどで10万部を超
えるベストセラーとなった。これを機に、あちこちから講演や
原稿執筆の依頼が殺到するようになった。

 ある時、東京の日本語学校の先生たちの集まりで、一時間ほ
ど講演をして欲しいという依頼を受けた。その場には主催者側
が、東大の博士課程に在学中だという韓国人男性を呼んでいた。
呉さんの話が終わって、質問の時間になると、その韓国人が立
ち上がって、つかつかと前に出てマイクを握った。

みなさん、私は、いままで何も言わずに黙って聞いてきた
けど、彼女がどういう人だか知っているのですか。彼女は
韓国の軍隊出身なのですよ。

 確かに呉さんは高校を出てから、きびきびした女性軍人に憧
れ、10倍以上の狭き門をくぐって、教育期間を含めて4年間
軍隊に在籍し、その間大学にも行った。しかし、それと呉さん
の講演と何の関係があるのか、日本人聴衆はまったく分からな
かったろう。この男性が言いたかったのは、軍隊に行くような
女はまともではない、ということであった。さらにこう続けた。

 彼女は済州島出身の田舎者で、日本に来ても歌舞伎町の
ホステスたちと仲良くしているような人間だ。そんな人間
が話すことを、あなた方は韓国の代表的な意見であるかの
ように聞いたり、質問したりして、盛り上がっているとい
うのは、いったいどういうことですか?

■8.「紺屋の白袴」■

 その時、後ろに座っていた一人の日本人が「失礼なことをい
うな。おまえ出て行け!」と怒鳴った。韓国人男性は「そっち
こそ失礼ではないか、人がせっかく説明してあげているのに怒
鳴って」と、怒鳴られた理由がまるで分かっていない。

 そこで彼は、自分を紹介しますと言って、私は東大の博士課
程にいて、有名な○○先生のもとで、これこれの研究をしてい
る、と自慢げにとうとうと述べ立て始めた。これが韓国であれ
ば、一にも二にも彼の輝かしい学歴が、その主張の正しさを保
証し、だれもが彼の意見を尊重する所だ。

 しかし日本ではそうはならない。高学歴だからと言って、そ
の人の言うことが正しいとは誰も思わないし、そもそも「学者
馬鹿」などという言葉すらある。会場の日本人たちからは口々
に彼への反発の声があがる。しかし、彼はなぜ日本人たちが自
分に反発しているのか、まるで分からない。

 異文化摩擦の絵に描いたような事例である。呉さんには、そ
の行き違いが手に取るように分かった。そもそも彼の師事する
東大の○○先生は著名な人類学者で、呉さんの「スカートの
風」には大変に感動した、立派な本だと誉めて、韓国専門の先
生方や学生の前で話をさせてもらった事があったのである。

 この男性は博士課程で文化人類学を研究しながら、自分自身
では日韓の文化の違いをまるで理解せずに、韓国流そのままで
振る舞って、日本人聴衆の反発をかっていたのである。まさに
「紺屋の白袴」とはこの事だ。

■9.行き違いを克服した原動力■

 平成9年4月に呉さんは新宿の高層ビル街にマンションを購
入した。呉さんが日本に渡って16年、物書きを職業とするよ
うになって、すでに12冊もの本を出していた。マンション購
入は日本への定住の意思表明だった。

 呉さんが今までを思い返してみると、日本という異文化社会
に飛び込んで、様々な迷路に迷い込み、何度も行き違いに悩ん
できた。そんな呉さんを救ってくれたのは、「よき人」との出
会いだった。行く先々で本当にいい人たちと出会え、その人た
ちが様々な形で呉さんを助けてくれた。

 そしてそういう「よき人」たちとの出会いを作りだしたのは、
呉さん自身の「よき人」を求める気持ちの強さ、真剣さではな
かったか。日韓の行き違いから逃げずに、「よき人」を求める
て悩みながらも行き違いを直視し、その原因を考えてきた。そ
の真剣さが、行き違いを克服する原動力だったのだろう。

 現代のグローバル社会では、あらゆる国々や民族との文化摩
擦を乗り越えていかねばならない。その「しんどさ」に耐えて
いくためには、それだけ「よき人」を求める真剣さを持たねば
ならないのだろう。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(246) トウガラシの韓国、ワサビの日本
 日韓共催のワールドカップは、隣人同士の異質さを明らかにした。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h14/jog246.html

b. JOG(265) 「反日」ナショナリズムという病
~ "日韓"関係の正常化に向けて
 韓国の「反日」ナショナリズムを分析すれば、日韓関係がうまく
行かない理由が見えてくる。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h14/jog265.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 呉善花、「私はいかにして『日本信徒』となったか」★★★、
PHP文庫、H15


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