日本よ、中国大陸から撤退せよ NO.1   軍事評論家  柿谷勲夫 | 護国夢想日記

護国夢想日記

 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

日本よ、中国大陸から撤退せよ NO.1   軍事評論家  柿谷勲夫

 

支那事変は終わっていない

 

 

中国は、政府が沖縄県の尖閣諸島を国有化したことを口実に、海洋監視船、漁業監視船による領海侵犯、日系企業の破壊、日本製品の略奪・不買、日本人への暴行、日中平和友好条約の「死文化」など「侮日」運動を展開しています。

 

 

 

 今回の中国の行動は、漢族(支那人)による昭和初期の満州に於ける排日、抗日運動、支那事変の発端となった昭和12年の盧溝橋事件、通州虐殺事件の延長線上にあります。

 

 

 

 「孫子」は「上兵は謀りを伐ち、其の次は兵を伐ち、其の下は城を攻む」、すなわち「最善の策は謀略戦に勝つこと、次善の策は外交戦に勝つこと、その次は野戦で敵軍を破ること、下策は城を攻めること」と説いています。

 

 

 

 満州事変は短期決戦で勝利しました。しかし、支那事変は武力戦は連戦連勝でしたが、謀略戦と外交戦に敗れ、A()B()C()D()に包囲され、勃発4年後の昭和16年、アメリカから「支那、仏印からの陸海空軍の撤退及び警察の全面撤退」などを主体とする「ハルノート」という「最後通牒」を突きつけられ、これを拒否して米英蘭との戦争に拡大したのが大東亜戦争です。

 

 

 

 「ハルノート」の受諾拒否は止む負えないものでしたが、我が国は受諾することによって喪失したと思われる以上の多くの遺産を敗戦によって失いました。

 

 人命、財産だけではなく、国家意識、国防意識など日本精神をも喪失しました。

 

 

 

 敗戦後、我が国民は一生懸命に励み、経済大国になりましたが、日本精神の喪失の悪影響は極めて大きく、戦後70年近くになるにもかかわらず、未だ敗戦国意識から抜けきっていません。特に中国には精神的に従属させられています。

 

 

 

 大東亜戦争は終わりましたが中国にとっては支那事変は終わっていないのです。本論は満州事変以降の我が国と中国との関係を振り返り、中国大陸から撤退すべしと提言するものです



「正論」 2013年2月号


最後にクリックよろしくお願いします。
 
政治 ブログランキングへ