南丘喜八郎 月刊日本12月号巻頭感  「それにもかかわらず(デンノッホ)!」 | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

南丘喜八郎 月刊日本12月号巻頭感  「それにもかかわらず(デンノッホ)!」
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 昭和二十年九月二日午前九時、東京湾に浮かぶ米太平洋艦隊の旗艦ミズーリ号上で、降伏文書調印式が始まった。マッカーサー元帥が傲然と見下ろす中、隻脚の日本側全権重光葵外相と参謀総長梅津美治郎が降伏文書に署名した。


この日午前三時に起床した重光は、切断された右脚に昭和天皇から下賜された義足をつけ、宿舎の帝国ホテルから会場へ向かった。右脚は昭和七年、上海で行われた天長節祝賀式典で国家斉唱中に爆弾を投擲され奪われている。

   ながらえて甲斐ある命今日はしも 醜の御楯と我ならましを
 降伏文書に調印した日本は米国に完全に従属することになった。外交だけが唯一の戦場になったのだ。
 


重光は外交戦線に臨む覚悟を、「戦場において討死の覚悟である。もし今日爆弾に倒れるとも、それは外交戦線の先端におる者の本望とする所である」と、日記に記す。
 


重光は戦場に直ちに赴くことになる。降伏文書調印から僅か数時間後の同日午後四時、マッカーサーから東久邇内閣に対し「公用語は英語、裁判権は米軍、通貨は米軍票とし、明朝十時に布告する」という驚くべき命令が通達されたのだ。


政府は緊急閣議を開き、終戦事務局の岡崎勝男長官を直ちに米軍司令部のある横浜に派遣、参謀次長マーシャル中将に布告の延期を申し入れた。翌早朝、重光外相は岡崎を同道し、マッカーサーに布告の取り下げを強硬に要請する。

   折衝の もし成らざれば死するとも われ帰らじと誓いて出でぬ      
「占領軍が軍政を敷き、直接行政の責任を取ることは、ポツダム宣言以上のことを日本に要求するもの。今回の布告は政府抜きで直接命令できるものであり、政府への信頼はなくなり国内は混乱に陥る。布告は即刻取り下げてもらいたい」
 


討死の覚悟で会談に臨む重光の気魄に気圧されたマッカーサーは「貴下の主張を了解せり」と、直ちに布告を撤回した。軍政が敷かれていれば、戦後日本は米国の完全な属国となり、民族の自信と誇りを失っていたに違いない。
 


マッカーサーに堂々と国益を主張した重光はこの僅か二週間後、突然外相を解任され、後任に吉田茂が就任する。 当時、戦犯容疑者逮捕の嵐が吹き荒れていた。重光は手記にこう記している。

「戦争犯罪人の逮捕問題が発生してから、政界、財界などの旧勢力の不安や動揺は極限に達し、最上級の幹部たちは頻繁にマッカーサーのもとを訪ねるようになり、みな自分の立場の安全を図ろうとしている」、「朝日新聞をはじめとする各新聞の媚諂いぶりは本当に嘆かわしい」、「吉田外相はいちいちマッカーサー総司令部の意向を確かめ、幣原内閣の閣僚人選を行った。日本政府は遂に傀儡政権となってしまった」(孫崎享著『戦後史の正体』より)

 昭和二十一年四月、重光はA級戦犯として逮捕され、禁固七年の刑を言い渡される。巣鴨拘置所から仮釈放されたのは昭和二十五年十一月だった。講和条約発効後、「自主外交」を掲げる鳩山一郎政権の外相に起用された重光は、吉田の対米従属外交に真っ向から挑戦し、不平等極まりない米軍駐留協定としての旧安保条約改定を最重要課題に位置づけた。
 


昭和三十年八月、重光は安保改定を協議するため訪米する。米国は「望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」(ダレス)を維持し続けようとしていた。重光が準備した「相互防衛条約(試案)」は、「日本国内に配備された米国陸軍及び海軍は、この条約の効力発生とともに撤退を開始するものとする」と規定し、米軍の全面撤退を実現させることが目的だった。当然ながら、両者は激突する。

 重光の狙いにダレス国務長官は強く反発し、両者は丁々発止の激しい論戦を繰り広げた。ダレスは「米国の援助を受け、これを誇りにすることを国民に知らせることだ。米国の重要性を拒むことは駄目だ」と言い放った。冷戦下において、日本の基地を特権的に維持し続けることが、米国の世界戦略にとって最重要課題だったのだ。
 


対米自立を強硬に主張し、その実現に精根を尽した重光の企図は空しく挫折する。 
 マックス・ウェーバーは職業政治家に求められる資質を次のように喝破した。


〈政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。現実の世界が如何に愚かであり、卑俗であっても断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への天職を持つ。〉(『職業としての政治』)
 


米国の属国となって半世紀余、今こそ我が国を米国の桎梏から解き放ち、対米自立を実現すべき時だ。

 如何なる困難な事態にも「それにもかかわらず!」と言える重光の如き政治家の出現を望む所以である。
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