『私の彼は意味がない』と「金剛頂経」 | Sancantion【喰(SHOKU)レーベル】アルバムリリース情報!

金剛頂経」(金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経)は,インド(南印度もしくはナーランダ辺り?)に於いて,おそらくは去んじ1400年近く以前に成立したのではないかなどと思われます。

 

そして,一方で,『私の彼は意味がない』"My Man Is Punk."(蛭子能収さん著)は,おそらく去んじ39年近く前に成立した可能性があるのではないかなどと思います。

 

「両立不可能,且つ,二者択一不可避」状態(2001年ころ)

 

実は,わたくし,以前(去んじ8年近く前)に,烏賊のような言説を書いたことがおます。

 

 

 

ところが,今に至りますと,上述の言説は明らかに的を射ていなかった,などと思う次第であります。

 

というのも,空海さんが「両部不二」などと言わはったことに関することに関しましては,もしかすると,空海さんは,常に既に同時に,「両部不二」では決してないことを認識してはったのではないかということを,「反密教学」(津田真一さん著)に於いて,嘗て読んだことがあったことを,2021年12月18日(土)になって,つらつら(&ちらちら)思い出した次第です。

 

「反密教学」の中の

> 『大日経』と『金剛頂経』の関係が,実は「両立不可能,且つ,二者択一不可避」なのであり,

という言説が,それに当たるのではないかと思ったりもします。

 

この書籍に於いては,もう一つ非常に興味深いエピソードが紹介されています。

それは,著者が以前訪れた印度のカルカッタ(コルカタ)で乗車していたバスから偶々見た光景になります。

 

カルカッタのごみ一つない広い舗道の真ん中に老人が倒れているが,周囲の人々は,そんな老人を全く気に留めない。荷担ぎの人夫はヒョイヒョイ通り過ぎ,子どもはその辺りを駆け回っている。そして,そこにサリーの上にカーディガンを羽織った二人の美しい女子学生が楽しそうに話をしながらやって来る。

 

その二人の女子学生は,その倒れている老人を全く避けることなく,尚且つ一顧も与えることなく,恰も道にミカンの皮が落ちているほどにも気に留めずに通り過ぎる。

 

やがて清掃人夫がやって来て,ごみと一緒に箱車に乗せてフーグリー川に流してくれる。これこそが理想的な死に方ではないか。

 

一方で,『私の彼は意味がない』の立場は,おそらくは「大日経」(大毘盧遮那成仏神変加持経)ではなく,「金剛頂経」のほうに圧倒的に近いのではないかなどと考える次第です。

 

「反密教学」において,「大日経」は〈永遠に近い難行苦行の末にようやっとそこに到達する利他行の宗教〉と定義されています。一方で,「金剛頂経」は〈通達菩提心真言を唱えるだけで即時にそこに到達できる瑜伽の宗教〉と定義されています。

 

ここで,わたくしなんとなくピンピン!と来ました。

 

そうです。まさしく,『私の彼は意味がない』の9ページ目辺りで,[大三元・字一色・四暗刻]を聴牌した男性が捨てたイーピンに対して,この家のご主人の男性は,聴牌していないのに,「ロン」を宣言し,続けて「必殺意味なしアガリだ!」「意味もなく一万円ずつ払ってください」と他の三人の男性の方に向けて通告します。

 

 

つまりは,意味作用のない真言を唱えるだけで即時にそこ(和了)に到達できるという論理に於いて,『私の彼は意味がない』は,ひょっとすると「金剛頂経」を体現しているなどと勝手ながら思うた次第です。ただし,全くの戯れ言の可能性も捨て切れませぬ。

 

タブン,20年ブリに聴いたと思います。そのときは全く何にも感じなかったのですが,今夜は身体に浸透して来ました。

 

 

名瀬の嵐かも(鴨)しれませぬ。