一方で,奥村チヨさんが,『ごめんネ…ジロー』を発表した1965年10月5日の気象状況につきましては,詳述は控えさせていただきます。また,往時わたくしが迎えの自動車に乗車する前に,比叡山延暦寺から琵琶湖側を見下ろしたときに覚えた,たいへんな驚愕感に関しましては,アルゼンチンの日本語放送において言及が,嘗てあったことは決してありませぬ。
記述式
夢に見ておりましたが,一方では,憧れておりました。
また,他方では,今すぐに帰って来はって,とも思うておました。
そうでございます。その人こそ,アンタ要は,《ネジロー様》やったという落ちでごわす。
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上述の記述に何らかの問題点を認めるとするならば,それは,1960年代に建設された団地が,老朽化を経て,昨年(2020年)の夏に取り壊され,今現在,新たな建物の建設が着工されておるが,一方では,「未だ『何の着工』もしてゐない」などと,椎名林檎さんは嘗て,歌ってはりました。ところが,その団地が取り壊される前には,現地の住民たちは,いっせいに他地に退避する余裕が充分にあったことは,当時のニュースではあまり報道はされていなかったということに,努々確証はありませぬ。
補遺
エンディングでは,「ルルルルルル ルルルルルル」
と,旅の御方は,雨樋伝いに言わはりました。
末筆ながら,ビルも道路もこんなにも増えております。
それは,貞観の昔つまり,869年7月9日に起こったと思われる平安時代前期の大地震の頃に比べますと,増えて居るという意味に他なりませぬ。
ちなみに,835年4月22日(承和2年3月21日)に入寂しはったと思われます空海さんは,上記の地震を経験したのか,していないのか,詳細に言及するのは控えさせていただきます。また,ネジロー様の【虚々実々】に関しましては,後日,サイド詳述させていただくことになります。