きのうはへんてこりんな所で中断しちゃってごめんなさい
↑の続き。
津山市城東重要伝統的建造物群保存地区をてくてく歩き、津山洋学資料館に到着したところで急にぶった切ってブログ終了してたね
津山洋学資料館
岡山県津山市西新町5
こちらは写真撮影が禁止だったので私の頭の小さな容量に頑張って入れてきた内容は確かこんなかんじ↓
西洋の医学を江戸時代に初めて翻訳して出版した宇田川玄随さんのこと。
解体新書などの蘭学が始まったころの資料
(解体新書が1774年だからそれぐらいのことっぽい)
江戸末期にアメリカやロシアとの交渉のときに通訳をした三栗阮甫(みつくりげんぽ)さんのこと。
こちらにもここ↓といっしょで解体新書の実物がありました
すごいな~と思ったのは木製の骨格標本。
あとはあれかな、、こういう施設に行くと、その人物の生い立ちやら収集物などが展示してあることが多いけど、ほとんどの人が好奇心旺盛なのね。。
どういう本を読んでいたか。とか、ここには宇田川榕菴さんが持っていたと言われているオランダカルタというものがあって、今でいうトランプね。
これ、榕菴さんが作ったと言われているらしいけど、この時代、まだ日本にはカルタ(トランプ)は入ってきていなかったそう。
当時は鎖国中でオランダ人との交流も長崎の出島だけ。
榕菴さんは長崎にも行っていたことがあったらしく、おそらくそこで見たものを自分で作ったんじゃないか? といわれているそうです。
そのものを手に入れたかったけど何かの理由で手に入れることができなかったか、見せてもらうことはできたから仕組みだけ聞き、写したのか。
はっきりはしていないそうだけどなんか良いよね
どんな人だったんだろう?と考えるときに、その人の功績を知るよりもプライベートな面を知るほうが人間くさくて、なんか、良くない?
(あ、私だけ…?)
(私はその昔、高知県のとある施設で坂本龍馬さんとその周辺の方々(亀山社中の方々)がカステラを作るときのレシピのメモ書きを見たときの衝撃を忘れない…
カステラを食べて相当おいしかったのか… その材料じゃできんよ~ というレシピだったけど、その好奇心は好きよ。
このシーンは福山雅治さん主演の大河ドラマ「龍馬伝」でもやってた。。)
でもアレだね。。 本人も自分が死んだあとに私物が公開されるなんて思ってもみなかっただろうね…
そんなことを考えていたら計画では45分滞在だったのに1時間半もいたわよ~
わかりやすい映像も流れていて、すごくありがたい施設だった
津山洋学資料館を後に。 次はお隣のこちら
三栗阮甫(みつくりげんぽ)旧宅
岡山県津山市西新町6
三栗阮甫さんは江戸末期の津山藩の藩医。
アメリカやロシアとの交渉のとき(たぶん1853年(嘉永6年)の日米和親条約あたり?)に通訳をしたそうです。
こちらは復元だけど当時の姿を忠実に再現しているということで国指定史跡。
室内をいろいろ見せていただき~、
いつものようにスタンプ
げんぽ。。リアル
よーし 今日もちゃんと書いたよ
津山市はあと少しうろうろしているんだけど見たい所が多すぎて時間が全く足りなかった
津山、、すばらしい町だよ。。
(今日で津山市終了みたいな書き方になっちゃったけどまだ続くから💦)
続き↓