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一つ前の記事からの続きです。

 

導かれるように辿り着いた、円泉寺の御住職による「妙見菩薩と信仰」についての解説。

 

 

 

こちらを読んだ時、「妙見信仰はトート信仰」だと気づきました。

 

園泉寺の御住職の説明、そしてWikipediaなどの情報からいくつか取り上げて説明していきたいと思います。

 

 

 

 

妙見菩薩は「玄武」と関係が深いようです。

 

「クマラ五兄弟と四神」の記事に書いたように、玄武はシリウスのニニギ(=サナカ・クマラ)を表します。

アトランティスのトート・ヘルメスは、このニニギが転生した人物です(ニニギのエネルギーの一部)

 

ですから、「妙見菩薩=玄武」と考えた時、「妙見信仰=トート信仰(ニニギ信仰)」と考えられます。

 

 

 

その他の様々な点からも「妙見信仰=トート信仰」であることが見えてきますので、説明したいと思います。

 

 

玄武にはいくつかの別名があり、その一つが「玄天上帝」とのことです。

妙見菩薩のWikipediaに、「玄天上帝」の画像があります。

 

↑Wikipediaより画像をお借りしました。

 

玄武である「玄天上帝」は黒い衣を身にまとい、帝であることを主張するように、玉座に座り威風堂々とした佇まいで描かれています。

黒は玄武に対応する色であり、ニニギ(サナカ・クマラ)のエネルギーの色でもあります。

(ニニギのエネルギーの色:黒または紫)

 

「玄天上帝」の前には、いかにも僕といった様相の小さな二人が描かれていて、右側の人物は赤い衣を、左側の人物は青い衣を身につけています。

 

これまでにも書いてきたように、赤はスサノオ(サナト・クマラ)のエネルギーの色、青はニギハヤヒ(サナンダ・クマラ)のエネルギーの色です。

 

ですから、この絵の赤と青の人物は、サナトとサナンダを表わしているのだと思います。

そして、左側に青のサナンダ、右側に赤のサナトというこの配置は、以前に説明した「左右の法則」に当てはまります。

 

 

 

光側の代表者であるサナトとサナンダを、闇側の者たちが崇めるニニギ(サナカ・クマラ)の僕だと言っているのでしょう。

 

これは五重塔の造りと同じように、光側の代表者よりも、闇側の者たちが崇める「闇落ちしたニニギ」の方が上の立場にあると主張しているのだと思います。

 

「自分たちほど上等な者はいない」と考え、上下関係を好む「闇側さん達」ならではの、発想、主張が、この玄天上帝の絵には込められているようです。

 

 

 

 

Wikipediaによると「妙見菩薩とは北極星または北斗七星を神格化した仏教の天部の一つ」とのことです。

私は「北極星」よりも「北斗七星」に重きを置いた方がしっくりくるように感じます。

 

これまでに書いてきたように、「7」は「トート(ニニギ)」を表す数字です。

妙見菩薩と「7」が含まれる北斗七星を対応させたのは、このような理由ではないかと思われます。

 

妙見菩薩は「菩薩」とされていますが、「天部」の一人であるようです。

天部は「=天使」ですね。

 

ニニギは異なる意識次元においては天使として存在します。

要するに、ニニギはエネルギーの一部が闇落ちした存在で、かつ異次元においては天使として存在しますから、「堕天使」と言い換えても良いでしょう。

 

 

円泉寺の御住職の解説から、いくつかの点を取りあげ、私の考察を添えてみたいと思います。

 

 

妙見菩薩の起源は古代アッシリアやバビロニアの遊牧民にまで遡るようです。

 

トート信仰を行う闇側の代表的存在としては、イルミナティ13血流の家系があります。

 

フリッツ・スプリングマイヤー著「イルミナティ 悪魔の13血流」という本の中で、イルミナティのルーツはメソポタミアおよびアーリア人にまで遡ることを指摘しています。

 

イルミナティ13血流の者たちの「トート信仰」と、古代アッシリアやバビロニアの遊牧民の「妙見信仰」が重なってきます。

 

 

そして、妙見信仰は「七世紀に高句麗、百済などの渡来人により伝わったようです。最初は渡来人の多い関西以西の信仰だったようでが、天智天皇以降に渡来人を強制的に関東に移住させたために関東に妙見信仰が伝わりました。」とのことです。

 

ここで書いておきたいのは、現在、妙見信仰のある寺社仏閣においても、その信仰の本質を知らないままに引き継いでいる場合がほとんどなのではないかということです。

当然のことながら、妙見信仰を持つ神社仏閣に関わる方々には、何ら非はないということを強調しておきたいと思います。

 

 

天智天皇は中大兄皇子です。

これまでに書いてきたように、蘇我入鹿は「=大国主(ニギハヤヒ)」です。

 

ですから、出雲族が衰退へと追いやられた(乙巳の変)後に、トート(ニニギ)信仰と言い換えられる妙見信仰が関東にも広められたことがわかります。

 

これらのことから、妙見信仰には、出雲族と対立した日向族や物部氏の影が見え隠れするように思います。

 

 

また、妙見菩薩について他の情報をあたってみると「妙見菩薩は全てを見通す眼をもつ」などという説明が見られます。

 

これを読んだ時に私が思い浮かべたのは、「全能の目」などと言われる「プロビデンスの目」です。

 

「プロビデンスの目」は、闇側と深い関わりがあるとされるフリーメーソンの象徴とも言われます。

 

「プロビデンスの目」は、アトランティスのトート・ヘルメスの象徴といえます。

トート信仰を行う闇側の者たちのルーツは、アトランティスの特権階級にあると思われるため、これを象徴的に使用しているのだと思います。

 

アトランティスの首都ポセイドンの中心には、象徴とされるピラミッドがあり「プロビデンスの目」がついていたとのこと。

 

「全能の目」などと聞くと、何だか御大層なものに感じますが、要するにただの「監視装置」だったそうです。

 

妙見信仰は「プロビデンスの目信仰」と言い換えても良いかもしれません。

 

 

 

さて、この辺りで妙見信仰とトート(ニニギ)信仰が重なることについての説明は一区切りとしたいと思います。

 

 

円泉寺の御住職の妙見信仰の説明は大変に詳細で参考になることが多く、有難く読ませて頂きました。

妙見信仰に関心がある方は、ぜひ上記リンクからお読みください。


 

 

次の記事では、妙見信仰と平将門の関係などについて書きたいと思います。