宇宙の存在であるアーリオーンは、「アーリオーンメッセージ」という本の中で、かつての日本で何があったのかを語っている。

 

日本へ渡ってきた出雲族と日向族。

この二つのグループは、日本で落ち合い、協力し、人類の進化と文化の降盛を促すための国造りを行う・・・という約束だった。

しかし、日向族の裏切りにより崇高な目的に対する約束は反故にされ、両者は対立した。

 

対立を収めるために、日向族の族長であったイザナギ、イザナミは娘のアマテラスをスサノオに妻として差し出し政略結婚をさせた。

 

詳しくはこちらの記事に転載。

 

日向族であるアマテラスと、出雲族であるスサノオの結婚に真っ向から反対した人物がいたとのこと。

アーリオーンがその人物について語ったことを、著者がまとめている。

 

アートライン・プロジェクト著「アーリオーン・メッセージ」より転載

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その人物は、一人ではなく複数であるらしい。”彼ら”の名は、歴史の中には留められていないが、その強大な影響力は現代に生きる私たちにまで及んでいる、というのだから、これは単なる「歴史の中の一エピソード」として聞き流すわけにはいかない。

アマテラスの義弟たちは古代の呪術を巧みに操る有能な呪術師であった。

彼らは、当時の族長であったアマテラスの陰にあって、日向族内部の実質的な権力を掌握していた。スサノオとアマテラスの婚姻(すなわち日向族と出雲族の同盟)によって、自らの”影の権力”が危うくなると判断した彼らは「もし婚礼を行うなら呪術によって後世までたたるような呪縛をかける」と人々を脅した。しかし、彼らの意に反して、スサノオとアマテラスの婚姻は実行に移されてしまう。婚姻が行われたのを見届けると、怒りと怨恨に身を任せたアマテラスの義弟たちは、出雲族の聖地とされる土地や、日本の重要なエネルギースポットを次々と封印して回った。

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エネルギー的な封印は、現代にも影響を及ぼしているとのこと。

しかし、それに対応すべく動いている人々もいるので、不安に思う必要はない。

 

上記の本の中で、アーリオーンはアマテラスの義弟たちを表す数字は「四」であると語っている。

そして、アマテラスの義弟たちが隠れ、逃げ込んだ地域は四国であるとも言っている。

四国・・・「四」がつく。

 

「四国・・・どこなんだ?」

内側に深く入っていき、「私」に問いかける。

 

薄っすらと「高知」と浮かぶ。

 

四国と言えば阿波忌部氏を思い浮かべるが、忌部氏には光側のエネルギーを感じる。

 

出雲族は言い換えると蘇我氏だ。

蘇我氏と対立した人々として描かれるのは物部氏。

 

高知と物部氏は関係があるのだろうか・・・調べてみる。

 

南国市物部(ものべ)という地名が浮かび上がる。

かつては物部村という村があったとのこと。

物部氏と関係がありそうな地名だ。

この地では「いざなぎ流」という古神道・陰陽道が独自に伝えられているという。

 

さらに調べるとこちらの記事に辿り着いた。

 

参考になる内容も多く有難く読ませて頂きました。

リンクを貼らせて頂きます。感謝をこめて。

 

 

リンクの記事にも書かれているし他の方も書いているが、「いざなぎ流」を調べてみると、かなり「呪術」の要素が強いもののようだ。

かつては呪いたい相手に向けての呪術も行っていたという話もあるようだ。

 

「四国」「物部」「呪術」というキーワードは、アマテラスの義弟たちを思わせるのに十分だとも言える。

 

かつてアマテラスの義弟たちが隠れ住んだ場所なのだろうか。

そして、有能な呪術師であったアマテラスの義弟たちが残した呪術を、この地では形を変えながら伝承してきたのだろうか。

 

ここで断っておきたいのは、現在、この物部の地に暮らす人々と「アマテラスの義弟たち」を直接結びつけてはならないということだ。

当然のことながら長い時の流れの間には、様々な人々がこの地に移り住んできたと思われる。

誤解のないように読んで頂きたい。

 

 

上記リンクの記事では「いざなぎ流」のいざなぎは、イザナギノミコトからとったものではないと書かれている。

しかし、私はあのイザナギからとったのではないかと思う。

イザナギは出雲族と対立した日向族の族長クラスの者の名だとアーリオーンは語っている。

 

 

リンクの記事には、物部の祭で使われる面についても書かれている。

この物部の面と似たような面を使う祭が、大分県の国東半島でも行われているとのことだ。

 

国東半島は、宇佐神宮から程近い。

要するに、秦氏(日向族)の影響の強い地だ。

 

祭に使う面が、秦氏と物部氏の繋がりを物語っている。

 

このことからも「いざなぎ流」という名は、日向族の族長イザナギからとったと考えるのが自然だと思う。

 

 

南国市物部は、剣山からも遠くない。

剣山近くの祖谷のあたりは、阿波忌部氏が暮らす場所だ。

阿波忌部氏が暮らす場所を見張るかのような近さとも考えられる。

 

剣山には聖櫃(アーク)に纏わる話などもある。

エネルギー的に最重要と言っても過言ではない場所だと思う。

アマテラスの義弟たちが隠れる場所として、剣山の近くの土地を選んだ・・・ということも想像に難くない。

 

私は忌部氏は蘇我氏と同族ではないかと感じている。

大嘗祭に使う麁服(あらたえ)を用意することができるのは阿波忌部氏だけだ。

それは、忌部氏こそが祭祀を担う正当な氏族であることを物語っている。

 

アーリオーンは皇位継承の証を保持していたのは出雲族だと明かしている。

それを奪い取ろうとしたのが日向族だ。

皇位継承の証は「物」ではないので奪い取ることが出来なかったのだろう。

故に、日向族を表す数字である「三」を冠した「三種神器」なるものを用意したのだろう。

 

正当な皇位継承者を排出する出雲族の中に、祭祀を担う正当な氏族である忌部氏が含まれるのは自然なことと思う。

 

 

明治維新は、日向族の流れを汲む者たちによるクーデーターと言って良い。

明治維新後、台頭した存在としては財閥が思い浮かぶが、代表的な存在と言えば三井と三菱だろう。

 

三井は藤原にルーツがあり、三菱の創始者である岩崎弥太郎は高知県の出身だ。

幕末に動きまわった坂本龍馬が高知出身なのも、もちろん偶然ではないのだろう。

 

 

岩崎弥太郎の出身地を調べてみると、現在の安芸市ということだ。

物部村は安芸市から近い。

 

 

これらの全てが繋がっているとは言い切れないが、これだけの情報が揃えば繋がっていないとも言い切れないだろう。

 

アマテラスの義弟たちを追うと、秦氏と物部氏の繋がりが見えてきた。

 

 

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出雲大社や弥彦神社など、四拍手で参拝する神社がいくつかある。

 

この記事で書いたように「四」は、アマテラスの義弟たちを表す数字だ。

アマテラスの義弟たちは、出雲族にとっての聖地や、日本の重要なエネルギースポットを封印していった人々だ。

 

要するに、四拍手で参拝する神社は、エネルギー的な封印を強く施している場所、もしくは、出雲族と対抗した人々と強い縁のある場所と考えて良さそうだ。