完璧主義なきらいがあるためなかなか書けなかったが、完璧じゃなくてもいいから思ったままを書こうとPCに向かっている。
いつもお世話になっているAikoさんから数ヶ月前に紹介されたこの本。
私は犯罪者ではないし、これまでも犯罪をしたことはないが、なんだか気になって自分に必要な気がしたので読んでみることにした。
結論としては、読んで本当に良かった。
読む前は、デール・カーネギーの『人を動かす』に書かれている「盗人にも五分の理を認める」のような内容を深掘りしたものだろうかと考えていた。
そういう側面もあるが、さらに深い内容だった。
犯罪を犯した人自身が、「なぜ自分はこのような行為をするに至ったのか」を本当に理解するところから始めるというものだった。
それをせずにただ反省を求めても、表面上を取り繕った言葉を述べるだけで腹の中では反駁し、本当の反省や更生には至らないというのが著者の主張だ。
これがなぜだか今の自分にとても響いた。
私は犯罪をしたわけではないが、ここ数年ずっと罪悪感と焦燥感を持っていた。
2021年1月頃には適応障害を発病し、4月に休職をした。
翌年4月に復職するも再発し、6月に退職した。
病気はうつ病に移行し、手帳を申請するところまで来てしまった。
これらのことについて上司や会社にも腹が立ったが、それ以上にもっと私がうまくやれれば、もっと我慢できればという思いがずっとあった。
本には、自分の中にある強い怒りや恨みの気持ちが外へ向かえば犯罪になり、内に向かえばうつ病などの精神疾患になるとあり、とても腹落ちした。
著者が犯罪をした人の更生に関わる際に、彼らに取り組んでもらうことに「ロールレタリング」というものがあると紹介されていた。
これは、彼らが犯罪行為をして被害者(あるいは故人)となった人たちに自分の本当の思いを綴った、出さない手紙を書くというものだ。
そうすると彼らの多くは、はじめは「看守や検察、裁判員、裁判長などからの心証が悪くなる」と抵抗感を示すが、そのうちに被害者への恨み辛みを書き出す。
「あなたが〜〜をしたから私はあなたに暴力を振るったのです」
「あなたがあんなことをしなければよかった。こうなったのはあなたのせいです」
といった具合に。
それらの強い感情が彼らの親や養育者に向くこともある。それも自由に書き出す。
自分でも気付いていなかった自分の奥深い気持ちに気付いて書き出した時に、彼らは自分の本当の気持ちに触れ、そのうちに「被害者にあんなことをしたなんて、自分は本当に申し訳ないことをした」と本当の反省をし、更生への道を進み始めるという。
これらの道筋は簡単なものではなく、時間もサポートも要るし、自分の気持ちをなかなか書けない人もいるようだが、なんだかとてもわかる気がした。
ああ、そうか。
そのように思ってもいいのか、そう感じてもいいのかと思ったら肩の力が抜けた感じがした。
私が適応障害を発病する少し前から、自分への信頼を失ってる気がしたと思っていたと言う上司がその時に助けてくれたら。
まだ心療内科にも行く前だったが、十数年振りに抗不安剤を飲んだこともさらに上の上司に話していた。
その時に好きだったマチアプで知り合った男性から会った後に突然ブロックされたりしなかったら。
休職してからも実家で療養できてたら。傷病手当も十分にもらえて一人暮らしよりも不安なく過ごせていたかも知れない。
高2から始まった弟からの暴力に22、3で逃げてからずっと一人で暮らしてきた。
最後に帰ったのは大震災の直後で、正月もいつもひとり。コロナ禍の時すら家族からは何の連絡もなかった。
20の時も25の時にも精神疾患に罹ったけど働かないわけにはいかなかった。
これらの病気は家庭環境の影響もあるだろう。
虐待児の脳は物理的に損傷すると聞く。私は10代後半からの出来事だけれど、脳にも影響があるかも知れない。
小学6年くらいの時と、20くらいの時に解離症のような経験がある。
最近、健忘というのを知った。私は学生時代の友達と話していても明らかに記憶がない。
実家から逃げたのも22、3くらいだった気がするくらいでいつ頃か覚えていない。
解離性同一障害まではいかないだろうと思うけど、健忘してる時期があるように思う。
そんな中で専門も卒業し、保育士もやり。
派遣から大企業の正社員になって部内一位も取って、本当に本当にがんばって生きてきたと思う。
20代前半から都内での一人暮らし。保証人が立てられないのでオートロックの物件も諦めるしかなかった。
駅前から家の近くまでつけられたり、ポストに付けた南京錠を切られて郵便物チェックされたり。
夜中のインターホンやドアを開けようとする音、ドアポストをパタパタと開けられたり。
一度セラピーでマシになったけど、引っ越したらまたインターホン怖い病が出てしまった。
母からは延々と続く訳のわからないメール、ある時に卑猥な内容を送られてからメールも嫌になった。
通知の音が怖くて嫌いになり、それからは音をオフにしている。
弟の暴力を止めるどころか焚きつける母に、助けてくれない親父。
高2で母が入院してから、部長だった部活を辞めて家事やって。
弟に作った食事を目の前で捨てられてからは料理はやらなくなったけど、4人分の掃除と洗濯は私がやってた。
誰もやらないから。
汚くても気にしないし、掃除しても気付かない。
毎日暴力を振るってくる弟の服を洗濯する。
なぜ?
助けて欲しかった。
助けて欲しかった。
助けて欲しかったんだよ。
世の中には本当に素晴らしい人がたくさんいるよね。
このような状況でも、母親代わりをしたり、兄弟の学費を稼ぐ人とかもいる。
私はそこまで優しくなかった。なりたいとも思っていないが。
今でも覚えているのが、母が嘔吐してしまった後に自身で拭いていた。
「そこも残ってるよ」と声をかけると「お前は冷たい」と言われたこと。
そうだと思う。
私は結構ね、非情で冷徹なところがあると思う。
自分としてはね、嫌いじゃない笑
最近亡くなってしまった漫画家さんについて、「遺書が出てきたら真実がわかるだろう」といったコメントを見た。
だが、それに対し「自死してしまう人は自分自身を強く責めている。だから自身を責めるようなことは書かれていても、誰かや企業などについては書かれていないんじゃないか」というコメントを見た。
私は、自死する時は親や弟、前職の奴らに対してボロクソに書いてやると思っている。
どれだけお前らを恨んでいるか、憎んでいるか、知れ。
でも、だからまだ生きてるんだろうなと思った。怒りが外にも向いているから。
私はこの本を読んで、他人は好き勝手にものを言ってきてうっとうしいから言わないけど、自分の中では助けて欲しかったと考えたり、怒りを感じていいんだと思ったらとても楽になった。
この本を読んで、怒りが湧いてくると同時にずっと抱えてきた罪悪感と焦燥感が減っていくのを感じた。
怒りはパワーだ。上手く使えば行動を促す。悪いことばかりじゃない。
だけど、若い頃のように何クソ精神だけでは動けないし動かない方がいいとも思っている。
あれは、若かったからできたことだ。今は別の動き方、戦い方を考えなければならない。
私はこの本に出合えて本当に良かった。
心理や精神に関する本はたくさん読んできてそれらも良かったが、今の私にとって力を取り戻させてくれる本だと思った。
これを読んだ後に、まさに裁判所へ提出する反省文を書く機会があった。
なんというタイミングだろうか。
でも、この本を読んでいたおかげで、書く前に湧いてくる強い怒りの気持ちを受けとめてノートに書き殴ることができて、心からの反省の気持ちをしたためることができたように思う。
久しぶりにたくさん字も書いたことから、年賀状を返していなかった二人に手紙を書くこともできた。
ここ数年で年賀状の数は減り、前職の人たちからは続々とLINEもブロックされたりと人が離れているのを感じているけれど、そんな中でも20年近く年賀状だけでもやりとりをしている人がいることを改めてありがたく思うことができた。
親や家族にも、前職の人たちにも感謝の気持ちはある。
だからって嫌な気持ちも怒りもなくなることもない。
たくさんありがたいこともあったけど、嫌なこともあった。
どちらかを認める時に、もう一方を否定することもない。
今の自分を助けてくれる本を読めてありがたかった。
生きてる限りは諦めずに進みたい。