「武士」の成り立ち | 坂本龍馬資料館ーRyoma Museumー

坂本龍馬資料館ーRyoma Museumー

坂本龍馬のみならず、様々な歴史や文化の素晴らしさを広めていけたら良いなと考えております。歴史好きな方との交流も深められたら大変嬉しく思いますので、何か御座いましたらお気軽にTwitterまでご連絡下さい。

※武士に関しては様々な説や解釈が御座いますので、一つの説としてお読み下さい。

■武士とは?


ぶし?さむらい?もののふ?つわもの?

よく書籍やゲームに道場する言葉ですが、何が違うのか?

意外に知られていない「武士」について少しお話ししたいと思います。

まず、「武士」とは何なのか?

「武士(ぶし)」とは、日本で平安時代頃に発生した戦士を指し、戦闘を家業とし家系を持つ者を指します。
明治維新をむかえるまで存在し、江戸幕府が消滅するまで天皇から政権をお預りして、国の政を代行していました。

では、「さむらい」や「もののふ」「つわもの」とは?

「武士」とは、全ての武家の者を含んだ言葉になります。

さらにその中から、「武」を生業にした職業を行っていた者を「武官」と呼びました。

逆に「文」を生業としていた者を「文官」と呼びます。

簡単に説明しますと、「兵士として戦ったり、お城を守る警備の仕事をしたり」、現在で言うところの「警察官・自衛官・警備員」の様な仕事をしていた武士を「武官」と呼び、「国の政治」や「文芸・学問に関わる仕事」、現在で言うところの「役所」や「学校の先生」などの仕事をしていた武士を「文官」と呼びました。

そして、更に武士は以下の呼び名で呼ばれ、位分けされる事があります。

・武勇を持って武力で朝廷に仕えていた者を「もののふ(武士)」

・合戦に参加する者「つわもの(兵)」

・家政・警固・警備を担当する者「さむらい(侍)」



例えば武勇を持って仕えた「源義経」は、天下一の「もののふ」と言えますし、合戦で類無き勇敢さと強さを見せた「真田信繁(幸村)」は日本一の「つわもの」と言えます。

元々は「さぶらう」を語源とし「守る」職業をしていた者を「侍」と呼んでいましたが、江戸時代に入ると、合戦が無くなり「もののふ」や「つわもの」と言った呼び方はあまりされることが無くなり、武士の中で主君に仕えるものを「侍」と呼ぶようになり、主君に仕えていない者(無職)を「浪人」と呼ぶようになります。


■「武士」の成り立ちは?

では「武士」はどうやって生まれたのか?

正直、これはよく分かっていないというのが現状になります。

いくつか説があるのですが、一つの説では全てを説明が出来ないので、あらゆる説や要因が重なって「武士」が誕生したのではないかと思われています。

まず、「武士」が生まれた「平安時代」とはどういった時代だったのでしょうか?

「平安時代」とは延暦十三年(794年)に桓武天皇が平安京(現在の京都府京都市)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指します。

また京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで、政治上ほぼ唯一の中心であったことから平安時代と称されます。


そして平安時代は「平安貴族」と呼ばれる通り、「天皇」と「貴族」による政治が中心になり、「きらびやかな都生活」や「蹴鞠」や枕草子や源氏物語に代表される「和歌・貴族生活の日記・恋愛物語の女流貴族文学の隆盛」などの「国文学」が繁栄し「文化面」において非常に発展した時代になります。

ところが、「貴族」が豪華に振る舞っている反面、政治的には荒れていた時代でもあり、「百姓等の一般民」は疫病や災害による風水被害や厳しい年貢の取り立て・財政難が発生しており、「富豪層」と「一般百姓層」の格差はますます増大し、「一般百姓」は次第に富豪の支配下に組み込まれ「非常に苦しい生活」を余儀なくされていく事になります。


このままでは、農園を失ったり、家族を餓死させてしまうと、百姓が「家族やその土地を守る為に」武装して立ち上がった者達が「武士」になったとする説が「在地領主論」と呼ばれる一つの武士起源説です。

鍬を刀に持ち変えた者が「武士」となり、鍬を持ち続けた者が変わらずその後も「百姓」であった様で、この説が武士起源説の主流になっております。

しかし、これだけでは全ての武士起源を説明する事が出来ず、他にも以下の二説にも注目がされています。

一つ目が平安時代中期、貴族社会の「内部」における分業の変化のなかで、武芸を家芸としてする「氏族」が登場し、これがやがて「武士」となっていったとする職能に由来するという「職能論説」

又、二つ目が、天皇の分身として各国に派遣された国司による地方行政機構である「国衙」と呼ばれる人達が「国内の治安維持にあたるため」の軍事体制の軍事力の担い手として登場してきた職業戦士が「武士」となったとする「国衙軍制論」。

様々な武士起源説が存在しています。


■「武士道」とは? 

「武士道」とは、「武士」が守るべき倫理・道徳規範及び価値基準の根本をなす、体系化された思想一般をさします。

「武士」は生まれた時より、戦士としての「知識」「哲学・学問」そして「武芸」を学び、その中心には必ず「武士道」の教えや思想がありました。

新渡戸稲造

しかし、日本の教育者である「新渡戸稲造」が、外国人に「日本人とは何ですか?」と質問された時に、「日本人の心の根本には武士道がある」と1900年にアメリカ合衆国で「Bushido: The Soul of Japan」という本を刊行しました。

この本が世界的に評価され、セオドア・ルーズベルト、ジョン・F・ケネディ大統領の他、ボーイスカウト創立者のロバート・ベーデン=パウエルなど、多くの海外の読者を得て、明治四十一年(1908年)に「武士道」というタイトルで日本語訳され出版されます。


新渡戸稲造によれば「武士道」とは本来、武士が守るべき道徳ですが、町人・百姓等の日本国民のほとんどが「武士」への憧れを持っていて、自ずと日本国民の心の根本には「武士道」が宿っていると述べられております。

その為、「武士道」という言葉は、広義の意味では日本独自の常識的な考え方を指す場合もあります。

では、具体的な「武士道」とはどういったものだったのでしょう?

「武士道」を説明するには、日本に古くからある「神道」の教えと、「儒教」という中国の思想家「孔子」の倫理観が非常に密接に関わって来ます。

「武士道」の教えには数多く残されているものがありますが、その中心となっているものに、「五常の教え」というものがあります。

正式には「五常の徳」と言い、「儒教」から「武士道」に組み込まれた倫理観になります。

「五常」とは「仁・義・礼・智・信」の五つの教えであり、武士は必ず守らなくてはならないとされています。

現在でも「剣道」の道場によっては、稽古前に塾生はこの「五常」を口に出して唱えてから行う所もあります。

「仁」とは思いやり。
「義」とは正義。
「礼」とは礼節。
「智」とは叡智工夫。
「信」とは信頼。

更に武士道では、「忠」と「孝」を付け足す事があります。

「忠」とは誠を尽くす事。
「孝」とは目上の者を大事にする事をさします。

ここに「仏教」の思想が混じり、「武士道」という概念が生まれました。

その為、現在においては「剣道」や「武道」の中で引き継がれておりますが、道場には神棚があり、剣の稽古前には必ず神礼を行ったり、道具には魂が宿るので物を大切にしましょう、竹刀や刀は武士の魂であるので跨がないといった考えは「神道」から来ており、先祖を敬い大切にし、着物には家紋を付け家名を守るといった考えは「仏教」から来ております。

「武士道」は様々な宗教や思想、武士の経験が入り交じり生まれた、日本人特有の精神であると言えます。







このblogを読んで、もし良かったと思っていただけたら、ぜひいいねと読者登録をよろしくお願い致します。
読者登録は以下のボタンからでも可能です。
読者登録してね