お知らせ1

 

新ページへ移ります

 

 

お知らせ2

 

当ブログは、日月神示の語句を全体より検索出来るようです

 

検索方法は、下図

 

 

右上「このブログを検索する」のところに

 

調べたい語句を入力すると、一覧が表示されます

 

日月神示の検索にこのブログは、使用できますので、これ以上加筆せず

 

新しいブログへ、引っ越しをします、よろしくお願いします

 

日月神示関連リンクページ

 

日月神示語句選別

https://www2.hp-ez.com/hp/yukinosadako/

日月神示全文

https://www4.hp-ez.com/hp/heiwatori

 

 

  ・第41帖・・・
人はいつも深刻な顔をして考え込んでいますが
考え方にも幾通りもあるのです
考えは迷いですと言ってあるのは
皆さんのような場合です
皆さんは苦に向かい苦に勝ったつもりで
苦を楽しんでいますが
苦とは曲がることだと知らせてあるでしょう
苦を作り出してはならないのです
苦を楽しむより楽を楽しむ心の方が高い境地です
苦しむと曲がり楽しむと伸びるのです

  ・第42帖・・・
未来に燃えることが現在に生きることです
人は現在に生きる努力が足りないのです
夢ばかり追いかけていては泡沫うたかたです
人は先祖に対する考え方が間違っているのです
先祖は自分ではないですか
地下にある自分の根が先祖でしょう
根の無い草木はすぐに枯れる道理です
先祖は家を継いだ兄が祀っているから
分家した自分は先祖は祀らなくても良いのだと
言っているのですが良く考えて下さい
根から芽が出て幹となり
枝が栄えているのと同じことです
枝には根は要らないと言うのと同じ間違いなのです
分家しても先祖を祀らなければなりません
先祖を疎かにしてはいけません
気を付けているでしょう

  ・第43帖・・・
人々はまだ方便を使っていますが
方便の世は終わっているのです
方便の教えとは横の教えで
いろはの教え、平面の教えのことです
仏教もキリスト教も回教もみな方便でしょう
教えは皆方便なのです
教えではどうにもならない
ギリギリの世になっているのです
みちでなくてはならないのです
変わらぬ大道でなくてはならないのです
方便の世は終わって「ほうべん」の世になり
その「ほうべん」の世もやがて終わるのです
みちとは三界を貫く道のことです
宇宙に満ち満つ「・」のあり方で法則です
秩序で神の息吹きで弥栄えで喜びです
分かりましたか

  ・第44帖・・・
この道に入ると損をしたり病気になったり
ケガをすることがよくあるのですが
それは大難を小難にして
またメグリが一時に出て来て
その借銭済ましをさせられているのです
借りたものは返さなければならない道理です
損もよいし、病気も良いと言ってあるでしょう
その道理をわきまえず理屈を言っていますが
そのような人々の機嫌取りをする暇は
無くなったので早く神心になって下さい
人は祈りが足りないのです
祈りと言うのは心で祈り願う事では無いのです
実行しなければならないのです
地上の人は
モノとしての行動をしなければならないのです
口と心と行いと三つ揃わなければいけないと
言ってあること忘れたのでしょうか

  ・第45帖・・・
誠に祈れと言ってあるでしょう
誠とは〇12345678910
の事だと言ってあるでしょう
ただ心で祈るばかりでは
自分で自分を騙すことになるのです
自分を偽ることは神を偽ることになるのです
誠で祈れば何事もスラリスラリと叶う
結構な世の中なのです

  ・第46帖・・・
考えていては何も成就しないのです
神界と交流し神界に生きて
神界と共に弥栄えすれば良いのです
人間だけの現実界だけで処理しようとするのが
今までの考え方です
今までの考えでは人間の迷いです
迷いを祓って真実に生きて下さい
ミタマ鎮め、神鎮めです
人は信仰のあり方を知らないのです
ミタマ鎮め、神鎮めです
人は信仰の在り方を知らないのです
長い目で永遠の立場からの幸い歓喜がお蔭です
局部的一時的には嫌な事も起って来るのです
天地を信じ自分を知り人を理解するところに
誠の弥栄えがあるのです
騙す人にはだまされて下さい
一先ずだまされて、騙されないように導いて下さい
人はそのような場合に我を出すからしくじるのです
だまされてやろうとするからカスが残るのです
誠に騙される修業が大切でしょう

  ・第47帖・・・
八のつく日に気をつけて下さい
八とは開くことです
物事は開く時が大切なのです
第一歩の前に〇歩があるのです
〇歩が大切です、心して下さい
人は行き詰まって苦しんでいますが
それは間違った道を歩んで来たからです
行き詰まりは有り難いのです
省みる時を与えられたのです
ミタマを磨きさえすれば何事もハッキリと写り
楽に行けるように道がシッカリ作ってあるのです
人それぞれに応じていかようにでも開け行くのです
犬猫でさえ楽々と栄えているでしょう
洗濯次第でどんな神徳でも与えるのです

  ・第48帖・・・
世界中を泥の海にしなければならないところまで
それより他に道が無いところまで
押し迫って来たのですが
なお一厘の手立てはあるのです
大神様にお詫びしてすっかり心を改めて下さい
神々様も人々も心得違いが多いのです
泥の海となる直前にグレンとひっくり返して
ビックリの道があるのです

  ・第49帖・・・
人々の用意が足りないのです
日々の人の御用と神の御用と和すように
神の御用が人の御用
人の御用が神の御用となるのが誠の道であり
弥栄えの道であり、大歓喜なのです
いつでも神かかれるように
いつでも神かかっているように
神かかっていても
自分も他人にも分からぬようになって下さい
すきを取る百姓が自分を忘れ大地を忘れ
鍬を忘れている境地が誠のミタマ鎮めであり
神カカリなのです
そこらでやっている行も神カカリに至る
一つの道ではありますが
それだけではならないのです
気をつけ合って良い方向に進んで下さい
自分が歩む道なのです
道は自分で歩まなければならないのです
他人におんぶされたり
他人が歩かせてくれるのでは無いのです
自分の力ちからで自分自身の苦労で
人を助けなければならないのです
人を助ければその人は神が助けるのです
この道理がどうして理解出来ないのでしょうか
人を助けずに自分を助けてくれと言っても
それは無理と言うものです
神にも道は曲げられないのです

  ・第50帖・・・
何も難しいことを言うのでは無いのです
自分の内側の自分を洗濯して
明らかに磨けば良いのです
内にあるものを浄化すれば
外から近づくものが変わって来る道理です
内側の自分を洗濯しないで
汚いものが近づくとか世の中が暗いとか
不平を言っておりますが
そこに人の間違いがあるのです
木でも草でも中から大きくなって行くのです
三千年に一度の時がめぐり来ているのです
為せば成る時が来ているのです
為さねば後悔するのです
時が過ぎてから種を蒔いてもくたびれもうけです
人は世の中が悪いとか
人が良くないとか言っていますが
全ては大神の肚の中にいて
一応大神が許されていればこそ存在し
生命しているのです
悪く映るのは心の鏡が曇っているからです
悪い世の中、悪い人という事は
神を悪く言い、神界が悪いのだと言うのと同じです
新しい世界には新しいてんし天詞
てんかを作らなければならないのです
このことを間違えないで下さい
珍しき御型方が出て来てビックリです
ビックリしなければひっくりとはならないのです
神は今まで化けに化けていたのですが
もう化けてはいられないのです
人々ももう化けては居れないのです
九分九厘までは化けて我慢していたのですが
化けの世、方便の世、方便の教えは終わったのです
教えでは世は正すことは出来ないのです
教えの集い集団は潰れてしまうのです
無理をしてはいけません
人の無理押しは良い事を悪く曲げるのです

  ・第51帖・・・
世界を一つにするのですから
王はヒトリ秘答理です
動きは二つとなるのですが
二つで無いと動かないのです
キはキの動き、ミはミの動きです
動いて和すのです
和すから弥栄えるのです
和せば一つで、「キミ」となるのです
人は自分と他との境界を作っているのですが
境界を作ってはいけないのです
境界を作らないで自ずからなるのです
自他の別を生み出さなければならないのです
世界一家のやり方を間違えているのです
それぞれのコト言のハ葉はあるのですが
ミコト実言は一つと知らせてあるでしょう
大難は小難にすることは出来るのですが
無くすることは出来ません
不足は不足を生むのです
人は口を慎んで下さい
人は一度神を捨てて下さい
神にしがみついているから小さな囚われた
ゆとりの無い神を自分で作り上げているのです
信じれば信じるほど危ないのです
大空に向かって大きく呼吸し
今までの神を捨てて心の洗濯をして下さい
神を信じつつ迷信に落ちているのです
よく心得て下さい

  ・第52帖・・・
人はつまらない事にいつも心を残すから
つまらない事が出て来るのです
心を残すという事は霊界とのつながりがある事です
つまらない霊界に
いつまでくっついているのでしょうか
何事も清めて下さい
清めるとは「和す」ことです
同じもの同士では和では無いのです
違ったものが和すことによって
新しいものを生むのです
奇数と偶数を合わせて新しい奇数を生み出すのです
それが誠の和であり清めなのです
善は悪と、陰は陽と和すことです
和すには同じあり方で
例えば五と五との立場で和すのですが
位においては陽が中心であり
陰が外で無ければなりません
天が主であり地が従でなければなりません
男が上で女が下です
これが和の正しいあり方です
逆さまではいけません
これを公平と言うのです
口先ばかりで良い事を言うと悪くなるのです
心と行が伴わなければなりません
分かり切ったこの道理が行われないのは
人々を取り巻く霊の世界に幽界の力が強いからです
人々の心の大半を幽界的なもので占めるからです
自分自身の戦いくさまだまだでしょう
自分自身の戦は中々ですが正しく和して
早く弥栄えが結構なのです
自分の持つ悪い癖を治して下さい
そのクセを治すことが御神業です
自分で世界を建て直すような
大きな事を言っていますが
自分のクセを治すことが最も大切な御用でしょう
これに気づかないと落第です
おそれ怖れてはいけません
怖れは怖れを生むのです
喜んで喜んで喜びを生むのです
喜びは神です
神様自身も刻々と弥栄えしているのです
ゆえにこそ神様も成長なされるのです
人も同じでなくてはなりません
今の自分です
中今の自分に生きなければなりません
自分にどんなに力があったとしても
を出してはならないのです
我を出すと力ちからが無くなるのです
我を大きな我に昇華させて下さい
大我に融け入らなければなりません
大我に融け入ったとしても
小我が無くなるのではないのです
人を拝んで下さい、物を拝んで下さい
拝むと自分の喜びとなり
拝まれたものも喜びとなるのです
うれし嬉しとはそのことです

  ・第53帖・・・
これほど細かに言っても得心出来ないのなら
得心の行くまで思うままにやって見て下さい
人は神の中にいるのですから
いくら暴れまわっても神の外には出れないのです
死んでも神の中にいるのです
思うようにやって見て早く得心改心して下さい
改心して仕事嘉事として仕え祀って下さい
結構なことです
人は自分は悪くないが周囲が悪いのだ
自分は正しい信仰をしているのだから
家族も知人も反対する理由は無い
自分は正しいが他が正しくないのだから
正しくない方が正しい方向に従って来るべきだと
言っているのですが
内にあるから外から近寄るのですと言ってあるでしょう
人は無抵抗主義が平和の基だと言って
右の頬を打たれたら左の頬を差し出していますが
それは真の無抵抗では無いのです
よく聞いて下さい
打たれるようなものを自分が持っているから
打たれる結果となるのです
誠に磨けたら、誠に相手を愛しているなら
打たれるような雰囲気は生まれないのです
頬を打たれないで下さい
生まれ赤子を見て下さいと知らせてあるでしょう

  ・第54帖・・・
頭を下げて見て下さい流れて来るのです
頭も下げないで低くならないでいては
流れては来ないのです
神の恵みは淡々とした水のようなものです
人は頭が高く天狗なのです
天狗の鼻を曲げて自分の臭いを嗅いでみると良いのです
人は左に傾いているのです
左を見なければなりませんが片寄って歩いてはならないのです
人は右を歩きながらそれを中道と思っているのです
人は平面上を行っているので
中道のつもりで他に中を行く道は無いと信じ込んでいますが
それでは足りないのです
立体の道を早く悟って下さい
正中の大道があるのです左でもなく、
右でもなくうれし嬉しの道があるのです
左も右も上も下も総体の結果の世界です
原因の中に入らなければなりません
平面より見れば相対はあるのですが
立体に入りさらに複立体、
複複立体立立体の世界を知らなければなりません
相対では争い、戦いくさなのです
真の世界平和は今のやり方では成就しないのです
三千世界平和から出発しなければならないのです
人は神示をよく読んでいるのですが
それだけでは足りないのです
神示を肚に入れなければならないのです
付け焼刃ではなりません
神示を血として生活すれば
何事も思う通りスラスラと面白いほど栄えて来るのです
思うようにならなかったら省みて下さい
自分が自分に騙されて
自分のためだけに行っている事に
気づかないのでしょうか
それが善であっても自分のためだけなら
死んで善のための善なら弥栄えるのです
善にも外道の善があるのですから
心して下さい神示を見ていないとビックリが出て来るのです
この世始まって無いことが出て来るのです
世界の片端浜辺から出て来るのです
分かりましたか人は神体を偶像と言っていますが
それは人が偶像である証拠なのです
礼拝を忘れ、祈りを忘れることは
神を忘れることです
人の住む段階では祈り畏み謹んで
実践しなければならないのです
拝まなくても拝んでいる境地はなかなかなものです
人は自分が助かろうとするから助からないのです
世界はこの世ばかりでは無いことを
良く得心して下さい
我を捨てて素直になって下さい
三千年の時が来ているのです

  ・第55帖・・・
人はよく腹を立てますが
腹が立つのは慢心からです
よく心得て下さい
下腹からこみ上げて来る怒りは大きな怒りです
怒っても良いのですが
怒りの現わし方を出来るだけ小さく出来るだけ清く
出来るだけ短くして下さい
怒りには清い怒りは無いと考える人もいますが
怒りにも清い怒りや澄んだ怒りがあるのです
人はいつも自分の役に不足を言う癖があるのです
その癖を直して下さい
長くかかってもいいので根の音からの改心結構なのです
手は手の役足は足、頭は頭の役がそれぞれ結構なのです
役の上下に貴賤(きせん身分が高い人と低い人)が
無い事は分かっているはずですから
早く改心して下さい
この神示に縁がある人は
この神と極めて深い縁があるのです
縁があればこそ引き寄せて苦労させているのです
今度の御用は苦の花を咲かせる事です
真理に苦の花が咲くのです
神示に縁がある人は因縁の人なのです
一を聞いたら十じゅう分かるのです
言われない先に分かって貰わなければなりません
知らせてからでは味が無いのです
十人並みなのです
今度の御用は千人力です
十人並みの人では間に合わないのです
人間の目は一方しか見えないのです
表なら表、右なら右しか見えないのです
表には必ず裏があり
左がありから右があるのです
自分の目で見たのだから間違いないと
人は我を張っているのですが
それはただ一方的な真実なのです
独断は役に立たないのです
見極めた上にも見極めなければならないのです
霊の目も一方しか見えないのです
霊人が何でも分かっていると思うと
大変な間違いが起こるのです
一方と言っても霊界の一方と
現界の一方とは一方が違うのです
人はなかなか立派な理屈を言いますが
理屈も必要ではありますが
泡あわのようなものです
自分の財産にはならないのです
体験の財産は死んでからも役に立つのです
懺悔ざんげして下さいと言っても
人の前で懺悔してはいけません
人の前で出来る懺悔は割引した懺悔です
割引きした懺悔は神をだまし
自分をだますことになるのです
悔い改めて深く省みて下さい
深く恥じ畏れて下さい
心して慎んで下さい
直ちに良い神界との霊線がつながるのです
霊線がつながれば
その日その時から良くなって来るのです
気持ちが曲がったら霊線が切り替えられるのです
  ・第21帖・・・
大奥山から流れ出た宗団は
ひかり教会だけでは無いのです
いくらでもあるのです
たくさん出て来るのです
ですから大奥山に集まった者が皆
光教会員では無いのです
それぞれのミタマの因縁によって
いろいろな集団に属するのです
この点は良く心得て下さい
大奥山はあっても無い存在なのです
人の頭で消化出来るような
小さい仕組みはしていないのです
大奥山だけに関係を持つ人もいるのです
囚われてはなりません
三千世界を一つに丸めるのがこの度の大神業です
世界一家は目の前です
分からない人は邪魔をしないで
見物していて下さい
神の経綸しくみは間違い無いのです

  ・第22帖・・・
産土うぶすな様にもよくお願いして下さい
忘れてはならないことです
宗教に凝り固まって忘れる人が多いのです
他の神を崇拝してはいけないという
その人の信仰はそれだけのものです
早く卒業結構なのです

  ・第23帖・・・
他の宗教に走ってはいけないという宗教も
それだけのものです
分からないと言ってもあまりなのです
同じ所に天国もあり地獄もあり
霊界もあり、現実界もあり
過去も未来も中今にあるのです
同じ部屋に他の神や仏を祀ってはいけないと言う
一方的な見えない宗教には
見えない人が集まるのです
病気が治ったり運が開けたり
奇跡が起こったりするだけを
お陰と思ってはいけないのです
もう少し大きい心
深い愛と真の世界を拝んで下さい
融け入って下さい
浄化が第一なのです
お金が好きならお金を拝んでも良いのです
区別と順序さえ心得ていれば
何様を拝んでも良いのです
お金を拝めばお金が流れて来るのです
お金を拝むことが出来ない意固地さが
自分を貧しくしているのです
赤貧せきひんは自慢にならないのです
無神論も自慢になりません
清貧せいひんは負け惜しみ
清富せいふになって下さいと言ってあるでしょう
清富こそ弥栄えの道で神の道です
大日月大神様の誠の大道なのです

  ・第24帖・・・
怒ってはなりません
急いではなりません
怒ると怒りの霊界との霊線がつながり
思わない怒りが湧いてモノを壊してしまうのです
太神の仕組みに狂いは無いのです
皆々安心してついて来て下さい

  ・第25帖・・・
食物は科学的栄養だけに囚われてはなりません
霊の栄養が大切です
自分と自分と和合して下さいと言ってありますが
肉体の自分と魂の自分との和合が出来たら
もう一段奥の魂と和合させて下さい
さらにまた奥の自分と和合して下さい
一番奥の自分は神なのです
高い境地に入ったら
神を拝む形式は無くても良いのです
為すこと、心に浮かぶこと
それ自体が礼拝となるのです
山も自分、川も自分、海も自分なのです
草木動物悉ことごとくが自分であり、歓喜です
その自分が出来たら天を自分として下さい
天を自分にすることはムにすることです
〇に化すことです
ウとムと組み組んで新しいむムとするのです

  ・第26帖・・・
現状を足場として進めなければなりません
現在の自分の置かれた環境は自分が作りあげたものです
山の彼方かなたに理想郷があるのでは無いのです
自分は自分の足場から出発しなければならないのです
今の環境が地獄に見えようとも現在においては
それが出発点なのです
それより他に道は無いのです

  ・第27帖・・・
祓いは結構なことですが
厄払いだけでは結構とはなりません
それはちょうど悪を無くせば
善だけの地上天国が出来ると思って
悪を無くすることに努力した結果が
今日の大混乱を招いたのと同じなのです
良く考えて下さい
善と言うのも悪と言うのも
皆悉ことごとく大神の肚の中なのです
大神が許し給えばこそ存在しているのです
この道理をよく会得して下さい
祓うというのは無くする事では無いのです
調和することです
和して弥栄えすることです

  ・第28帖・・・
厄も払わなければなりませんが
福も払わなければなりません
福祓いをして下さい
厄祓いだけでは祓いにならないのです
厄祓いだけをしたので今日の乱れた世相となったのです
この分かり切った道理がどうして分からないのですか
悪を抱き参らせて下さい
善も抱き参らせて下さい
抱いだくには〇にならなければならないのです

  ・第29帖・・・
元を正さなければなりません
間に合わない事になるのです
心の改心をすればどんなお陰でも取らせるのです
外国は火の雨です
世界一度に改心なのです

  ・第30帖・・・
心の入れ替えをして下さいという事は
新しい神界との霊線をつなぐ事です
人は我が強いので我の強い霊界との交流が
段々と強くなり、我の虫が生まれて来るのです
我の病になって来るのです
その病は自分では分からないのです
訳の分からない虫が湧くのです
訳の分からない病気が流行ると言ってあるのは
我の虫が湧く事なのです
肉体の病気ばかりでは無いのです
心の病気が激しくなって来るので気を付けて下さい
人々にもその事を知らせて共に栄えて下さい
この病気を治すのは今までの教えでは治らないのです
病気を殺してしまって病気を無くそうと思っても
病気は無くならないのです
病気を浄化しなければならないのです
悪を殺すという教えややり方ではいけないのです
悪を抱き参らせて下さい

  ・第31帖・・・
足の裏をきれいに掃除して下さい
外から見えない所が穢けがれているのです
日本の国も世界も同じです
見えない所が穢れているのです
出雲の神の社やしろをかえて
竜宮の乙姫理由空云の音秘様のお社を
理空に作らなければこれからの世は
動きが取れないことになるのです
一切が自分であるという事はたとえでは無いのです
人は食物は自分で無いと思っていますが
食べるとすぐに自分となるでしょう
空気も水も火も大空も自分なのです
山も川も野も海も、植物も動物も同様です
人間は横の自分です
神は縦の自分です
自分を見極めなければなりません
自分を疎おろそかにしてはいけません
一切を受け入れなければなりません
一切に向かって感謝しなければならないのです

  ・第32帖・・・
世界連邦と言っていますが
地上世界だけの世界連邦では成就しません
片輪車でいつまでたってもドンテンドンテンです
心して下さい
なぜ霊界、神界をひっくるめた
三千世界連邦としないのでしょうか
要らない苦労はしないことです

  ・第33帖・・・
誠から出たことは誰の願いも同じです
心配しないでドシドシと進めて下さい
もし行き詰まったら省みて反省下さい
行き詰まった時は大きくひらける時です
だからと言って人間心で急がないで下さい
急ぐと道が見えなくなって来るのです
人の考えている事は自己中心なのです
我よしの小さな我よしではならないのです
大きな我よしが結構なのです
犠牲になる事は尊いことだと言っていますが
犠牲に倒れてはならないのです
自分を生かすために他を殺すのもいけません
自分を殺して他を生かすものいけません
大の虫を生かすために小の虫を殺すことは
止む負えない事だと言ったり教えたりしていますが
それもいけないのです
全てを殺さずに皆が栄える道があるでしょう
どうして神示を読まないのですか

  ・第34帖・・・
神かかりはやめて下さい
人は学問に囚われているのです
科学を超えて神の学に生きて下さい
人は自分で自分の首を絞める様な事をしているのです
自分で勝手に小さい自分の神をつくっているのです
一度その神を捨てて下さい
固く抱きしめたり閉じ込めているから
分からないことになり行き詰まるのです
分かりましたか
と分からない我に気を付けて下さい
今一息というところです

  ・第35帖・・・
化け物に化かされないように気を付けて下さい
お陰を落とさないようにして下さい
良い事を言って良い行いをしても
良くない人がいるのです
良くないことも御用の一つではありますが
まだそれを消化するところまで行っていないのです
小学生が大学生の真似まねをしてはなりません
人にはまだ欲があるのです
小さい自分ばかりの欲を捨てて下さい
そして誠の大深欲になって下さい
その気持ちさえ動いて来れば
何事も見事に成就するのです

  ・第36帖・・・
行は世界中の行ですから
誰一人逃れるわけには行かないのです
メグリを清算した人から
うれし嬉しになる仕組みです
心配は一応は無理の無いことですが
どこでどんな事をしていても
ミタマが磨けてさえいれば心配が無くなるのです
心配はミタマが磨けていない証拠なのです
物が不足するとこぼして居りますが
物に不足するのは心に足りない所があるからです
心が至れば物が至るのです
何事も神の言う通り素直にして下さい
素直は結構なことです

  ・第37帖・・・
人のやることはいつも時が外れているのです
餅を搗くには搗く時があると知らせてあるでしょう
時の神を忘れてはいけないのです
春には春のこと、夏には夏のことです
人々は御神業だと言って
他に迷惑をかけているでしょう
そこから改めなければならないのです
鼻つまみの御神業は無いのです
人はお先真っ暗だと言っていますが
夜明け前は暗いものです
暗い闇の後に夜明けが来ること
分かっているでしょう
神はすべてを見通しなのですから
すぐのお蔭は小さいのです
利子をつけた大きなお蔭を結構に頂いて下さい

  ・第38帖・・・
始めの喜びは食物で次は異性です
いずれも大きな驚きでしょう
それは和すことによって起こるのです
融け合う事によって喜びとなるのです
喜びは神なのです
和さなければ苦となり悲しみとなるのです
まず自分と自分が和合して下さい
そこにこそ神のハタラキがあるのです
ですがそれは外の喜びで肉体の喜びです
元の喜びは霊の食物を食べる事です
その大きな喜びを与えてあるのに
どうして手を出さないのですか
その喜び驚きをどうして求めないのですか
どうして神示を食べないのですか
見るばかりでは身に付かないのです
良く噛みしめて味わって喜びとしないのですか
喜びが神なのです
次には神との交わりで交流で和です
そこには今まで知らなかった
驚きと大歓喜が生まれるのです
神との結婚による絶対の大歓喜があるのです
神が霊となり花婿となるのです
人は花嫁となるのです
理解出来るでしょう
この花婿はいくら年を経ても
花嫁を捨てはしないのです
永遠に続く結びなのです
結婚けっこんです
何ものにも比べる事の出来ない驚きです
喜びです
花婿が手を差し伸べているのに
どうして抱かれないのですか
神は理屈では分からないのです
夫婦の交わりは説明できないでしょう
神が分かっても交わらなければ
神と融け合わなければ真理は分からないのです
何とした結構なことだと
人々がビックリする仕組みです
神と交流し結婚した大歓喜は
死を越えた永遠のものです
消えない火の大歓喜です
これが誠の信仰
神は花嫁を求めているのです
早く神の懐ふところに抱かれて下さい

  ・第39帖・・・
何事が起って来てもまず喜んで下さい
それが苦しいことでも悲しいことでも
喜んで迎えて下さい
喜ぶ心は喜びを生むのです
人が喜べば神も喜ぶと言ってあるでしょう
天地が晴れるのです、輝くのです
人は先ばかり見ているのです
足で歩くのです
足元に気をつけなければならないのです
人は自分一人で勝手に苦しんでいるのですが
皆で仲良く相談して下さい
相談は結構なことなのです
相談して悪いことは気をつけて進んで下さい

  ・第40帖・・・
分からないことは神示に聞くのが良いのです
遠慮は要らないのです
人は一足飛びに
二階に上がりたい気持ちが抜けないのです
何事も一段づつ一歩づつ進まなければなりません
それより他に進み方は無いのです
まず人の中にいるケダモノに
言向け合わさなければならないのです
良く話し、教え、導かなければならないのです
けものを人間と同じように
しようとしてはいけないのです
獣は獣として導かなければならないのです
金は金、鉛は鉛です
鉛を金にしようとしてはいけないのです
鉛は鉛として磨かなければならないのです
浄化とはそのことです
世界は七度の大変わり
いよいよの段階に入ったら何がなんだか
我よしの人々にはいよいよ分からなくなり
焦れば焦るほど深みに落ち込むのです
心の窓を大きく開いて
小さい我の我を捨てると遠くが見えて来るのです
見えたらまず
自分の周囲に知らせなければなりません
知らせることによって次の道が開けて来るのです
自分だけではうれし嬉しとはならないのです
嬉しくないものは弥栄えしないのです
冬になったら冬ごもりです
死ぬときは死ぬのが弥栄えです
遊ぶ時は遊ぶのが良いのです
言葉と時とその順序さえ心得ていれば
何をしても、何を話しても
何を考えても良いのです
  ・第1帖・・・
成り成りて成り余るところを持ち
成り成りて成り合わないところを塞いで
国生みをしなければなりません
この世の国生みは
一つ秘答通おもてでしなければならないのです
みと実透のまぐわいでなければならないのに
(ミトノマグワイ=陰陽和合)
おもてを一つにしているではないですか
それでは今度の事は成就しないのです

  ・第2帖・・・
奇数と奇数を合わせても偶数
偶数と偶数を合わせても
偶数であることを忘れてはいけないのです
奇数と偶数を合わせてはじめて
新しい奇数が生まれるのです
今度の岩戸開きには「ひるこ」生まないで下さい
淡島あわしまを生まないで下さい

  ・第3帖・・・
今度は八の隈くまでは足りないのです
十の隈くま、十の神を生まなければならないのです
その他に隠れた二つの神、二つの隈を生んで
育てなければならないことになるのです

  ・第4帖・・・
天御中主みなかぬしの神のその前に
天ゆづる日、天あめのサギリの命みこと
地ゆづる月、地くにのサギリの命があるのです
⦿の⦿の⦿です
その前に「・」があることを忘れないで下さい

  ・第5帖・・・
十くさ、十二くさの神宝
おきつ鏡、へつ鏡、八つかの剣、十つかの剣
いくたま、まがるかえしのたま、たるたま
ちかえしのたま、おろちのひれ、はちのひれ
くさくさのひれであるぞ
「むひとふたみよいつむななやここたりう」
「うたりここやななむいつよみふたひとむ」
となえて下さい、宣りあげて下さい

  ・第6帖・・・
あまてらすおおかみは
たかあまのはらをしらすべし
また、たかあまはらをしらすべし
つきよみのおおかみは
あまてらすおおかみとともに
あめのことをしらすべし
また、あおうなはらしおのやおえをしらすべし
また、よるのおすくにをしらすべし
すさなおのおおかみは
あおうなのはらをしらすべし
また、あおうなはらをしらすべし
また、あまがしたをしらすべし

  ・第7帖・・・
大奥山は神人交流の道の場であります
道は口で説くものではありません
実際に行じるものです
教えは説かなければなりません
多数決が悪多数決になる理由が
どうして分からないのですか
投票で代表を出すとほとんどが悪人か狂人なのです
世界が狂い、悪となり人々も同じになっていますので
その人々の多くが選べば選ぶ程益々混乱して来るのです
それより他に皆が得心できる道は無いと言っていますが
道はいくらでもあるのです
人々の言っているのは平面の道なのです
平面だけでは乱れるばかりなのです

立体に綾あやなせば弥栄えて真実の道が分かるのです
だからと言って独裁ではいけません
結果から見れば「神裁」です
神裁とは神人交流によることです
神はウソつきだと人々が言っても
悪い予言はウソにしたいので日夜の苦労なのです
堪こらえれるだけ堪えているのです
もう物ばかりでは治まらないこと
金きんでは治まらないこと
平面だけでは治まらないこと
良く分かっているのに兜を脱げない神々は
気の毒が来る前に改心結構なのです
遠くからでは分からないですし近づくと迷いますし
理屈を捨てて神に惚れ参って下さい

よくこの神をだましてくれたものです
この神が騙されたからこそ大神の目的が達成するのです
細工は流々、仕上げを見て下さい
区別すると力ちからが出るのです
同じであってはいけません
平等でなくてはいけませんが
区別のない平等は悪平等なのです
天に向かって石を投げるような事は
早く止めなければなりません
霊かかりも止めて下さい
人々が絶対無と言っているところも
絶対無ではありません
科学をさらに浄化弥栄えさせなければなりません
空間や時間が霊界に無いのではありません
時間空間の基準が違うから無いと考えてよいのです
奥山は奥山と言ってあるでしょう
いろいろな団体を作ってもよいですが
いずれも別れ出た集団ですから一つにしてはいけません
奥山は有って無いものなのです
無くて有る存在なのです
奥山と他のものと混ぜこぜにしてはいけません
大きな一つではありますが別々です
今までに無かった奥山のありかたです
分からないのも無理は無いのですが
これが分からないとこの度の大神業
分かりはしないのです

  ・第8帖・・・
神の御用は
神のミコトのままでなければ成就しません
皆々が釈迦でキリストなのです
もっと大きな計画を持って下さい
着手出来るところから
掴めるところから神を掴んで下さい
部分からつくり上げて下さい
を出してはいけません
人はがでいつも失敗しているでしょう
天狗ではいけないのです
心が出来たら足場を固めなければなりません
神の足場は人なのです
三千の足場、五千の足場です

  ・第9帖・・・
気の合う者だけの和は和では無いのです
色とりどりの組み合わせ
練り合わせこそ花が咲くのです
すべてが神の子で、大神の中で弥栄えです
大きな心、広い心、長い心は結構なのです
なかなか合わないと言っていますが
一つの家族でしょう
心得て下さい
夫婦喧嘩しないで下さい
夫だけが悪いのでは無いのです
妻だけが悪いのでは無いのです
お互いに自分の姿を出し合っているのです
良く会得して下さい
分からない事がさらに分からなくなるのです
聞きたいことは何でも聞いて下さい
大グレンは目の前です
阿保あほになって下さい
ひとまずは月の世になるのです
ひっくり返り、ビックリです

  ・第10帖・・・
一はいくら集めても一です
二も三も四も五も同じです
〇に返り、〇によって結ばれるのです
〇が結びです、弥栄えです、喜びです

  ・第11帖・・・
病むことは神から白紙の手紙を頂いたのだと
知らせてあるでしょう
神からの手紙を心して読んで下さい
有り難い神からの手紙なのです
おろそかにしてはなりません
腹八分、二分はまず捧ささげて下さい
運が開けるのです、病が治るのです

  ・第12帖・・・
逃げ道を作ってから追わなければなりません
相手の逃げ道をふさいで
ギュウギュウ追い詰めるから逆恨みされるのです
逆恨みでも恨みは恨みの霊団を作り出すのです
悪を抱いて消化して浄化して下さい
何もかも大神の許しがあって存在するのです
神に凝り固まっていると動きが取れない事になるのです
一度自分の持つ神を捨てると良いのです
捨てると掴めるのです

  ・第13帖・・・
木にも竹にも石にも道具にも
それぞれの霊が宿っているのです
人間や動物ばかりでなく
すべてのものに霊は宿っているのです
宿っていると言うよりは霊と体とで
一つのものが出来上がっているのです
一枚の紙の裏表のようなものです
表ばかりのものも無いのですし
裏ばかりのものも無い道理です
数字にも文字にもそれぞれの霊が宿っており
それぞれの用はたらきをしているのです
順序が分かれば初段、和に徹すれば名人です

  ・第14帖・・・
流れ出たものはまた元に帰ると言っても
そのままでは帰れないのです
天から降った雨がまた天に昇るには
形を変えるでしょう
この道理をわきまえないと悪神カカリになるのです
それは自分の自己欲から出ているのです
自己欲も無くてなならないのですが
段々と浄化して行かなけれなならないのです
自己欲を浄化して大きな自己の欲として下さい
自分だけの欲となるから弥栄えないのです
弥栄えないものは神の御心に逆行なのです
自分で判断出来ることを何故聞くのでしょうか
神に聞けば神に責任を着せるのと同じです
人間の悪い癖くせなのです
出直して下さい

  ・第15帖・・・
与えることは頂くことだと言っても
度を過ぎてはいけないのです
過ぎると過ぎるものが生まれて
生んだ自分に迫って来るのです

  ・第16帖・・・
五十九柱と言ってありますが
その中の九柱は隠れた柱です
㋳㋑㋴㋓㋵㋻㋼㋽㋾
㊀㊁㊂㊃㊄㊅㊆㊇㊈
この九柱は 〇です、心得て下さい
現われの五十柱の陰の隠れた九柱
心して大切に申し上げて下さい
真っ直ぐに真上に神を頂くという事は
上ばかりで無いのです
真下にも横にも前後にも立体360度に
真っ直ぐに神を頂かなければならないと言う事です
神人交流の第一歩です

  ・第17帖・・・
仕事の思い付きは結構なことですが
神の御意思を頂かなければ成就しないのです
神と言っても人が勝手に決めた神や
宗教で固めた制限された神では無いのです
分かっただけでは駄目なのです
行をしなければならないのです
生活しなければならないのです
芸術しなければならないのです

  ・第18帖・・・
現実的には不合理であっても
不合理にならない道を開くのが
霊現交流の道であり立体弥栄えの道です
行き詰まりの無い道、新しい世界への道です
平面だけではどうにもならない時になっているのに
何をしているのでしょうか
黒船にビックリしては間に合わないのです

  ・第19帖・・・
釈迦、キリスト、マホメット
その他世界の生命ある教祖およびその指導者を
御光の大神様と讃え祀れと言ってあるでしょう
大日月大神様の一つの現われと言ってあるでしょう
なぜ御光の大神様として斎き祀らないのでしょう
宗教しないのでしょう
そこに光教会としての力が出ないのです
人々の浮き瀬に悩むのを救うのは
オオカムツミの神なのです
この能はたらきの神名を忘れてはなりません
この神はオオカムツミの神とも現れると
知らせてあることを忘れたのですか

  ・第20帖・・・
大奥山と教会とを混ぜこぜにしてはなりません
教会やその他の集団は現われで大奥山は隠れです
大奥山はこの度の大御神業に所縁ゆかりのある神と
人とを引き寄せて練り直し御用に使う仕組みです
見ていて下さい
人々には見当が取れないことになるのです
  ・第1帖・・・
高天原、おのころに神祇かみつまります
すめむつカムロギ、カムロミのミコトもちて
千万ちよろづの神祇かみたちを神集いに集い給い
神はかりにはかり給いて
下津岩根に真理みや柱二十ふと敷建て
高天原に千木高知りて
伊都の神宝の大御心のまにまに
千座ちくらの置座おきくらにおき足らはして
天地祝詞アメツチのりとの二十ふと祝詞言を宣
かく宣らば神祇かみはおのもおのも
岩戸を押し開きて
伊頭いづの千別きに千別き給いて聞し召さむ
かく聞し召してば、天あめの国うつし国共に
罪と言う罪はあらじと
科戸しなどの風の吹き放つことの如く
朝風夕風の吹き祓う如く、大つ辺に居る大船を
解き放ち艫ともとき放ちて
大海原に押し放つ事の如く
残る罪も穢もあらじと祓い給え清め給うことを
よしはらへ、あしはらえ給いて
弥栄の御代とこそ幸はえ給へ幸はえ給え
一二三四五六七八九十百千万歳万歳

  ・第2帖・・・
大君の勅みことに禊みそぎし今朝の太陽を吸う
日々の人の御用が神の御用と一致する様に
努力しなければなりません
一致すればうれし嬉しで
生活も何一つ足りないものが無くなって来るのです
食べ物が喜んで飛び込んで来るのです
着る物が着てくれと飛び込んで来るのです
住居も出来て来るのです
心のそれぞれも同様です

  ・第3帖・・・
伊豆幣帛いづぬさを都幣帛とぬさに結び岩戸ひらきてし
ウヨウヨしている霊カカリに
まだ騙されている人が多いでしょう
何と言えば分かるのでしょうか
奇跡を求めたり我よしのお蔭を求めたり
下級な動物の入れものとなっているので
囚われているから騙だまされるのです
霊媒の行いをよく見ればすぐに分かるでしょう
早く目覚めて下さい
因縁とは言っても可哀そうだから
くどく言って聞かせているのです
誠の道に帰って下さい
誠とは
〇一二三四五六七八九十と言ってあるでしょう
その裏には十九八七六五四三二一〇です
合わせて二十二です
二二が真理だと知らせてあるでしょう
二二が富士不二・普字と言ってあるでしょう
まだ分からないのですか

  ・第4帖・・・
豊栄に栄り出いでます大地(くに九二)の太神
大掃除が激しくなると世界の人は
みな仮死の状態になるのです
掃除が終わってから因縁のミタマだけを
神がつまみあげて息を吹き返して
ミロクの世の人にするのです
因縁のミタマには神の印しるしが付けてあります
仏教による人だけが救われると思ってはいけません
キリスト教による人だけが
救われると思ってはいけません
イスラムの神による人だけが
救われるのではないのです
その他諸々の神による人だけが
救われるのではないのです
何もかも皆みな救われるのです
生かすことが救う事になる場合と
殺す小呂すことが救う事になる場合があるのです

  ・第5帖・・・
岩戸開きみほぎの宝神宝奉らまし
月は赤くなるのです
日は黒くなるのです
空は血の色になるのです
水の流れも血の色です
人々は四つん這いとか逆立ちとか
のたうつ様に一時はなるのです
大地震、火の雨を降らせての大洗濯ですから
一人だけ逃げ様としても
神でも逃げる事は出来ないのです
天地が混ぜこぜになるのです
ひっくり返るのです

  ・第6帖・・・
白玉や赤玉青玉ささげまつりし
今までは白馬と赤馬と黒馬でありましたが
岩戸が開けたら
岩戸の中から黄の馬が飛び出して来るのです
「キ」が元ですと言ってあるでしょう
トドメの馬なのです、黄金の馬です
救いの馬なのです
この事は神界の秘密でしたが
時が来たので人に伝えるのです
今までは白馬に跨って救世主が現われたのですが
いよいよの救世主は黄金の馬
キ基の馬に乗って現われるのです

  ・第7帖・・・
太祝詞宣り宣り祈れば岩戸開けん
神は一時は仏とも現れたと言ってありましたが
仏ではもう治まらないのです
岩戸が開けたのですから
蓮華れんげではならないのです
人々も改心しなければ地の下に沈む事になるのです
神が沈めるのでは無いのです
人が自分で沈むのです
人の心によって明るい天国への道が暗く見え
暗い地の中への道が明るく見えるのです
珍しいことや珍しい人が現われて来るのです
ビックリしてひっくり返らないように
気をつけて下さい
目の玉が飛び出すのです
たとえ話では無いのです

  ・第8帖・・・
千引き岩今ぞ開けたり爽すがし富士はも
神は宇宙をつくり給わずと
言って聞かせてあるでしょう
このことを良く考えてよく理解して下さい
大切な別れ道であるのです
福祓いも併せて行わなければならない道理
光は中からです
岩戸は中から開かれるのです
ウシトラが開かれて
ウシトラコンジンが出現するのです
もう邪よこしまのものが住む
一寸の土地も無くなったのです

  ・第9帖・・・
新しき御代のはじめの辰の年
れ出でましかくれいし神
かくり世も顕うつし御国の一筋の
光の国と咲き初めにけり

  ・第10帖・・・
この巻は五葉の巻と言って下さい
四つの花が五つに咲くのであります
女松の五葉、男松の五葉と合わせて
十葉と成り鳴り笑み栄える仕組み
十と一の実り、二二と輝くのです
日本晴れが近づいたのです
なんと清々しい岩戸が開けです
国土を造り固めるために根本の大神がどうして
ヌ鉾ぬほこだけを与えたのかを知らなければ
岩戸開きの秘密は解けないのです
千引き岩戸を開くことについて神は
今まで何も語っていなかったのですが
時が巡り来てその秘密の一端を
この神示で知らせるのです
素盞鳴命の誠の姿が分からなければ
通基の世の事は分からないのです
神示をいくら読んでも肝心かなめの事が
分からなければ何もならないのです

  ・第11帖・・・
何もかも前に前に知らせてあるのに
人は先が見えないし
言葉の含みが理解出来ないので
取り違いばかりしているのです
国土くにつちの上は国土の神が治めるのです
世界の山も川も海も草木も動物虫けらも
みなこの神が道具に数で作ったのです
いよいよが来たのです
いよいよとは一四一四で、五と五です
十です、十一です
クニトコタチがクニヒロタチとなるのです
クニは黄であり 真ん中です
天は青であり、黄と青と和合して緑みどり
赤と和合して橙だいだいとなり
青と和合して紫となるのです
天上天下地下となり六色となり六変となり
六合くにとなるのです
さらに七となり八となり
白黒を加えて十となる仕組み
色霊いろたま結構にして下さい

  ・第12帖・・・
横の十の動きがクラゲナスタダヨエル
縦の十の動きがウマシアシカビヒコジです
十と十と交わり和合して百となり九十九と動くのです
過去も未来も霊界には無いのです
「今」があるだけなのです
これを中今なかいまと言うのです
竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿
荒の神殿、風の神殿、雨の神殿
暗剣殿、地震の神殿、金の神殿の九柱です
総大将は国常立大神です
このこと理解して下さい
教えは無くなるのです
元の道が光り輝くのです
それを惟神かんながらの道と言うのです

  ・第13帖・・・
少しでも混じり気があれば先になって
取り返しがつかないことになるのです
今度は一厘の狂いがあってもいけないのです
柱になる人もいれば屋根になる人もいるのです
天の王と地の王をごちゃ混ぜにしているから
分からないことになるのです
その上にまた大王がいるのですが
大王は人々には見当がつかないのです
無いかの様な存在なのです
人は具体的に示せと言うのですが
人の言う具体的とは
凝り固まった一方的なものなのです
一時的なその時の現われなのです
人々が言う絶対無、絶対空は無の始めであり
空の入り口なのですそこから無に入って下さい
空に生きて下さいいよいよの世になるのです

  ・第14帖・・・
現実の事だけで処理してはいけません
常に永遠の立場に立って処理して下さいと
言ってあるでしょう
生きる事は死に向かって進む事です
誠に生きる大道に目覚めて下さい
神示を始めから読めば何事も明らかなのです
奥山はあってはいけないし
無くてはならない 存在なのです
善人の住む所は悪人の休む所と言ってあるでしょう
奥山は神界、幽界、現界の三界と通じる所
八尋殿やひろどのの左と右に宮が建つのです
奥にも一つ宮が建つのです