偏差値教育は、1957年に考案されたそう。
1957年に生まれた人は今67歳、1957年に6歳だった人は今61歳、
子どもたちの親世代どころか祖父母、もしかしたら曾祖父母も偏差値教育を受けてきているかもしれないのですね。
そんな中で、
優生思想が浸透している環境では、
成績や能力に基づいた競争が促進される傾向がある。その結果、子どもたちは他者との比較や優越を求めるような競争意識が高まり、協力や共同作業よりも個人の成功を優先する傾向が生まれる。
自分より能力の低い者や異なる背景を持つ者に対する排他的な態度が生まれる可能性がある。これにより、子どもたちは協力や共感を示すことが難しくなり、他者との関係が希薄化する。
子どもたちの自己評価が外部からの評価に依存しやすくなる。自己価値を成績や能力で測ることが一般的とされる環境では、成績が低い場合や他者と比較された場合に、自己評価が低下する。
優生思想が広がると、社会内の階層が固定化され、社会的な不平等が増大する傾向があります。これにより、子どもたちの自己成長や社会参加への意欲が低下し、個々の能力や個性を活かす機会が制限される。
この「優生思想」と聞いて、「えまさか自分が」というようには、どのくらいの人が瞬時に反応するのかな?もしかしたら多くないんじゃない?と、東大院生と話していました。
義務教育では「優生思想」は習わない、高校の倫理・政治・歴史の授業や社会科の枠組みで学ぶ「機会がある」程度だと。。。
「日本の社会では、あまり悪いって感じがないかもしれないですよね」というので、なるほどと思って検索してみたら、
「私たちの日常に根ざした普通の考え方の延長にある」のが優生思想、
もちろん「いい」とは言ってないですが、このような言葉がそこそこあります。
優生学・優生思想はなぜ悪いのですか? Quoraにもたくさん上がってますね。
そして、もっと考えようというこちらには、
―能力によって比較したり、評価したりすることに、わたしたちは余りに慣れすぎているような気がします。
日本の義務教育では「優生思想」(優生学?)は習わない、「ヒトラーの思想」も「優生保護法」も自分で考える必要のない偏差値教育を受けていたら、それはやっぱり難しいですね。
14歳には難しいかもしれないですが、