このように日本では「偏差値」が重要視されている。いいか悪いかではなく『学校=偏差値』は、検索のかなり上の方に現れる。
でも、偏差値は相対的な評価指標であって、多くの人が競争や比較を通じて自己評価を行うことを促されていることを忘れてはならないと思う。
この競争心や自己評価は、学習意欲へのモチベーションを高める、その一方でストレスや不安を引き起こす場合もあり、人間的な信頼や協力を育めずに、社会問題であるイジメや不登校の要因のひとつである。
『【ダイヤモンド•バー高校の偏差値】:数値なし、偏差値で難易度を測るという仕組みがアメリカには存在しないのです。』のようにインターナショナルスクールもそうですが、偏差値で子どもたちを相対評価しない教育はある。
そして、その偏差値のない教育を受けても、海外大、慶應、早稲田、上智、ICU、優秀な大学に進めるのです。
でも、日本ではどうしても偏差値で子どもたちを相対評価する教育に囚われてしまう。
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偏差値で子どもたちを相対評価する教育は、高い偏差値を持つ生徒が優れた成績を収める一方で、低い偏差値を持つ生徒は競争に負けるという状況を起こし、「優れた」人間と「劣っている」人間という二元的なイメージを植え付け、優生思想を助長する要因となり得る。
だからなのか、箱入りのお菓子もそうだけど、英検受かったというと友達に「何級?何級?」と聞き、自分より低ければ安心して高ければ不安に陥るというように、子どもたちと(先生や親、社会がそうだからと思うけど)話していると、この『優生思想』をヒシヒシと感じます。
数年前に話題になったこちらも、
日本人からしたらわからない白人至上主義、
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Q_日本の偏差値教育は、優生思想を産むか? 考えてみましょう。
長くなったので、つづきます。