「いじめはなくせない」が前提になってるってどうしてなんでしょうね? | インターナショナルスクール式・グローバルに活躍するチカラ/楽しい子育て・グローバル教育!

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息子のインターナショナルスクールでの学び、自身の仕事を通して感じた教育問題、楽しくグローバルに活躍するための子どもを育てる、インターキッズを主催しております。

 

 

こちらの続きです。

 

 

いじめ問題で検索してYouTubeをみていたら、学校や教育委員会の対応の実態、隠蔽報道がどんどん出てきました。

 

横に流れてきたAbemaのこちらの番組、なんかよくわからない・・・でした。

 

 

15:56〜

 

パックン氏が「この議論に参加している皆さんは根絶できないと思ってることにすごいショック」と発言されていらっしゃるんですが、ホントにびっくりマーク

 

この番組だけじゃなくて、検索してもそうで「いじめはなくせない」が、日本社会の前提にあるってどうしてなんでしょうね?

 

 

 

ついでに、ものすごく違和感を感じたこちら、

 

6:27〜

 

パックン氏が「原因」と「要因」の言葉の違いを説明しようとしたところから、どっちでも同じじゃんと言う司会者の声が流れて、人の話を聞こうと言う感じではなく、

 

パックン氏の説明を聞いても、すごい小声で「なるほどね」、そのままただ進行されて、途中で、原因って言葉を要因にしたほうがいいと若干笑いが混じる。

 

自分の知らないことを言われた時に、それに対してなんの意見もなしで流す、で少し笑う。こういうのは日本にありがちだけど、えええ?すごく失礼じゃないの?

 

こう言うふうに流して少し笑いを含むのは、一般の人が意見した側だったら、馬鹿にされてるのか、意見していけなかったのか、なんかよくわかんなくなっちゃうんじゃないですかね。(番組なので、進行から外れそうな発言は流すのかもしれないけど)

 

 

 

と書いていたら、いつもお世話になってるたゆさんのブログのこちら、

 

右差しフランスのバカロレア試験から見た日本人の 思考力不足についての考察

 

 

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フランスの高等学校の共通卒業試験にあたるバカロレアは、大学への入学資格試験も兼ねていることから、日本の大学入学 共通テストにも比せられる。筆者はフランスのバカロレア問題(哲学)を日本のビジネスパースンとともに解答を試みた。その 結果わかったことは、バカロレアに出題される抽象度の高い課題に対してまったく歯が立たない思考力しか持てていないという 事実だった。

 

フランス社会はそびえる岩壁のような困難な社会課題を前に、それでも登頂ルートがあるに違いないと確信する人々を 多く育てようとしている。  

 

対する日本は、そもそもこういった抽象度の高い課題に向き合う 機会に乏しく、向き合う場合も結論に向かって合理的に答えを出す ことを練習する機会が非常に少ない。その結果、日本人は「難しい 問題だから答えは出ない」と登頂ルートを求める姿勢を早々に放棄してしまう。

 

険しい岩壁を前にして、複数の登坂ルートの中でどれを選ぶべきかを議論できるフランスに対して、

 

日本では岩壁を前にしてルート があると言えるだけの思考力がある人が少なく、岩壁を前に退却し てきた者同士が登頂は無理だと言い合っているような状況と言える。

 

フランスでは抽象度が高く結論が分かれやすい問題について、向き合い、合意をめざす方法が社会実装され(社会実装することにこだわり)、困難であっても結論(合意)に至れるという理性への信頼を形成している。そしてこの状況がフランス人の 長い伝統や固有の性質ではなく、19 世紀初頭からの 200 年あまり の教育の成果であり、彼らがつくり上げ、大切にしてきた結果である ことに注目したい。 

 

 他方、日本人が抽象度の高いテーマについて考えることができな いのは、方法を学んでいないこと、社会実装されていないことが理由であって、日本人が古くから持つ変えがたい国民性ではない。  

 

日本人は議論がへたで、議論するより和をだいじにするのだとい う説明があるとしても、それは議論をするための素地をつくる努力 を怠ってきたことのいいわけに過ぎない。  

 

フランスに限らず、欧州ではこういった抽象度の高い問題を合理的に考える努力を積み重ねてきた。そのことが欧州が人権や環境問題などさまざま社会課題に対して、主導的な地位を保つ理由である。 そしてその地位に立つことを日本には不可能と考える理由はない。

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世界でも日本の算数はトップレベルだと言われています。でもそれはフランス人が哲学を勉強してきたように、日本人は何度も何度も、同じ問題を練習してきた、100マス計算だって演習だって何百回も計算を訓練していると思う。

 

社会の問題を解決する時に計算がいらないとは言わないけど、それはエクセルでもなんでもAIが勝手にしてくれるでしょう、でも解決のアイデアはAIでは出てこない。

 

なんの練習もしてなくてはじめから「無理ー」「イジメはなくせない」「できない」が前提になっていたら、一生できないですよね。

 

 

文部科学省の令和4年度 「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」より

 

 

令和4年のイジメの認知数は小学校で55万件以上、でも認知されないケースは山のようにあるので、実際はもっと多いんだと思います。

 

フランス人だって日本人だって同じ人間だから大きな知能の違いはないから、練習すればできるはずアップ

 

 

 

 

インターナショナル式の学び、グローバルディスカッション・プレゼンテーションクラス

 

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