「夢がある」と嘘つく意識高い“風”大学生 | とある大学生による福音書 〜ニッポンのバイブル〜

んにちは。

 

こーへーです。

 

 

 

大学一年生の頃、

 

 

「俺はこんな夢を叶えたいんだ!」

 

「こんなことをしたいから一緒にやらない?」

 

 

なんて言ってる大学生に

僕は疑いの目を向けて接していた。

 

 

 

 

その理由は簡単だ。

 

 

 

僕にはその「夢」と呼ばれるものがなかったからだ。

 

 

 

幼稚園から高校卒業まで

サッカーしかしてこなかった僕は

大学入学と同時に、

 

「何か熱中できるものを探さねば。」

 

「将来したいことを見つけないと。」

 

と焦っていた。

いつも心がそわそわしていた。

 

 

 

そんな僕とは対照的で、

 

なんか将来したいことが明確であるかのような

彼らを僕は受け入れることができなかった。

 

 

 

もちろん悔しさもあったからだ。

 

自分はあのように公言できる夢がないと。

 

 

 

ただ、それと同時に、

 

 

“それは本気で言っているのか?”

 

という疑問が頭から離れることがなかったからでもある。

 

 

 

たかが19歳のピチピチ大学生である。

 

そんな簡単に生涯を通してやりたいことを

見つけることなどできるのか?

 

知識や経験もないのは当然である。

その夢は見つけたのではなく、

決めたのではないのか?

 

 

そんな疑問が頭の中に溢れていた。

 

 

 

 

僕は長い間この「夢」に対する考え方に

答えを見出そうとした。

 

 

 

そして、あるイベントでヒントを得た。

 

 

それはたくさんのベンチャー企業が集まる

スタートアップイベントである。

 

 

登壇する彼らの本気度、情熱、想い、

まさにそれらは本物だった。

 

 

今まで聞いてきた大学生の

「〇〇をやりたい!」

とは全く違った。

 

 

その決定的な差は、

その夢を叶えたいという想いの差であると感じた。

 

 

どういうことかというと、

 

本気で夢を叶えようとしている人たちは、

社会の課題解決の側面を目標として置いており、

 

 

それは、“正義感”“使命感”という言葉が

お似合いだった。

 

 

所詮、大学生の語る夢など

見栄や欲や理想でキラキラ固めただけの

中身のない殻ではないか。

 

と、思った。

 

 

実際そういう奴ほど

学生団体を立ち上げては半年も持たず、

「なんか違うなぁと思って…」とか言い始める。

 

 

誤解を招きそうなので加えるが、

決して夢を語るのが悪いと言いたいわけではない。

 

 

なぜなら、そのイベントで

僕は本気の「夢」に心動かされ、賛同したからだ。

 

 

 

そして、

 

長年求めていた「夢」に対する考え方の

納得する答えも得られた。

 

 

 

 

それは、

 

 

自分に夢ややりたいことがなくても、

他人の「夢」を一緒になって叶えることはできる。

 

 

という答えである。

 

 

 

僕は幸運なことに、

人のために動くことが好きで、

友達に喜んでもらえそうなことは率先してやる。

 

 

一睡もしないで誕生日動画を作ったりすることにも

1ミリも苦を感じない。

 

 

だからこそ、

わざわざ自分で何か見つけなくても

幸せに生きることはできるのだとわかった。

 

 

人の夢が自分の夢にもなるんだと。

 

 

この答えを得られたのは、

とっても大きな収穫だった。

 

 

 

 

 

また、先月くらいには、

 

 

リクルートの人事の出身の方に

「夢ややりたいことがないんです。。。」

って相談すると、

 

「自己実現なんて30.40代くらいに

ならんと見えてこないよ。」

 

 

って言われて、

自分が最初抱いていた疑問が

間違っていなかったんだなと思えた。

 

 

 

 

こんな経験を踏まえて、

 

僕は自分に嘘をついてまで、

夢を語ろうとは思わない。

 

 

夢はない。と正直に言う。

いつかビビッと何かを悟るその日までは。

 

 

 

今はひたすら気になることを追っかけて、

ワクワクすることを全力でやってればいい。

 

 

 

 

どこかで聞いたことがある、

 

人生は死ぬまでの暇つぶし”だと。

 

 

明確に見える道筋だけが正解ではない。