パチンコといういわゆる合法性をまとった違法な博打 |    敷島のうた

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しきしまのやまと心を人とはば、朝日ににほふ山ざくらばな

自虐史観から抜け出そう。
誇りを持とう。
愛国の心を持とう。
国を守ろう。

私はパチンコ、競馬等々、やったことがない。と言うか、言い訳ですが二十歳の時に一度だけパチンコをやったことある。(遊びのお付き合いで)
しかし、景品交換などは考えてもみなかった。

パチンコの景品交換とは偽りであると多くの人が思っている。ようは、景品となる「あるもの」を受け取り、「そのあるものを現金として買い取ってもらうお店で売る」ということ。

すなわち、景品交換とは偽りで、パチンコという行為はお金を賭ける賭博行為そのものなのだ。

年金をパチンコに注ぎ込む人を私は知っています。
年金を賭け事に注ぎ込むということは生活の破綻を意味します。
なぜなら、賭け事っていうものは、常に胴元(賭け事をする主のこと)が儲かるから。
そもそも、パチンコ業界を経営している人たちは韓国系だという。その本国の韓国では、、、
パチンコそのものを廃止しているでしょう。



パチンコ店の隣にひっそりと小さな窓の景品交換所があるという事実は異様だ。

私の妻の兄はパチンコ好きなので、かみさんはパチンコを擁護している。
庶民の楽しみだというのが、その理由。

節度をもって博打を楽しむのは否定するところではない。しかし、麻薬などと同じにそれにそまってしまったなら、継続性をもって、精神を蝕むという事実。

麻薬や、博打と同等の意味をもつならば、廃止する、って議論があってもいいのではないかと私は思う。