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サムトッシュのブログ

わたくしサムトッシュの興味・趣味の赴くままに書き連ねるブログです。

明日にやろうと今日は終わりにし、明日になると理由をつけてやらなくなる。


頭の中は、できもしない明日のことでいっぱいだ。


心はいつも不安で、何も実績残せていないのに、出来ない明日だけはぎゅうぎゅう詰めのパンパン状態。



人間はなりたいものになれる!成功者は言う。


なりたいもののやり方に沿って、やることを一つひとつ実現していけばなれないことはない!


ただ、その途中の道が苦しかったり、思い込みで無理だと決めつけてしまったり、周りがそれを許してくれないと思い込んだりすると、自分とも向き合えなくなり、実現はますます遠ざかる。



なんと勿体ないことか!成功者は言う。



若者よ!迷わず進め!それが君らの特権だ。



年寄よ!でも人生、それだけじゃない。


誤魔化し、さぼり、夢ばかり見てたあなたの足は、成功者と同じ大きさだ。




 7才の男の子が、北海道の林道に置去りにされ、七日後に保護された事件、見つかってなによりでしたが、実に興味深い事件で、私の頭の中では不謹慎ながら、ついつい「山の民」という言葉が浮かんでしまいます。


 躾でそこまでやるか?という議論もありますが、「公園で人や車に向かって石を投げる」というやんちゃぶりが目に余る子供に対して、親としてはここで引き下がってはならぬという思いもあったはずで、それはそれとして分かるような気がします。

 ましてや、一回置去りにされたとき、泣きながら車を追って、車に入れたら入れたで叱られたことも忘れて笑いだすというしたたかさを持つ子供、自分がそういう子の親なら、どうするかは別にして、優しい言葉を使って常識を諭すなんてことは出来ないだろうと思ってしまいます。


 だからと言って、親に対して手放しに同情、擁護するわけではありませんが。。。ただ、毎日が子育ての渦中にいる親に対して常識的な判断のみで評価を下すのは無理だろうと思われます。


 また、逆に、最近は陰惨な子殺し事件なんかもあるわけで、そういうものが我々の頭をよぎるのも無理はない。そういう事件に対して、我々の感覚も少なからず慣れてしまっているところがあるのも事実だと思います。


 そういう大人たちの勝手な思いの中で、それを上回る成果(?)を出したこの7歳児は、やはり注目せざるを得ないでしょう。


 けど、まだまだ解明されない点がありますよね。私はその疑問が解決されない限り、やはり「山の民」が助けたとしか思えません。そんな人間が増えないためにも、ぜひ、以下の点をはやく解明していただきたい。



 ①子供が林道を歩くことなく、山に入ったこと

 ②警察犬が置去り現場からまったく動かなかったこと(臭いの痕跡が断たれているということ)

 ③30日夜に両親から「山の上のほうを重点的に探してほしい」という要請があったこと

 ④明かりもない獣道を怪我もなく歩けたこと

 ⑤他人を探して、助けを頼むことなく自衛隊の建物の中でじーっとしていたこと



 何はともあれ、見つかってよかったのは確かです。


 TVでは伊勢志摩サミットに続くオバマフィーバーに溢れていた。


 なんか、スーパースターがやってきたみたい。


 マイケル・ジャクソンと同等の扱いでオバマを見ちゃうんだよね、なんていう人もいる。


 そのスーパースターは広島にも来た。


 アメリカ大統領が広島に来たのだから日本の首相も真珠湾に来るべきだという話が出てるという。


 なにそれ?


 アメリカの原爆と日本の真珠湾攻撃は同等か?


 原爆は一般市民を殺戮した。普通に生活している人を一瞬にして灰にした。


 日本が攻撃した真珠湾は軍港だろ。



 なんかおかしい?



 空襲だってそうだ。東京大空襲なんて大殺戮であり、大量虐殺じゃないの?



 しかし、そんなことを言っておきながら、不謹慎と思われるかもしれないが、昔、疑問に思ったことがある。


 東京大空襲は皇居からどう見えたのだろう?


 どんな景色だったのだろう?


 明治宮殿は消失したらしいが、周りが炎の地獄と化しているとき、ポツンと火の手のあがらない皇居。


 逃げ惑う人々を招き入れるとか、負傷した市民の救助最前線に利用してもらうとか思う人はいなかったのだろうか?


 声をあげてそれを叫んでも、時代に、慣習に掻き消されてしまった、そんなことになってたりしなかったのだろうか?


 もちろんそんな時代じゃないというのは分かる。


 その世、天皇は神だった。


 けど、もちろん神じゃない。


 人間だ。


 であれば、人の心はそんなに変わるものじゃない。


 目の前に苦しんでいる人がいれば助けたいと思うし、泣き叫ぶ子供がいればあやしてあげたいと思うのが人情ではないだろうか?


 もし、そのような声をあげたのが、昭和天皇だったりしたら。。。


 しかし、周りの者に前例がない、統制がとれないという理由で、その声が潰されてたりしてたら。。。



 被災地に赴き、常に被災者に寄り添う今上天皇と皇后陛下の姿を見ると、ついそのような夢想がよぎる。


 オバマ来日から始まった勝手な夢想でした。




 

 

 

  

  

「日本放送作家協会主催 第44回創作ラジオドラマ大賞」作品です。


実は私も第44回創作ラジオドラマ大賞に応募したんです。

いつもFMシアターの作品にあーだこーだ言ってますが、いざ、自分がラジオドラマの脚本書いてみると難しいですね。しかし、懲りずに次回もまた応募しようと思っています。


といわけで、そのコンクールで大賞を受賞した作品「佐恵子の話」、受賞のお話しは日本放送作家協会さんのHPで拝見しておりましたので、どういう作品なのだろう?と気になっていたのですが、登場人物が二人のみという50分のラジオドラマを持たせるには難しいと思われる構成ですが、それに挑戦し、見事、大賞を受賞、この世界観の繊細さは確かに二人ドラマがぴったりではないかと思いました。


いいですよね、セリフに無理がない。


なんというか、日常、我々が使っている言葉でお話しは進んでいくのだけど、それだけでは済まされない二人の関係になっている。

きっと、分かりやすくするのなら、お互い、ひとりになったときのシーンで叫んだり、泣いたり、ひとしきり後悔したりという描写を入れたりするドラマもあったりするけれど、そうはならない。

せいぜい、吉井が「もっと甘えてくれたっていいじゃないか!」というセリフぐらい。


最期まで「佐恵子さん」「吉井さん」と呼び合う二人。

きっとお互いの人生で一番時間を一緒に共有しあった二人だっただろうに、二人にとってはこの関係が良かったのでしょうね。



ところで、最後の吉井と佐恵子とそれに続くエンディングのナレーションが気になった。

それはこんな感じ。


 SE(吉井のセリフの前に流れる音、これ何なんですかね?工房の機械音ですかね?)


 吉井「あー、朝か。コーヒー、入れようか?。。はは(自嘲気味に)」

  ⇒佐恵子がいないことに気付く


 佐恵子「(天からの声のように)吉井さん、仕事、無理しちゃダメですよ」

  ⇒既に亡くなってしまった


 ナレーション「第44回創作ラジオドラマ大賞作品『佐恵子の話』でした」

  ⇒なぜか、このナレーションも佐恵子と同じように(ちゃっかり?)天からの声になっている

 

どこかホッとするこの最後の部分、なんか良かったです。



一つあるとすれば、「佐恵子の話」というタイトルが、どこか第三者的な視点が感じられる気がしました。佐恵子と吉井以外の誰かが現れるのかと思ったが、そうではなかったですね。

誰に向けた佐恵子の話だったのかな?とふと思いました。


出演者の写真


 こういうお話しって好きなんですよね。あすなひろしの名作漫画「青い空を白い雲がかけてった」(古いか!)の雰囲気をなんとなく思いださせてくれるんです。やっぱ青春の優しくて暖かい時間を描くのに適した季節は夏ですよね。

 

 で、大人になった今の自分がこういうお話しを聴いたとき考えるのは、大人になったかがりとまさゆきはどうなってるんだろうな?と思ったりするんです。

 きっといつまでもお互いの人生を歩みつつ、かといって切れない関係が続いていくのでしょうね。それぞれの人生で挫折を覚えたとき、ふと傍にかがりが、まさゆきがいる。けど、それ以上ベタベタせず、けど、離れることはない。どこか胸には期するものはあるんだけど、お互い、別々に家庭を築き、子供も出来て、大変ではあるけれど、そこそこ幸せな人生を全うする。

 

 兄妹ともまた違うこの二人の関係性はどことなくエロチックで、かと言って爽やかで、兄妹以上に兄妹っぽい。そんな感じがしたのです。

 

 今、どこからか蚊取り線香の香りが風にのって運ばれてきました。

 5月だけど、今日も夏日でしたね。。。だんだん本格的な夏が近づいてきます。

 

 出演者の写真