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サムトッシュのブログ

わたくしサムトッシュの興味・趣味の赴くままに書き連ねるブログです。

 いつも通るわけではないが、時々通る道の脇に結構広い空き地が出現したとき、「はて?今までここに何があったんだろう?」と思う時がある。

 

 知らないはずはないのだが、思い出せない。知らなきゃ知らないで何も問題ないのだが、下手に知ってる道だけに気になってしまう。

 

 そんな場合、最近は、グーグルマップのストリートビューなんて便利なものがあったりするから、それで確認すれば、わからないことはない、なんてケースもあったりする。

 

 実際、自分の家の近所の画像は、家の前を流れる川の両岸に沿って続く道の撮影日が、それぞれ一年違っていたりするもんだから、向こう岸からこっち側を見た景色と、こっち側から見たこっち側の景色が同じ場所なのに全然違っていたりする。今はもうないアパートが向こう岸から見るとちゃんと存在しているのだ。まるでタイムスリップだ。

 

 タイムスリップといえば、全然話は変わるが、最近、自分の生まれる前の家族の写真を多数、見る機会があり、これも一種のタイムスリップのようだった。自分がいない時間を共有している若い両親、幼い兄姉の白黒写真。

 

 なんとも不思議だ。

 

 自分の知らない時間を敢えて知る必要もないし、知ってどうするわけでもないのだけれど、確実にあった時間をこういうものから想像してみるのは面白い。

 

 そういえば、NHKのファミリーヒストリーも面白かったな。もうやらないのかな?あれ、よかったのに。

 

 

 

 このゴールデン・ウィーク、1980年の大河ドラマ「獅子の時代」を見ている。幕末から明治維新の改革期を描いた山田太一脚本のドラマ。主人公は二人、会津藩士の平沼銑次(菅原文太)と薩摩藩士の苅谷嘉顕(加藤剛)。どちらも架空の人物だが、官軍と賊軍と呼ばれる立場の二人が主人公というところが、このドラマのミソだ。


 明治維新は階級闘争だ。その根本のキーワードは不平等。最初は欧米列強排除だったものが、力のある欧米列強にいいようにあしらわれ、不平等な条約を結んでしまった江戸幕府不甲斐なしに変化し、幕府を倒せ!になり、実際、幕府は倒れ、明治の世となった。


 不平等は国の根本すら倒しかねない。それは今でも変わらないのか?というニュースがあった。



 機内で暴れる乗客、ファーストクラスの存在が原因?


 頭上の荷物入れやアームレストを巡って争ったり、殴り合いや蹴り合いに発展したり、客室乗務員を怒鳴りつけたり――。旅客機の乗客がそんな騒ぎを引き起こす一因はファーストクラスの存在にあるかもしれないという研究結果が、2日の米科学アカデミー紀要に発表された。(CNN.co.jp)


 記事によると、エコノミークラスの乗客が騒ぎを起こす確率は、ファーストクラスがない旅客機の3.84倍に上るらしい。確かに飛行機に乗るとき、豪華なファーストクラスの通路を通って、エコノミークラスの自分の席に座ることが多い。そのとき、いつも、心の中になにかざわざわしたものを感じることは否定できない。



 この論文をまとめたカナダ・トロント大学のキャサリン・ディセレス准教授は、「人は貧しさや不平等を感じると行動に出る傾向が強まる」と解説する。


 このニュースはアメリカのニュースだが、日本でも同じようなニュースはある。ときにはファーストクラスに乗る人が騒ぎを起こし、フライトができないなんて事件もあった。


 今の日本社会は平等な社会だ。しかし、相変わらず貧富の差はある。それは平等な社会の中での結果であって、生まれに発するものではないというのが建前だ。要はうまくやればファーストクラスの切符を手に入れる権利は誰にでもありますよ、というのが今の社会だ。そのために様々な人がチャンスを狙って生きている。ある意味、魑魅魍魎が跋扈する社会でもあるが、それはそれで健全な社会だ。


 問題なのは、手に入れた人間のその後が問題なのだろう。



 「社会的に高い地位にある人が自分の地位を意識すると、反社交的で高慢な態度になり、思いやりが薄れる傾向がある」とディセレス氏。


 人間は弱いものだ。だから強くなりたいのだ。金が欲しいのだ。偉くなりたいのだ。その気持ちにいったん素直になったうえで自分はどうするか、常に問い直していかないといけない。自分の生を全うするために、平穏な生活を守るために、その考えは必要なのではないだろうか?


 でないと、不意打ちをくらった不平等感をもってしまう。暴力に訴えてしまう。その種を知らぬうちに育ててしまう。


 そして、歴史は繰り返していく。




 毎年開催されるBKラジオドラマ脚本賞のコンクールで佳作になった作品です。


 タイトルの「簿記の先生がうるさい」にやられた感満載の作品ですが、作者の方のお名前も「こたつめがね」さんと仰り、このペンネームにもやられた感満載のところがあります。勝手なイメージですが、井上ひさしさんがこたつに入っている図が思い浮かびました。


 作品の内容は、数字にうるさい簿記の先生と、女子高生たちの純粋な友情が描かれる作品で、個人的にこういう雰囲気の作品は大好きです。なかなかFMシアターではこういうテーマが取り上げられることは少ないのですが、このテーマの作品にはハズレがないように思います。


 で、こたつめがねさんが今回の受賞後にツイッターを始めたらしく、それを見つけたので、フォローさせていただいたのですが、このツイッターが面白い。なにが面白いって、BKラジオドラマ脚本賞を受賞した人が、その作品が放送されるまで、どういう経験をするのかが、すべて書かれているのです。


 詳細は記述することはできませんが、台本が完成するまでの流れであったり、放送されるまでにどういうレベルの直しがどの程度発生するかが書かれていて、それがドキュメントを見ているようで面白い。


 きっと、これは、こたつめがねさん自体が昔から知りたかったことだったに違いない。で、自分がその立場に立たれたので、同じ思いの人達に向けたこたつめがねさんからのメッセージだったように思う。


 そういう志をもった作家さんには、これからもどんどん作品を産みだしていってほしいですね。


出演者の写真


 

 鏡に映る自分の顔は自分にとって完璧な自分である、と自分は思っていて、いつでもどこでも、自分はこういう顔をして、他人も自分をこういう顔をした人として見ているのだろうと思っている。(顔の作りが美しいとかそうでないという次元ではない)


 しかし、ふとしたはずみで、街中のビルのガラスに映ってしまった自分の顔を見てビックリしたりする。何にビックリするかって、そこに映っているのは、いつも鏡で見ている自分の顔とは違って、目が半開きで怪しい目つきだったり、口が半開きでしまらない顔になってたり、暗いというか、パッとしないというか、とにかく自分の思惑とは違う顔なのだ。


 な、なんだ、これは!こんな顔、自分の顔じゃない!なんで、こんな顔を映すのだ!このガラスめ!と心の中で目の前のガラスを罵り、いつもの鏡に映る自分の顔を呼びよせて、そっとそのビルのガラスに映したりする。よし、大丈夫だ。そうそう、これが自分の顔だね、と不安に震える自分の心を安心させて、颯爽と再び街中を歩きだしたりする。


 そして、数分、歩いてふと気が付くのだ。


 いや、待てよ。さっき、ビルに映った顔は自分じゃないと思ったけど、もしかしたら、俺は普段、あの顔を世間に晒しているんじゃないのか?今まで俺に接してきた人間は、あのビルのガラスに映った自分の顔を元に俺と付き合ってるんじゃないか?そうか、そう言えば、思い当たる節は多々あるぞ。どうやら、俺は鏡に映っていた自分の顔よりも、あのビルのガラスに映っている顔のほうが実は本当の自分の顔なのではないだろうか?


 既にこの時点で完璧だと思っていた鏡に映る自分の顔は、ついぞ見ることがなくなる。不承不承だが、ビルのガラスに映っていた自分の顔に一生懸命、自分を合わせようと生き方を整えたりする。


 つまり、目的に向かって厳しく自分を律したり、自分の才能を信じて頑張ったり、他人をはねのけても自分を貫いたり、そんな人生を過ごすことができない心優しい、いや、それ以上にお人好し過ぎる人になってしまう、そんな人たち。

 ビルのガラスに映る自分の顔を見られて、「あなたの顔は美しい」と言われた。「これは本当の俺じゃないんだ!お前は何も分かっちゃいない!」と言えず、「もしかしたら、美しいのではないだろうか?本当にそうだろうか?いや、そんなことはない」と疑問を持ちつつも、その人が切実にそれを望むのなら、なんとか頑張ってそれを引き受けてしまうような人たち。


 櫻井智也脚本のラジオドラマを聴くと、いつもこういう人物像を勝手に思い浮かべてしまうのです。で、それは何を隠そう愛すべき隣人だったり、切ろうと思っても一生切れない自分自身の姿だったりが、そこに投影されているからなのです。


 しかし、この人達は、鏡に映る顔を持つ自分を秘かに暖めている。ビルのガラスに映った自分の顔を「美しい」と言ってくれた人が、危機的状況に陥ったとき、その顔がひょいと出てくる。

 今回のお話しでも「花火に絵美を誘う」「絵美の父親が現れる」とき、鏡の中に映っていた自分の顔がひょいと出てくる。


 こういうところにぐっとくるのですよね、櫻井作品は。


 そんな櫻井作品のラジオドラマファンは多い。きっと、FMシアターをいつも聴いている人で、嫌いな人はいないだろう。年に一作品ではなく、できればもっと書いてほしいものである。


 それにしても、甲本雅裕さんと高橋理恵子さんはいいですね。最高です。


出演者の写真



やばい、今年第2弾の泣きFMシアター。なんか、サイクルが早くないか、今年の泣きFMシアター。

今朝、電車に乗りながらipodで聴いていたら涙が出てきて困った。

私の場合、FMシアターはほとんど電車の中で聴くものになっており、どうやら、そのほうが集中して聴くことができるようなんです。


みなしご兄弟 ⇒ 離ればなれ ⇒ 奇跡的に再開 ⇒ 人生最高のささやかな幸せ ⇒ 別離


ドラマとしては王道のパターンだが、そうと分かってもやはり泣いてしまう。分かっちゃいるけど、逆らえない。さらにこのお話しは、なんといっても主人公シュウジ役の田口トモロヲさんの声がいい。若年性アルツハイマーを患った40歳男性の戸惑いを手に取るようにこちらに伝えてくれる。

それは弟、マサオミ役の小林正寛さんもそうだ。ささやかながら築いた自分の家庭を大切にする無骨な男の声を好演している。

そんな二人が後半、病室で話す会話には自然と涙が流れた。


後半の畳みかけるような展開に比べて、前半の現在と回想が交互に出てくる部分は、なかなか話に入り込めない部分があった。回想部分をコンパクトにまとめるともっと感動がこみ上げてきたかもしれない。そうなると、電車の中で嗚咽をもらすかもしれないかな?


作家は「ハードボイルドボギー」でBKラジオドラマ大賞を受賞した鈴木絵麻さん。デビュー作もそうだったが、人情ものを得意とする作家さんのようだ。FMシアターも年に一作のペースで書かれている。女性なのだが、男性を主役にした作品が多く、男らしい男の気持ちを上手く描く作家さんだ。今後の作品も楽しみですな。


出演者の写真