錦糸町駅から両国駅へ向かって「史跡めぐり」~その三~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日も散歩おじさん地域は30℃を超えて暑くなりましたが、明日からの予報を見ると21日の日曜日を除き、最高気温が20℃台の日が並んでいまして、ようやく季節が進んでくれそうな感じですね(^.^)

さて記事の方は「錦糸町駅」から「両国駅」へ向かって歩きました「史跡めぐり」の最終回です!

前回の記事の最後に載せましたお稲荷さんのすぐ先で、首都高速7号線をくぐりながら「堅川」を渡って進みます(^.^)

前回の記事でも首都高速7号線をくぐりながら「堅川」を渡った様子を載せましたが、あの時は北から南へ向かって川を渡りまして、堅川の南側のスポットを巡った後、今度は南から北へ渡り戻ることになります!

堅川を渡り、道なり距離で450mほど進んだ交差点角には、史跡スポットではありませんが「昭和レトロ」な建物がありました!

看板を塗りつぶしてありますから、もうご商売はされていないのでしょうけど、2階の窓の上の「パーマネント」の文字に時代を感じます(^^)

ところでこの辺りには、「歴史的な事柄」に関する案内板が各所に設置されていまして、昭和レトロな「旧美容室」の建物から400mあまり進んだ所の「堅川」沿いのスポットにも、ご覧の通り案内板が見えるのですが、実は案内板は事実・史実に基づくものとフィクションのものが混在しているのです(^^;

もちろんフィクションが史実と誤認されないように書かれているのですが、↑の矢印の案内板は、「『鬼平犯科帳』に登場する、鬼平行きつけの軍鶏なべ屋『五鉄』はこの辺にあったと推定されます」という案内板なのです!

言うまでもなく「鬼平犯科帳」は池波正太郎による時代小説ですから、軍鶏なべ屋「五鉄」は架空の店なのですが、場所が推定できるということはそれだけ小説が地理に関して正確に書かれているということなのでしょうねぇ!?

なお、鬼平犯科帳にまつわる説明板は「鬼平情景」という名で、小説に登場する両国から錦糸町にかけてのいろんな場所にありますので、鬼平ファンの方はそれを辿って歩いても楽しめるのではないでしょうか(*^-^*)

そして↑の「鬼平情景」の案内板のすぐ後ろにあるこちらは「事実」の方でして、「ペリー来航」翌年の安政元(1854)年に創業した「田中茶舗」さんの建物と案内板です!


見ての通り現在のお店はビルの1階ですが、時代を感じさせてくれる看板が掲げられていますよ(*^^)v


小林一茶が一時期この辺りを拠点に活動したということから、ゆかりの人物としてパネルが設置されています!


田中茶舗さんからは5分足らずで「両国公園」に到着~!


こちらの史跡は「勝海舟生誕の地」の碑です!

前回でご紹介した「勝海舟揺籃の地」と「勝海舟居住の地-旗本岡野氏屋敷跡」はここから直線距離で1kmほどでして、幼いころの勝海舟が父母とともに転々としたという旗本屋敷との距離感が分かって興味深かったです(^_-)-☆

碑の近くにあった椅子のモニュメント(?)は実際に座れるサイズなので、訪れた人が「勝海舟ポーズ」で記念撮影ができるように設置されたのだと思いますが、この時は、緑のコーン&トラ柄ポールとともに「故障中」の札が下がっていて、使用が規制されていました(^^;


「勝海舟生誕の地」の碑がある公園に隣接する小学校の敷地の隅には、この地にゆかりがあるという芥川龍之介の文学碑がありました!


さらにその先では国技館がある両国にふさわしい名前の横丁を通ったのですが、画面右下に写っている説明板は「芥川龍之介生育の地」というものでして、この「横綱横丁」の途中に芥川龍之介が養子として引き取られた家があったのだそうです(@。@)ホホォ~!


芥川龍之介が育った家は現存しませんが、説明板に掲載されていた写真から当時の様子を想像しつつ横丁を抜け、両国駅前にたどり着いてこの日の「ぶらり」を終了しました(^^)