きょう9月17日は、東京オリンピックの開催によって増加が見込まれていた、羽田空港への海外からの旅客の都心へのアクセス改善のために「東京モノレール」が開業した日ということで、「モノレール開業記念日」なのだそうですね!
全長13.1kmで開業時の運賃が250円とのことですが、当時の国鉄の同じ営業キロの運賃を調べたら30円でしたから、「約8.3倍!!」とずいぶんと高かったのですねぇ(@。@)
まあ、それまで汽車・電車と言えば2本のレールの上を走るのが当たり前だったのを、1本のレールをまたいで、それも場所によっては海の上を走らせるとなれば、当時の最先端の技術が投入されたのでしょうから、それくらい高くてもしょうがなかったのでしょうね(^^;
さて記事の方は「錦糸町駅」から「両国駅」へ向かって歩きました「史跡めぐり」の続きです!
前回の記事の最後に載せました撞木橋跡の「時の鐘」モニュメントから、道なり距離で200mほど歩きますと、住宅地の中に玉垣とたくさんの赤い幟が見えて来まして・・・
次なる史跡スポットは「五柱稲荷神社」です!
江戸時代中期の享保13(1728)年に伏見より奉祀されたと言いますから、神社にも歴史があるのですが、スマホの地図アプリの検索で「史跡」としてヒットしたのは、境内にあった「史跡 勝海舟揺籃之地」でした!
「揺籃」とは「ゆりかご」のことで、そこから転じて幼少期を指す言葉だそうでして、勝海舟は両国で生まれた後、父母とともに本所の旗本屋敷を転々としたとのことですから、この神社も勝海舟が幼いころの遊び場だったのかもしれませんね!?
・・・なんてことを想像しつつ歩けば、「勝海舟揺籃の地」からわずか150mほどの所には「勝海舟居住の地-旗本岡野氏屋敷跡」の説明板がありましたから、やはりこの辺りの旗本屋敷に住まいながら、五柱稲荷の境内などで遊んでいたのでしょう(^.^)
「勝海舟居住の地-旗本岡野氏屋敷跡」の説明板から次のスポットまでの間で渡った「堅川」の上空には首都高速7号線が走っています!
首都高の橋脚の土台部分では、カワウがのんびり休憩してました(・。・)
晴れて日差しの有る日でしたけど、首都高が日除けになるいい場所を見つけたね(^笑^)
こちらは次の史跡スポットのすぐ手前にあった公園でして、奥に見える建物は小学校なのですが、よく見ると公園と校庭の間が簡易的なネットで仕切られていたのです(@。@)
もちろん公園と校庭を自由に行き来できるわけではないようですが、例えば大きな災害があった時などにはネットを開けて、避難者の集合場所として広く使えるような運用とかが想定されているのでしょうかねぇ?
公園と校庭の間のネットに「???」になりながら振り向くと、目の前にはお稲荷さんの赤い幟とともに目的の「堅川地蔵尊」の幟がありました!
ご存じの方も多いと思いますが、東京の下町一帯は昭和20年3月10日の大空襲で壊滅的な被害を受け、多数の犠牲者が出ました!
このお地蔵さまは、その犠牲者の冥福と恒久平和を念じて建立されたとのことで、お地蔵様の横にたくさん新しい塔婆が建てられていたことから、今でも多くの方が供養を続けられていることが伺えました(-人-)
「堅川地蔵尊」のお隣の「榎稲荷神社」の境内にあった石碑風の「由緒書」によると、このお稲荷様は「鎮座ノ年月ハ不詳ナレドモ」、少なくとも江戸時代前期の天和3(1682)年にお社が建立されたと伝わっているとのことですから、5代将軍綱吉のころには、庶民の信仰を集めていたのでしょう!?
榎稲荷神社前から都営新宿線の「住吉駅」の方へ向かって300mほど進むと、新大橋通に出た所の歯医者さんの建物の前には「長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡」のモニュメントがありました!
モニュメントには歯医者さんの医療法人名と医院の名前が記されていましたから、どうやら歯医者さんが建ててくれたモニュメントのようです(^^)
「長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡」から次なるスポットへ向かう途中、またまたお稲荷さんがありました~!
江戸の町ではそこら中にお稲荷さんがあったと言われていますが、隅田川を渡った本所の辺りでもお稲荷さんが多かったのですねぇ(@。@)