江戸川区文化財めぐり~松本から松島へ④~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

2~3日前までは東海または関東へ直行するような予想だった台風10号の進路が、九州の方からグルっと回って日本列島に近づくコースに変わってきましたねぇ!

進路予想の西寄り、東寄りいずれを進んでも列島への上陸は免れないとのことですので、台風情報に注意して用心しないといけませんね!

さて記事の方は今回の「江戸川区文化財めぐり」の最終回です!

前回の記事に引き続き「五分一通り=元佐倉道」を進みますと、やがて「五分一橋」という交差点に差し掛かりました!


通りの名前が「五分一通り」で交差点の名が「五分一橋」なのですから、何か史跡があるのではなかろうかとキョロキョロしましたら、交差点際に「五分一橋跡」の案内板がありましたよ(^.^)

説明書きによりますと、ここは元佐倉道の要衝でここから元佐倉道を南西方向へ進んだところにあった「逆井の渡し」と、千葉街道を経て北東方向へ5km足らずの所にあった「小岩の渡し」の間を行き交う人で賑わっていたそうです!

人馬が行き交う時代から、昭和5(1930)年にコンクリートの橋に架け替えられ、車の時代まで人々の暮らしを支えた橋も、昭和57(1982)年に川が埋め立てられたことでその使命を終えたのだそうですよ!

 

「五分一」というかつての地名の由来には、 「『権兵衛さん家の淵』が元でゴンブチ、それがなまってゴブイチとか 、湿地だったから余りに貧しくて2割(=五分の一)の年貢米で勘弁してもらった、あるいは天領だったので税率が優遇されていた、さらにはこの辺りが川魚の産地で魚の税金は2割(=五分の一)だった・・・」など諸説あって定まっていないようです!

 

因みに「五分一橋跡」は区の文化財に指定も登録もされていませんが、文化財を辿って歩く途中でこういう史跡を見つけることができるのも「文化財めぐり」の楽しみの一つです(^.^)

なお、この交差点が、先日の「夏の甲子園」で準優勝した「関東第一高等学校」から、直線距離にして400m足らずであることを時事ネタ風に書き添えておきましょうv(。・・。)イエッ♪

次に目指す文化財は「五分一橋跡」から元佐倉道を300mほど進んだ所にあったのですが・・・

なんと個人のお宅の土台に沿うように、ちょこんと置かれていました(^笑^)


近づいて見ると、中央に「四股橋」の文字が読み取れる細長いブロック状の石は、江戸川区の文化財に登録されている「四股橋石造橋桁(部分)」です!

名前から想像できる通り「四股」と呼ばれる場所に架かっていた橋の、橋桁の一部なのだそうですよ(@。@)ホホォ~!

「四股」という場所は荒川放水路の開削により水没してしまっているのですが、元佐倉道と行徳道の交差点で、「江戸・浅草・行徳・市川」へと「四股」に道が分かれる、交通の要衝だったのだそうです!

江戸川区の「文化財・史跡」のサイトに掲載されている説明から捕捉しますと、「荒川開削工事のはじまった大正3年頃に、増田氏宅前庭に移設され保存されてきました。」とのことで、当時どういう経緯で「増田さん家の庭に置かせてもらおう」ってことになったのか分かりませんが、お庭から建物の土台前に移動したものの、そのまま「増田氏宅前」で保存されて今に至っているというのも興味深かったです!

「四股橋石造橋桁(部分)」からマップを頼りに進むと15分ほどで、「東福院」というお寺さんの塀が見えてきました(p_q)


この日の最後の文化財は東福院さんのご門前にあります「青面金剛像庚申塔」です!


江戸時代中期、享保18年(1733)造立と伝わっているそうで、いい具合に風化した様子が時代を感じさせてくれましたが、フェンスの中にあったので、ぐるりと周りを確認できなかったのが、ちょっと残念~(^^;


東福院さんの青面金剛庚申塔からは10分足らずで新小岩駅南口へ通じる「ルミエール商店街」に至り、そのまま新小岩駅へ向かってこの日の「ぶらり」を終了しました(^.^)