今日の散歩おじさん地方「晴れ」と言って間違いない天気でしたが、わりと多めの雲に日差しが遮られると「ちょうど過ごし易い」というような感じでした!
さて記事の方は前回に続きまして「成田街道」です!
前回の記事の最後に載せました、お引越し(?)のためか神様がご不在だった神社から300m足らず進むと、土蔵二階建ての立派な建物が見えてきました(p_q)
建物の前にあった説明板によりますと「莇(あざみ) 吉五郎家」だそうです!
莇吉五郎家は江戸の後期に油販売で成功し、後の明治時代には醤油製造業を営んでいたとのことで、建物は酒々井町の文化財に指定されていました(^^)
莇吉五郎家から50m足らずの所にありますこちらの「八坂神社」は、独特な建物の色が遠目にも目立っていましたよ(^_-)-☆
境内に大小の石の祠が並ぶ様は、神様が背の順に整列されているようにも見えて、思わずニッコリしちゃいました( ´艸`)
八坂神社からさらに180mほど進むと、これまた酒々井町の文化財に指定されています「島田長右衛門家・島田政五郎家」がありました!
江戸時代この辺りは、幕府直轄の野馬牧場である「佐倉七牧」を管理する「野馬会所」などがある場所として栄えたのだそうで、島田長右衛門家は幕府野馬御用を勤めた家で、また分家である島田政五郎家も野馬払い(野馬をセリによってを払い下げること)を行う場所が設けられる広大な敷地を持っていたのだそうです(@。@)ホホォ~!
建物の前の説明板に掲載されていた明治27(1894)年刊行の「日本博覧図千葉県編」と見比べると、現存する建物が矢印で示した2棟であることが良く分かりました!
向かって左側が島田長右衛門家で右側が分家の島田政五郎家なのですが、明治時代に書かれた絵と見比べてたちどころに分かるということは、絵が正確なことはもとより、建物の外観が変わらず保たれているということですよね(@。@)
なお外観は変わらずとも建具が新しくなっていたりエアコンの室外機も見えましたから、古い建物と言えどもいろいろ工夫されて住まわれているようなので一安心でした(^^)v
文化財の外観を守らんがためにエアコンなどを我慢されて、中で暮らす方が冬に寒い思いをされたり夏の暑さで熱中症になっちゃったりしたら困りますからね(^^;
両島田家から60mほど進んだ所の丁字路でひょいと左の方を見ますと、↑の八坂神社と同じような色の山門が見えましたので、ちょっと寄ってみました!
勝蔵院さんというお寺さんで、↑の山門は仁王門でしたので門の中にいらっしゃった仁王様にご挨拶して進みますと、なんとご本堂も同じ色に塗られています(@。@)
八坂神社と言い勝蔵院と言い同じような色ですけど、ひょっとしたらこの地区の寺社でこういう色が流行った時期でもあったのでしょうかねぇ(?。?)
色の不思議はともかくとして、お賽銭箱の脇でノンビリ昼寝するニャンコさんに和みました(=^・^=)
勝蔵院から街道に戻り150mあまり進むと街道脇にこんな看板がありました!
「町名由来の伝説の地」とのことで、さっそく矢印に従って進みますと「伝説 酒の井」という札が掲げられた門の中はちょっとした公園として整備されています!
「酒の井の伝説」とは、親孝行の息子が酒好きの父親に飲ませる酒を買う金が無く困っていると、酒が湧く井戸を見つけ、それからは毎日父親にこの井戸から組んだ酒を飲ませて親孝行したが、他の人が汲むとそれはただの水であった・・・、という昔話なのですが、その伝説の井戸がこの「酒の井」なのだそうです(@。@)ヘェ~!
井戸の枠組みは後世の物と思われますが、この「酒の井」からこの辺りが「酒々井」と呼ばれるようになり、後に町の名になったということなのだそうですよ(^.^)
因みに「孝行息子が父親に飲ませる酒を手に入れることが出来た」という伝説は、「養老の滝」伝説など、他にもいくつかあるようですね!?
井戸の傍らには「酒の井」の碑が建立されています!
それにしても伝説の地は地元の方の憩いの場でもあるようで、備え付けのベンチとテーブルに集ったご婦人方は、茶飲み話で大いに盛り上がっていらっしゃいました( ´艸`)
ところで今回は各スポット間の距離を敢えて書いてみたのですが、一番離れていたのが八坂神社から両島田家の間の180mほどでして、「莇吉五郎家」から「酒の井」まで440mほどの間に次々と文化財的価値のある建物や歴史を感じさせてくれる寺社、さらには町名由来の伝説の地まで現れるという、見所盛りだくさんの区間を大いに楽しめました~ヾ(*´∀`*)ノ