今日の散歩地域はほぼ一日を通して曇りでしたので、最高気温はギリギリ20℃台に留まりましたが、70%を越える湿度のせいか蒸し暑く、過ごし易いといえるような体感では無かったです(^_^;
さて記事の方は「成田街道」の続きです!
前回の記事の最後でご紹介しました「加賀清水」から街道に戻ると間もなくの所に石塔群と常夜燈がありました!
石塔はいずれも道標で、一番右側の一基は歌舞伎の名優、七代目市川団十郎が天保2(1831)年に建立したものだそうです!
市川団十郎と言えば成田山ですけど、街道にも道標を建立していたのですね(^.^)
例によって散歩おじさんの自作年表で天保2(1831)年を検索しましたら、葛飾北斎の「富嶽三十六景」が出来た年となっていました(@。@)ホホォ~ッ!
なお、常夜燈や道標が、こんな風に見物しやすいように一か所に建立されたとは思えませんけど、常夜燈は元々この場所にあったそうで、道標3基は少し離れた場所にあったのを移設したのだそうです!
因みに市川団十郎の道標は東日本大震災の際に倒壊し、佐倉市が一時撤去していて、それがこの場所に移設されたということのようですので、このたびの散歩おじさんの道中までに戻ってくれていて良かったです(*^^)v
道標&常夜燈から20分ほど歩いた所のお宅の庭に、巨大な石の親子蛙を発見~!
脇にある水道の蛇口と比べてももかなりの大きさであることがお分かりいただけると思いますが、一般のお宅の庭の石像ですので、見ず知らずのお宅にいきなりいきなり訪問して「何で大きいカエルを置いてあるの?」って聞くのも憚られ、「???」のまま通過しました(^笑^)
やがて街道右側に見えてきましたのは京成電鉄の「ユーカリが丘駅」です!
京成線の駅にしては・・・なんて言うと京成電鉄の人に怒られちゃうかもしれませんが、駅の上にホテルがあったり、駅前にペデストリアンデッキがあったりと、お洒落な駅でしょ(^.^)
散歩おじさんは初めてこの駅名を知った時から、「『ユーカリが丘』なんてお洒落な駅名だなぁ・・・」と思っていたのですが、「ユーカリが丘」とは駅の北側に開発されたタウン(町)なのだそうですよ!
そして京成のユーカリが丘からは、「山万ユーカリが丘線」という路線が、タウンを一周する形で運行されているのです!
我が町専用の交通機関が運用されているなんて、カッコイイなぁ~(^^)
・・・と「山万ユーカリが丘線」を羨ましがりつつ(?)見送ってから300mほど進むと、みなさんもよくご存じのコンビニの前に石塔がありました!
向かって左側の側面には「大和田迄 壱・・・」、右側側面には「臼井迄 廿八・・・」の文字が読み取れましたから、間違いなく道標ですね(^.^)
なお左右側面の文字を「壱・・・」と「廿八・・・」と書いたのは、画像でも分かる通り、ほぼ真ん中で折れちゃった道標が補修されていて、「壱」と「廿八」の後に続いていたであろう距離の単位がちょうど補修の部分で読めないからなのですが、家に戻ってから地図上で距離を測ってみて、どうやら「大和田迄」は「壱里」で、「臼井迄」は「廿八丁」の様だなぁ・・・、なんてことを想像するのも面白いものです(^.^)
ところでGoogleマップのストリートビューでみると、現在ストリートビューで確認できる2020年10月の画像に写っているこの道標は上半分が無い状態でして、つまり修復前の状態なのです(@。@)
その後いつ修復されたのかは分かりませんが、この度の道中で「修復後の道標」を見ることが出来たのはラッキーv(。・・。)イエッ♪
道標の先にはいい具合の旧道カーブがあり、画面奥でもう一度「旧道~!」って感じのカーブがある眺めは、「旧道カーブ好き」の散歩おじさんにとっては、実に楽しい眺めでした(^.^)
連続する旧道カーブの先で、道の向こう側に鳥居を発見~(p_q)
恒例により道中の無事をお願いすべく道の向こう側に渡り神社をめざしたのですが、「皇産霊(みむすび)神社」の額が掲げられた鳥居の前には、なんとチェーンが渡され「境内立入禁止」の措置が取られていました(@。@)
境内に入れないのであれば、お賽銭箱に向けて元気よくお賽銭を遠投・・・しようかと思ったのですが、こちらの神社は拝殿とご本殿とかは無く、またお賽銭箱も見当たらなかったので「お賽銭遠投」は断念しました(^^;