今日の散歩おじさん地域は午前の早い時間帯から、空全体が薄~い雲に覆われ、時間とともにその雲が少~しずつ厚くなっていくように見えました!
・・・と言ってもたちまち曇ってしまったわけではなく、薄い雲を通って降ってくる日差しは影を作るくらいの明るさはありましたけどね(^.^)
さて記事の方は「成田街道」の続きで、今回の行程の最終回となります!
船橋宿の手前で国道14号と分岐した後、ほぼ道なりに進んできた成田街道は、船橋大神宮から2kmほどの所で再び分岐します(^.^)
右側の道は御成街道と呼ばれ、家康が東金に鷹狩に行くために作られた街道だそうですが、成田街道は手前の道を左方向へ進みます!
なお分岐点にある道標は明治期に建てられたものだそうですよ!
↑の分岐点から100mほど進むと「庚申塔群」があります(^_-)-☆
一番右側の石塔には「右なりた道」の文字が刻まれ、道標を兼ねていたのですね!
途中で渡った踏切は新京成線です!
戦争中、鉄道部隊の訓練線だったことから、訓練ためにいろんな曲率のカーブが作られたという新京成の線路は、電車の先頭車両から前を見ると面白いのですが、踏切から見てもかなり急なカーブが見えて面白いです(^.^)
新京成の踏切から800mほど進むと「御嶽神社」に到着です!
鳥居の奥に見える社叢は、なかなか立派ですねぇ(p_q)
そしてこちらの狛犬さんも、「岩の台座にチビ狛ちゃん」というタイプで、結局この日は途中でお参りした5社のうち実に4社がこのタイプの狛犬さんでした(@。@)
地域的、あるいはそれぞれの狛犬さんが奉納された時期など、こういうタイプの狛犬さんが多い理由があるのでしょうか(?。?)
なお「4社が・・・」と書きましたが、①に載せた「春日神社」の「岩石台座の狛犬さん」は記事に載せませんでしたので、今回の連載で画像を載せた「岩石台座の狛犬さん」は3組ですので、念のため・・・
手水鉢は自然の岩をくりぬいた様な形に特徴がありました(^_-)-☆
ところで街道からこの神社の参道に向かって一の鳥居をくぐったところ、神社の少し手前から散歩おじさんの後ろを歩いていた「買い物帰り風」のご婦人が後をついて来られたので、帰宅途中にお参りされるとは信心深い方だなぁと思ったら・・・
なんと二の鳥居の先に「歩行者専用道路」にスルっと抜けられる所があり、そのご婦人はこの道に入るために鳥居をくぐられたのでした(^笑^)
御嶽神社から250mあまり進んだ道端には「二宮町道路原票」がチョコンと立っていました(^^)
道路原票から200m足らず先には、立派な長屋門がありましたよぉ~(@。@)
さらに進めば地名は「薬円台」となっており、この日のゴールが近いことが知れました(p_q)
この日のゴールと定めていた公園の手前約500mの所にも「庚申塔群」がありましたよ!
ご覧の通りいずれも状態が良く、向かって左から順に天保4(1833)年、明和2(1765)年、寛永3(1626)年の建立年が、それぞれの塔の側面にハッキリと読み取れました(p_-)
なお、一番右の庚申塔は薄い板碑のような形なので側面には建立年が刻まれておらず、たぶん後ろに文字があったのだろうと思いますが、回り込むスペースが無く確認できなかったのが残念です(^^;
庚申塔群をじっくり見物した後、この日のゴールであります「薬円台公園」に到着し、こちらはブログにも何度か載せたことがある「明治天皇駐嗶之処の碑」、すなわち明治天皇が演習を統監された場所・・・後年に碑の場所が移されているので、実際に統監された場所は他の場所ですが・・・に建てられた碑を見物して、この日の道中を終了しました(^.^)
こちらの碑はこれまでにも何度か見物していますが、この日は船橋の市街地で「明治天皇船橋行在所(あんざいしょ)」の碑を見物していたこともあり、今までより興味深く見ることが出来ました(^_-)-☆
次回はこちらの公園並びに郷土資料館入り口から道中再開ということになります(^.^)
・・・と言うことでこの日の成田街道の道中は終了ですが、今回も連載にお付き合いくださったみなさん、ありがとうございました!
さてさて、次はいつごろこの続きを歩けるかな!?