今日の散歩おじさん地域は風があったものの、風が止むタイミングでは日差しの暖かさが気持ち良かったです(^.^)
さて記事の方は「成田街道」の続きです!
前回の記事の最後に載せました日枝神社から街道に戻り200m足らず進むと、水戸街道との分岐点に至ります(^.^)
画像ではちょっと分かり辛いのですが、画面左寄りの白い車の手前に左へ向かう道が見えますでしょ!?
ここはいわゆる「追分」でして、道なりに右の方へ行くと「成田街道」で、左へ向かうと「水戸街道」なのですv(。・・。)イエッ♪
この度は「成田街道」を進みますので右へ向かいますが、いずれ「水戸街道」も歩いてみたいと思っていますから、この分岐点はチェックしておかないとね(^_-)-☆
その追分の所にあったのは「水戸街道石橋供養道標」です!
説明板によると・・・
「この道標は、水戸街道と佐倉道の分岐点に、地域の万人講、不動講、女中講が共同で架橋した27の石橋供養のために建てられたものです。・・・(後略)・・・」
・・・とのことです!
因みに説明の文中にある「佐倉道」は成田街道のことですので念のため・・・
道標の正面には「左水戸街道」、成田街道に向いている面には「成田山 さくらみち」の文字が刻まれています(p_-)
また「安永六」の文字がはっきり読み取れましたので、造立年は安永6(1777)年、徳川10代将軍家治の時代ですね!
なお、散歩おじさんの自作年表によれば、1777年は星条旗がアメリカ合衆国の国旗に制定された年となっています!
道標は国道6号線、すなわち現在の水戸街道沿いですので、この後すぐに国道を渡ったのですが、この道はいつも交通量が多いですねぇ(^^;
6号線を渡った先で再び旧道に戻りますとこんな感じです!
国道から細い道に入って600mほど南下しますと地蔵堂がありました(^人^)
一番左に見える四角い石柱は元禄6(1693)年銘の「角柱三猿浮彫道標(かくちゅうさんえんうきぼりどうひょう)」で、葛飾区内で最も古い道標だそうです(@。@)ホホォ~!
庚申塔などで並んだ「三猿」が彫られてているのは珍しくありませんが、この石柱は上部の3面それぞれに一匹ずつの猿が彫られているのが興味深かったです!
地蔵堂から1kmあまり住宅街を進み、やがて「さくらみち」と刻まれた現代の道標に至りますが、実はこの辺り、お正月に「柴又七福神」を巡ったルートを一部逆行する形になるのです!
つまり七福神めぐりの時は、画面奥から来て、手前方向に「高砂駅」近くのお寺を目指したのですよ!
お正月の「柴又七福神」の記事の時は、そもそも七福神を巡っていたので特にご紹介しなかったのですが、「さくらみち」の道標にも「七福神様」が宝船に乗っていらっしゃいます(^人^)
その先で柴又街道を渡る際に、ひょいと北側を見れば、わずか90mほどの所に北総線の「新柴又駅」が見え、そこからさらに800mほど北上すれば柴又帝釈天の参道入り口に至るというような位置関係です!