新鎌ヶ谷駅から「ぶらり」~前編~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日の散歩おじさん地域は朝から風が強かったので薄いウインドブレーカーを着て出かけたのですが、吹く風は体感温度を下げるようなものではなく、雲が多いながらもタップリあった日差しを浴びた結果、歩きだして間もなくウインドブレーカーが邪魔になりました(^^;

それにしても今日は照ったり曇ったり降ったり、その後また照ったりと、天気の変化が忙しい一日でした(@。@)

さて今日の記事は連休に入る前の週末に、東武鉄道の「新鎌ヶ谷駅」からスタートして、ちょいと1時間半ばかり歩きました「プチぶらり」です!

「ぶらり」の記事の場合、駅の出入り口の画像を載せて「この駅からスタートしました!」っていうような書き出しのことが多く、この度もそういう画像を載せるべく、駅を出た所で出入り口をパチリしましたら、なんと駅名の表示がありませんでした(@。@)

反対側の出入り口にはちゃんと「新鎌ヶ谷」っていう看板が掲げられていたんですけどね!

まあ、この駅で接続する新京成線の入り口がすぐそばにあり、そちらには看板があったので、ここが「新鎌ヶ谷」の駅であることが、分かるって言えば分かるんですけど・・・(^^;

歩き始めて10分ほどでこの日の最初のスポットであります「保育園の園庭内に残る野馬除け土手」に到着です(^.^)

江戸時代、千葉県北西部には幕府の軍馬を飼育する広大な「牧(まき)」があり、牧から馬が逃げ出して周辺の農地を荒らしたりするのを防ぐ目的で築かれたのが「野間除け土手」で、現在でもその土手が各所に残っているのですよ!

そしてここではどうやら園庭の端の少し高くなっている所が「野馬除け」らしいのですが、正直言いまして、これまで他の場所で見たことがある土手と比べると、保存状態はあまり良くは無いのです(^^;

それでもこの記事の後半で載せる、馬に関する物との関連があるので、「野馬除け土手」のことをちょっと覚えておいていただくとありがたいです(^^)

冴えない曇り空だったのと、無風だったため鯉たちに勢いが無かったのが残念でしたが、この時期らしい眺めを見ることが出来ました!


鯉のぼりを眺めつつ進むと、間もなく「八坂神社」に到着ですv(。・・。)イエッ♪


まずはこの日の「ぶらり」の安全をお願いしましたよ(^人^)


こちらの神社で特筆すべきは、境内の「庚申塔」群です!

手前に見える薄い石碑は「出羽三山参拝記念」ですが、その奥に見える角柱っぽい石塔が、江戸時代の元禄年間から現在まで続いて建てられているという「庚申塔」群なのですよ(@。@) ホホォ~!

前後2列に並ぶ庚申塔のうち、後ろの列の庚申塔には「享保五」の文字なども見え、比較的に古いものであることが分かります!


古い時代の物は↑の様にいろんなデザインの物が奉納されたようですが、比較的新しい物はデザインが統一されているようですよ(^.^)


庚申塔群から東武線の踏切を渡って120mほど進むと、こんどは道端に石碑がズラリと並んでいました(@。@)


道の反対側から見るとこんな感じです!

枯草の陰になっちゃって分かり辛いのですが、画面左端の電柱の根元近くまで、背の低い石塔が並んでいたのですよ!

中でも大きな2基の石碑に注目しますと、向かって左側の高い方の石碑には「軍馬観世音」と「明治三年」、右側の石碑には「出征軍馬英霊之碑」と「皇紀二千六百年(昭和15年)」の文字が刻まれていました!

馬頭観音の石碑や石塔は珍しくありませんけど、「軍馬」に関係する石碑は初めて見ました(@。@)

軍馬の石碑があるということは、とりもなおさずこの地で軍馬が飼育されていたことを示すものなのでしょう!?

↑2枚目の「野馬除け土手」の説明で江戸時代の「牧」のことを書きましたが、江戸幕府の軍馬を飼育する「牧」があった場所から、明治時代さらには太平洋戦争のころになっても軍馬が出征していたらしいことが伺えて興味深かったです!

 

出征した軍馬の中には「戦死」した馬もいたでしょうし、とかく戦争にかかわる史跡はマイナス・イメージが強いですが、歴史を伝えるものとしてこういう石碑も大切に保存しないといけないでしょうね!?