気象庁のデータを確認しましたところ、今日の東京地方の最高気温はなんと4月中旬並みの18.6℃となっていますw(@。@)w
昨日の最高気温は7.0℃ですので、その差なんと11.6℃ということで、これじゃぁ気温の変化についていくのも容易じゃないですよねぇ!?
身体が気温の変化にビックリしちゃってると思いますから、体調を崩さないように気を付けましょう(^^;
さて記事の方は「旧川越街道」歩きの4回目です(^.^)
昨日の記事の最後でご紹介した「大山道道標(おおやまみちどうひょう)」から350mほど進めば浅間神社に到着します(^^)
浅間神社と言えば御祭神はもちろん木之花開耶姫尊(このはなさくやびめのみこと)で、境内に富士塚があるのも珍しいことではありませんが、こちらの神社は「下練馬の富士塚」と名付けられた塚と社殿が寄り添うように・・・というか、一体の感じで建てられているのが興味深かったです!
安全上、あるいは塚の保存のために登山禁止の富士塚も多いのですが、下練馬の富士塚は登ることができましたので、もちろん富士登山にチャレンジしましたよv(。・・。)イエッ♪
六合目のすぐ上に八合目が見えますが、七合目を抜かしちゃったわけじゃありません!
登山道は九十九折れに登っていきますから、六合目からズ~ッと左の方へ進むと七合目があって、そこから折り返して来ると八合目に至りますので、実際は六合目からヨイショって足を上げると八合目に行けるのですが、そういうズルをしては「富士塚」登山は楽しめませんよ(^笑^)
そんな風にエッチラオッチラ登ると、山頂には小さな石の祠があり(^人^)・・・
足元には富士山の方角を示す石のプレートが埋め込まれています!
そして高さ37.76mという数字は、本物の富士山の標高を思い出していただければ、その意味がお分かりいただけると思います(^_-)-☆
浅間神社からさらに150mほど歩くと、宿場の案内板で「北町聖観音座像」として紹介されていた観音堂に至ります!
観音堂の前の門にいらっしゃった仁王様が・・・
石造であったのも興味深く、案内板の説明によれば天和3(1683)年の銘があるとのことですので、300年以上の歴史がある江戸時代の仁王様なのですね!
余談ですが・・・この記事を書くにあたり、念のため「天和(読み方は「てんな」または「てんわ」)」という時代を確認しようと「天和」という文字で検索したところ、マージャンの役の「天和(テンホー)」が先に出てきちゃったのには笑いました(^笑^)
まぐれもイイから「天和」でアガってみたかったぁ・・・なんて学生マージャンのころを思い出したのですが、マージャンをご存知ない方はスルーっと先に進んでくださいな(^m^) プププッ!
閑話休題、仁王門をくぐった先の観音堂にいらっしゃった観音様の穏やかなお顔に、思わず散歩おじさんもニッコリになりながら手を合わせました(^人^)
仁王門と観音堂の外壁に沿って建っていた庚申塚が、もともとこの場所にあったものかどうかは判然としませんでしたが、いずれも江戸時代の年号が刻まれていましたので、川越街道を行く旅人を見守っていたのでしょうね!
さてさて「旧日光街道」に続いて散歩おじさんが歩き始めた「旧川越街道」ですが、この日は中山道から「平野追分」で分かれて旧川越街道に入り、上板橋宿、下練馬宿と歩きまして、次は観音堂の左に見えている道から道中再開となります!
旧日光街道ほどの距離はありませんが、この先の道中でもいろいろ見物した物を記事でご紹介しつつ歩いていきたいと思っていますので、よろしければこの先の「旧川越街道」の記事にもお付き合いいただけるうれしいです(^_-)-☆