今日の東京地方は都心で25℃の夏日になったようですね!
散歩おじさん地域も半袖の陽気の中、やや風があったので鯉のぼりが気持ち良さそうに泳いでました(^^)
さて記事の方は徳次郎(とくじら)宿から今市宿を目指した旧日光街道の道中の続きです(^.^)
こういう表示を見るたびに、少しずつですけど確実に日光に近づいているのが実感できて励みになります!
そして日光の山々が徐々に大きく見えるようになるのも嬉しいことです♪
街道沿いには時代を感じさせてくれるものがたくさん見られるようになり、この「うらない地蔵様」もなかなか趣のあるお姿を見せてくださいました!
お地蔵様に願をかけ、前に置かれた石を持ち上げて軽く感じれば願いが叶うと言われているのだそうですよ(@。@)ヘェ~!
お地蔵様に願をかけ、前に置かれた石を持ち上げて軽く感じれば願いが叶うと言われているのだそうですよ(@。@)ヘェ~!
残念ながら願をかけるべきことを俄かに思いつかなかったので石を持ち上げてはみませんでしたが、そういう信仰って興味深いですよね(^^)
立派な杉に守られるようにあったのは「新渡神社」で・・・
そのすぐそばにあった2本の木が生えている所が一里塚のようです!?
この前後の一里塚は復元整備され案内板も設置されていたのですが、この塚だけ放置されたような状態だったのは何故なのでしょうかねぇ?
そんな一里塚の様子に「?」マークを抱きつつ5分ほど進むと、いよいよ「日光市」に入りましたv(。・・。)イエッ♪
・・・と言ってもこの辺りはかつての「今市市」が、平成の大合併で日光市になったという場所なのです!
・・・と言ってもこの辺りはかつての「今市市」が、平成の大合併で日光市になったという場所なのです!
以前の感覚でいうと、ようやく日光の手前の市に到着したっていうところなんですけどね(^^;
日光市に入ってすぐの所で見つけた石塔には「宝永七(1710年)」の文字とともに「六十六部」という文字が読み取れました!
六十六部とは全国66か所の霊場に写経を納めるために巡礼した宗教者とのことですから、そういう人がこの石碑を建立したのか、あるいはこの地を訪れた六十六部を崇めた地元の人が建てたのか、そんなこと想像するのも道中の興味です(^.^)
六十六部とは全国66か所の霊場に写経を納めるために巡礼した宗教者とのことですから、そういう人がこの石碑を建立したのか、あるいはこの地を訪れた六十六部を崇めた地元の人が建てたのか、そんなこと想像するのも道中の興味です(^.^)
途中で見えた水田の水鏡がきれいだったなぁ~♪
そんな風景を楽しみつつ進みますと道が二又に分かれます!
画面右側がいわゆる旧道なのですが、旧道に入ると間もなく「並木寄進碑」なる史跡がありました(@。@)ホホォ~!
そもそも日光街道の杉並木は徳川家の家臣であった松平正綱・信綱親子が、20年以上にわたり紀州から取り寄せた杉苗を植えて作ったものなのだそうで、杉を寄進して整備したことを示す石碑が建てられているのです!
そもそも日光街道の杉並木は徳川家の家臣であった松平正綱・信綱親子が、20年以上にわたり紀州から取り寄せた杉苗を植えて作ったものなのだそうで、杉を寄進して整備したことを示す石碑が建てられているのです!
説明板の根本に今は既にない「今市市」の表記があるのにも注目してね(^_-)-☆