いよいよ「令和」という時代が始まりましたね(^.^)
もっとも昨日と今日で散歩おじさんの生活に大きな変化があるはずもなく、令和の一日目を静かに過ごしておりましたが・・・
さて記事の方は「下野風土記の丘」の続きですので、こちらは平成から令和へ繋がる大連載と言わねばなりません(^笑^)
前回の記事に載せました「下野風土記の丘資料館」で国分寺および国分尼寺の勉強をした後は、実際の国分寺跡と国分尼寺跡を見学しました!
なお、国分寺跡も国分尼寺跡も建物などは復元されていませんので、たいへん地味な画像が続くことをご了承ください(^^ゞ
先ずこちらは国分尼寺跡です!

発掘された柱跡の位置を示す石が埋め込まれているので、建物の大きさや位置関係が良く分かります(^^)
因みに国分寺、国分尼寺の伽藍配置は、大きさの違いはあるものの全国共通だそうでして、散歩おじさんは回廊が復元された「上総国分尼寺跡」を見学したことがありますので、その時に見た建物を思い出しながら見学するのも楽しいです!

因みに国分寺、国分尼寺の伽藍配置は、大きさの違いはあるものの全国共通だそうでして、散歩おじさんは回廊が復元された「上総国分尼寺跡」を見学したことがありますので、その時に見た建物を思い出しながら見学するのも楽しいです!
上総国分尼寺跡の復元建物に興味がおありの方は↓のリンクからご覧ください!
次いでこちらは国分寺、尼寺に対してより正確に言うならば「国分僧寺」跡です(^.^)

こちらも柱跡の位置を示す四角い石が埋め込まれていましたが、四角の一辺が約1.5mであったと書けば、その大きさを想像していただけますでしょうか!?

国分僧寺の方はそこにあったであろう建物の絵が描かれたプレートが立っていました!

国分僧寺と国分尼寺は600mほど離れているのですが、この絵は両寺院の位置関係が良く分かって興味深かったです(^_-)-☆

この柱は「南門」と呼ばれる国分僧寺への入り口にあった門跡に建てられているのですが・・・

発掘調査時に人が柱跡の穴に立っている写真がありました(@。@)
ある意味この方が柱の間隔が分かり易いかも・・・!
