気象庁のホームページから気温のデータを確認すると、今日の散歩おじさん地域は最高気温の9.4℃が日付の変わった直後の0時20分に記録されている一方で、5.4℃という最低気温が10時51分に記録されています!
つまり昨日の暖かさが夜中まで残り、その後は昼前にかけてどんどん気温が下がったということなんですねぇ(@_@)
道理で日中エラク寒かったはずで、ようやく咲き始めた桜もびっくりしたことでしょう(^_^;
さて記事の方は小田急線の豪徳寺駅から「ぶらり」の続きです!
前回の記事でご紹介しました豪徳寺の参道前を通る、その名も「城山通り」という道路を南東方向に100m足らず進むと、次なるスポットであります「世田谷城址公園」に到着です(^.^)
これまでにもいくつか城跡を訪ねたことがありますが、公園として整備されているとはいえ、世田谷区の住宅街の中に城跡が残っているのがちょっと意外な感じでした!

なお、豪徳寺の基になったお堂はかつての城郭の中にあったということですので、その距離の近さにも納得ですネ(^^)
石垣は後に積まれたものの様ですが、空堀の跡などは確認できましたよ!

世田谷城址公園を後に、次の目的地に向かう途中で辿った「烏山川緑道」は、その名からもわかる通り暗渠化された川の上に整備された遊歩道だそうです!

途中、咲き始めの沈丁花の香りに和みつつ歩けば・・・

世田谷城址から20分ほどで「松陰神社」に着きました!

「松陰」はもちろん幕末の思想家にして教育者でもある「吉田松陰」のことです!
安政の大獄で処刑され小塚原の回向院に埋葬された吉田松陰は、刑死の後4年を経て出身地である長州の藩主別邸があったこの地に門人により改葬され、その墓の近くに創建されたのが「松陰神社」なのだそうです(@。@)ナルホド~!
この日は豪徳寺で安政の大獄の中心人物ともいえる井伊直弼の墓所も見て来たわけですが、井伊直弼と吉田松陰の墓所が直線距離にして900mほどの所にあるということが興味深かったです!
因みに現在の社殿は1928年に造営されたものとのことです(-人-)

境内には吉田松陰が門人を教育した「松下村塾」の模造がありました!
昭和13(1938)年に建築された建物は、模造とは言え全ての建築材料を萩で集めたということですから、長州藩の建材による復元なのですね(^.^)

そして松陰神社からは別ルートで烏山川緑道を経由して豪徳寺駅に帰り着き、この日の「ぶらり」を終了しました(^^)
今回も連載にお付き合いくださったみなさん、ありがとうございました~(^^♪

今回も連載にお付き合いくださったみなさん、ありがとうございました~(^^♪