台東区ウォーキングマップをたどって~その三~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

先ほど何気なく窓から夜空を見ましたら、さそり座の頭の所の星が3つきれいに見えましたので、それにつられて物干しに出てみましたところ、気温はまだまだ高い状態でしたが風があったので思いのほか気持ち良かったですよ(^^)v

さて記事の方は「台東区ウォーキングマップ」をたどった「ぶらり」の3回目です!

隅田川の東岸をしばらく北上した後は、前回の記事の最後に書きました通り、白鬚橋を東から西に向かって渡り台東区側に戻ります(^.^)

橋の上から川下方向を眺めるとスカイツリーが良く見えます(p.q)
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橋を渡り切った所には「明治天皇行幸對鷗荘遺跡」と刻まれた碑がありました!
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「行幸」の文字からすると明治天皇がこの地を訪れたということのようですが、「對鷗荘遺跡」とはどういうことなのか傍らにあった説明板を読んでみますと・・・

対鷗荘跡(たいおうそうあと)
      台東区橋場二丁目一番

 隅田川畔の橋場一帯は、風光明媚な地であり、かつては著名人の屋敷が軒を連ねていたという。対鷗荘もその一つで、明治時代の政治家山上実美(一八三七-九一)の別邸であった。
 「征韓論」をめぐって、政府内に対立が続いていた明治六年(一八七三)の十月、太政大臣の要職にあった実美は心労のあまり病に倒れ、この別邸で静養していたが、同年十二月十九日明治天皇は病床の実美を気使い、この邸を訪れている。
・・・後略・・・

~対鷗荘跡の説明板より~

それにしても、いくら政府の要職にあったとは言え、明治天皇が政治家の病床を訪れたとは、並大抵のことじゃないですよね~(@。@)

「対鷗荘跡」から100mちょっと南に下りますと「橋場不動尊」がありました!
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こちらは「浅草名所七福神」の一つだそうで、いらっしゃるのは布袋様です(^.^)

イメージ 4「橋場不動尊」からマップを頼りに10分ほど進みますと、お次は「お化け地蔵」に到着です!
「お化け地蔵」と呼ばれる由来は、かつて大きな傘をかぶっていてその傘が向きを変えたからとか、高さ3mあまりと言う並外れた大きさ故とか、いくつかの説があるそうです!?

大きなお地蔵様に手を合わせた後、6分ほど進みますと「玉姫稲荷神社」に着きました(^^)
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760年創建と伝わっているそうですから、歴史のある神社なんですね~!

ユニークだったのは拝殿前に「あしたのジョー」のパネルがあったことです(@o@)
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これはジョーが所属する丹下ジムが、神社から300mあまりの所にあったという設定になっていることに因んでいるのだそうですよ(^.^)

玉姫稲荷神社の辺りは商店街になっているのですが、遅い時間帯に営業する飲食店が多いようで、午前中のこの時間は静かでした!
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そんな商店街を抜けると「吉原大門」の交差点際に立つ「見返り柳」が見えて来ました(^_-)-☆
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吉原から帰る客が、後ろ髪を引かれる思いで、この辺りで遊郭を振り返ったことから「見返り柳」と呼ばれたのだとか!

もっとも道路の整備や区画整理によって、今の柳の場所は元あった場所とは違っていて、木も震災や戦災による消失などで、何代かにわたって植え替えられたものだそうですが・・・

見返り柳がある交差点からもスカイツリーが良く見えましたよ(*^^)v
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そこから200mあまり道なりに南東方向に進んだのち、大きな通りに並行する「山谷堀公園」に入りました!
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名前から想像できるように、かつてここを流れていた「山谷堀」を埋め立てた後に整備された公園だそうです(^.^)

「山谷堀公園」には正岡子規の句が刻まれた碑がありましたよ!
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