水海道を「ぶらり」~その三~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今週のニュースはお盆の帰省ラッシュや、早くも始まったUターンラッシュの話題が多いですね!

実際に通勤時の電車が空いてることや、いつも渋滞している道路がスイスイ流れているのを見ても、休みを取っている人が多いことが実感できましたよ(^^)

さて記事の方は前回に続きまして、水海道を「ぶらり」の3回目です!

前回の記事の最後でご紹介した「水神宮」から土手を上がると、「鬼怒川」の流れが望めます(^_-)-☆
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江戸時代の工事で鬼怒川と利根川が直結されたことにより、この辺りは水運の中継地点として栄えたのだそうです!

当日(8月9日)は、西日本へ向かっていた台風11号の動きも気になる状況でしたので、こういう設備にも自然と目が向きましたよ(・o・)
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そして「水位観測所」からクルリ振り向けば、「水海道河岸跡」の石碑がありました!
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石碑の所から川と直角の方向に街並みがありまして、その辺りが河岸として賑わったのだそうです!

なんたって「鬼怒川の水は尽くるともその富は尽くることなし」とまで称えられたほどの繁栄だったそうですよw(@o@)w

ところで石碑自体は平成10年に建てられた比較的新しいもののようなのですが、新しいか古いかはともかくとして・・・
イメージ 4土手に上がる石段から石碑まで、思いがけず草をかき分けての道のりになりました(^_^;
もともと踏み分け道のような通路だったようなのですが、この時期は夏草が茂っちゃっていたんですねぇ~(^^ゞ

出来れば草だけでも刈っていただけると助かるのですが~・・・(^_^;

かつて河岸として賑わったのであろう通りには、こんな建物も残っていました!
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この建物は質屋さんだったとの説明板がありましたが、他にも大きな商家などが並んでいたのでしょうねぇ~(^.^)

残念ながら、水運に直接かかわる様な史跡は少ないのだそうですが、こちらの「冨山倉庫」は明治時代の水運業者の倉庫だそうですよ
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「冨山倉庫」から100m足らず進むと、「五木宗レンガ蔵」と呼ばれる、明治時代に建てられたというレンガ造りの倉庫がそびえていました!
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「五木宗」とはちょっと変わった名前ですが、当地の有力な問屋「五木田家」が代々「宗右衛門」を名乗ったことから、「五木田家の宗右衛門さん」をちぢめて「五木宗」なんですね(^_-)-☆

「五木宗」の高い倉庫を仰ぎ見ながら通過すると、そのすぐ先に現代の呼び方で言うと「豊水(ほうすい)橋」という橋があるのですが、現役の橋のわずか下流側に、面白い物が残っていましたよ!

「豊水橋三代」と名付けられていましたが、1965(昭和40)年に開通したという今の橋の下流に、先代並びに先々代の橋の名残りがあるんですよ(^^)
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先代は1926(大正15)年に完工したというコンクリート橋の橋台で、さらに先々代のレンガ製の橋台は1890(明治23)年完工のものだそうです(@o@) ホホォ~ッ!

先ニ代の橋台の建材が変わっているのも、興味深いですね!

それにしても、橋を架け替えるなんていう工事は別に珍しくも無いでしょうけど、どういうわけで古い橋台が二代も残ったのでしょうかねぇ(?。?)

ちなみに、今は「豊水(ほうすい)」と呼ばれている橋ですが、本来は対岸の「豊岡」と「水海道」の一文字ずつをとった「とよみつ」橋なのだそうで、そんな名前の由来も面白いですね(^^)

そして残された橋台の上が、親水公園として整備されているのも興味深かったです!