今日の散歩おじさん地方は昨日よりさらに寒くなりました(+_+)
TVやラジオの天気予報では「2月下旬並みの気温」なんて言ってましたよ(◎o◎)
温度計の数字を見れば同じなのでしょうけど、真冬の寒さを乗り越えてきた体で感じる実際の2月下旬の気温と比べたら、一度暖かさを経験してから感じる「2月下旬並み」はかなり寒く感じますよね(^_^;
さて記事の方は、4回にわたって連載してきた「旧日光街道」の最終回です!
いよいよ日光街道の最初の宿場であります「千住宿」に到着ですよ(^_-)-☆
昨日の記事でご紹介した「やっちゃ場通り」を抜けてさらに北上すると、街道はやがて墨堤通りと交差するのですが、その交差点に「一里塚跡」と「高札場跡」の石碑があります!
日本橋から「千住宿」までが8kmあまりですので、ここにあった一里塚は2里目ということになりますね(^_-)-☆
日本橋から「千住宿」までが8kmあまりですので、ここにあった一里塚は2里目ということになりますね(^_-)-☆
高札場は町や村の入り口に設けられることも多かったと言いますから、ここが宿場の入り口と考えて良さそうです!
高札場から宿場の中心に向かう道の半ばには、「千住宿 問屋場・貫目改所跡」がありますよ(^.^)
石碑の後ろに見える広場に問屋場と貫目改所があったそうで、現在は建物の跡を示す線が引かれています!
石碑の後ろに見える広場に問屋場と貫目改所があったそうで、現在は建物の跡を示す線が引かれています!
「問屋場・貫目改所跡」から宿場の中心部方向を見ると、こんな感じです(^.^)
旧道の宿場跡というと、場所によっては残念ながら寂れてしまっている所もあるようですが、千住宿は「北千住駅」の駅前商店街も構成してますので、なかなか賑わってますよ(*^^)v
旧道の宿場跡というと、場所によっては残念ながら寂れてしまっている所もあるようですが、千住宿は「北千住駅」の駅前商店街も構成してますので、なかなか賑わってますよ(*^^)v
なにしろ「北千住」にはJRの常磐線、東京メトロの千代田線、日比谷線、東武の東京スカイツリーライン(伊勢崎線)、さらには「つくばエクスプレス」と、実に5路線が乗り入れてますので、乗降客も多いのでしょうね!
この「横山家住宅」も以前にご紹介しましたが、旧道の宿場の雰囲気を感じさせてくれますね(^.^)
そして千住宿での楽しみの一つが、こちら「かどや」さんの「槍かけだんご」ですよ(^_-)-☆
水戸黄門様ご一行が千住宿で休憩した際、槍を立てかけたという「槍かけ松」というのが、かつて千住の名物だったそうなのですが、団子の名前はその松に因んで名付けたという事のようですよ!
水戸黄門様ご一行が千住宿で休憩した際、槍を立てかけたという「槍かけ松」というのが、かつて千住の名物だったそうなのですが、団子の名前はその松に因んで名付けたという事のようですよ!
その場で食べると言うと、以前は経木風の紙に乗せて出してくれて、それはそれで趣があったのですが、今はこういう器で出してくれました(^.^)
お味は焼きと餡子で、それぞれ90円也!
お味は焼きと餡子で、それぞれ90円也!
もっちもちの食感と、しっかり甘い餡子にしょっぱい醤油ダレが美味しいですよ~(^q^)
それにしても、今回の「千住宿ぶらり」で一番ビックリだったのは、「かどや」さんのお店が新しく立派になっていたことです!
ちなみに一昨年に訪れた時のお店の様子は、こんなでしたよ(◎o◎)
当時のはげかけた看板も、味があると言えばそうとも言えたのですけどね(^_-)-☆
当時のはげかけた看板も、味があると言えばそうとも言えたのですけどね(^_-)-☆
ところで↑で「黄門様ご一行・・・」なんて書きましたが、水戸街道を利用するはずの黄門様にまつわる話が、なぜ千住宿に残っているかと言うと、千住宿で日光街道から水戸街道が分岐していたからなのです!
分岐点は宿場の北の方だったようで、今はその場所に道しるべが立っています!
逆光で撮ったせいで、画像の文字は読めないと思いますが、右側には「東へ 旧水戸佐倉道」、左側には「北へ 旧日光道中」の文字が彫られています!
逆光で撮ったせいで、画像の文字は読めないと思いますが、右側には「東へ 旧水戸佐倉道」、左側には「北へ 旧日光道中」の文字が彫られています!
「旧・・・」と彫られていますので、この道しるべが後世に立てられたものであることは明白ですが、具体的に「ここで分岐した!」っていうポイントが分かって興味深いですよ(^_-)-☆
最後は「骨つぎ」で有名な「千住名倉医院」です!
江戸時代から「骨つぎと言えば名倉、名倉と言えば骨つぎ」と言われ、関東一円にその名が伝わっていたのだそうです!
遠方からも骨折患者がやってくるので、門前は患者を運んできた駕籠や大八車の溜り場になっていたそうです(◎o◎) ホホォ~
遠方からも骨折患者がやってくるので、門前は患者を運んできた駕籠や大八車の溜り場になっていたそうです(◎o◎) ホホォ~
現在も江戸時代から昭和中期までの建物が現存していて、足立区の登録史跡になっているそうですよ!
さて、この名倉医院が千住宿のほぼ北の端と言って良い位置ですので、ここをご紹介すれば、千住宿を南から北へ踏破したことになります(^_-)-☆
よって日本橋からえっちらおっちら歩いて来た今回の「ぶらり」も、最初の目的地までをクリアできました!
思いがけずたくさんの見どころに、連載も5回を数えましたが、お付き合いくださったみなさん、ありがとうございました(*^_^*)