行徳の寺社巡り④ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日の散歩おじさん地域、朝のうちこそ薄日が差す時間もあったのですが、だんだんに雲が厚くなって、夕方からは雨が降り出しました!

雨は明日の朝まで残る予報ですから、通勤、通学時には雨具が必要ですね(^_^;

さて記事の方はと言いますと、「行徳の寺社巡り」の4回目ですv(。・・。)イエッ♪

ちょっと急用など出来ちゃって、連載中に2日更新を休んじゃったので、いささか間の抜けた感は否めないところではありますが、今回が連載最終回の予定ですので、よろしくお付き合いください!

前回の記事でご紹介した「笹屋うどん」跡からは、しばらく旧行徳街道」を歩くのですが、旧道沿いには文化財なども残ってますよ(^^)

こちらの「加藤家主家・煉瓦塀」は文化庁の登録有形文化財になってましたよ!
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そういう登録などはされてないようですが、こういう建物が当たり前のように残っているのも嬉しいですね(^_-)-☆
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ところで、今回の連載で何度か登場したこの立て札ですが、矢印で次なる寺社を案内してくれます!
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↑の画像で言えば、画面左方向に進めば「八幡神社」まで80mで、反対方向に向かえば「胡録神社」まで350mってことですね(^^)

それは良いのですが、良く見ると「胡録神社」方向の矢印が曲がってますね~(@o@)
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曲がってると言っても、曲がる所の目標が描かれているわけでも無く、「こんな矢印で次の目標まで行けるのか?」と思われますよね~!

でもね、実際に歩いてみるとこの矢印の形が、充分に了解できるんですよ!

実は旧道が大きくカーブする所がありまして、矢印は「大きくカーブした先を左に曲がるべし!」っていう案内なんですよ!

因みに2枚目に載せた「藤井畳店」さんは、そのカーブの所にあるんですけどね(^_-)-☆

そして曲がった矢印の通りに歩くと・・・

ほ~ら! ちゃんと「胡録神社」さんに到着しましたよ!
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ご覧の通り住宅街の中の神社でして、民家に囲まれた鳥居やお社が微笑ましくも感じられました(*^_^*)

こちらの神社額は、まわりにずいぶんと立体的な彫刻が施されてますね(@o@)
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これから寺社を訪ねる時には、神社額や山号額に注目して見るのも面白いかも・・・って、この額を見て思いました!

境内にあったブルーシートの下は土俵だそうですよ(@o@)
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地元の相撲経験者によって作られたそうで、毎年7月には「ちびっこ相撲大会が開催されているそうです(^_-)-☆

歩いたコース沿いのお宅の庭では、ようやく色付いた柿に、無遠慮にもムクドリが群がってました(~_~;
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例の立て札に導かれ、概ね寺社を巡った今回の「ぶらり」ですが、最後に立て札が案内してくれたのは「おかね塚」と、その由来が刻まれた碑でした!
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ご覧の通りのなかなか立派な碑でして、刻まれた碑文もちゃんと読めたのですが、散歩おじさんの拙い文章で碑文を要約してしまうのもいかがなものかと思い、市川市のHPから文章をお借りしましたので、興味がおありの方は読んでみてくださいな(^^)
前略・・・押切の地が行徳の塩で栄えていた頃、押切の船着場には、製塩に使う燃料が上総から定期的に運ばれてきた。
 これら輸送船の船頭や人夫の中には停泊中に江戸吉原まで遊びに行く者もあり、その中のひとりが「かね」という遊女と親しくなって夫婦約束をするまでに至り、船頭との約束を堅く信じた「かね」は年季が明けるとすぐに押切に来て、上総から荷を運んで来る船頭に会えるのを楽しみに待った。
 しかし、船頭はいつになっても現れず、やがて「かね」は蓄えのお金を使い果たし、悲しみのため憔悴して、この地で亡くなった。
 これを聞いた吉原の遊女たち百余人は、「かね」の純情にうたれ、僅かばかりのお金を出しあい、供養のための碑を建てた。村人たちもこの薄幸な「かね」のため、花や線香を供えて供養したという。

~市川市のHPより~
なんとも悲しい話ですな~(T_T)

・・・とまあ、最後は悲しい話の碑文にたどり着いたのですが、全体を通しては楽しく散策出来まして、それが故に連載も4回になっちゃいました(^O^;タハハッ!

実を言うと、散歩おじさん自身も4回にもなるとは思わなかったのですが、お付き合いくださったみなさん、ありがとうございます(^O^)