行徳の寺社巡り② | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日は早くも立冬だそうですが、散歩おじさん地域では、上着が邪魔なくらいに昼間は暖かかったです(^_^)

ただ日中と朝晩の気温差が大きいのがこの季節の特徴でもあるそうで、明日の朝はグンと冷え込むそうですから、布団などそれなりに用意して寝た方が良さそうですヨ(@o@)

さて記事の方は昨日に続きまして「行徳の寺社巡り」です!

昨日の記事の最後でご紹介した「妙応寺」さんを後にして、さらに寺町通りを進みますと、この辺りの神社仏閣の中でも一番大きいかと思われる「徳願寺」さんに到着です(^^)
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「徳願寺」さんの門前には、昨日の記事でご紹介した様な立て札とは別に、説明書きが掲げられていましたので、その冒頭部分をご紹介しますと・・・
 徳願寺はもと普光院(ふこういん)とよぶ草庵で、浄土宗勝願寺の末寺であった。慶長15年(1610)徳川家の帰依により、新たに堂宇が建立され、徳川家の徳と勝願寺の願をとって、改めて『徳願寺』の名がつけられ、円誉不残上人を開山に開創されたものである。
・・・後略・・・
なるほど、徳川家とも縁浅からぬものがあるんですね~w(@o@)w

画像に写っている山門と鐘楼はともに1775年(安永4年)の建築だそうで、市川市の指定文化財だそうです!

なお本堂は1856年(安政3年)の火災で焼失し、大正時代に再建されたものだそうですが、それもなかなか立派なものでしたよ(^^)v

この画像は「徳願寺」さんを後にして、次のお寺に向かう途中で撮ったものですが、塀越しに山門、鐘楼、本堂の屋根が見えました!
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塀の上に見える部分だけでも、なかなか立派な景観ですよね!?

ところで行徳では江戸時代に塩づくりが盛んだったそうです!
(前略)
幕府は、江戸に近い所から塩を供給できるため、保護政策を施し、塩づくりを奨励していた。
しかし、気候的に瀬戸内地方ほどは恵まれず、自然災害も多く、やがて海苔の養殖へと転換し、塩田は姿を消すこととなった。
その名残りとして、行徳地域には、塩にちなんだ地名がいくつかつけらている。

~市川市のHPより~
「塩にちなんだ地名」としては、「塩焼」や「本塩」などの町名が今でもありますよ(^.^)

・・・で、なんで急に塩の話を始めたかと言いますと、次に訪れた「法善寺」さんは「塩場寺(しょばでら)」とも呼ばれているということなので、ちょっと行徳の塩の話にも触れてみました!
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「法善寺」さんは、大阪から来て製塩方法を教えた「河本弥左衛門」なる人物が、後に出家して創建したお寺で、製塩に深い関係があることから「塩場寺」と呼ばれたそうです(@o@)ナルホド

↑の画像で、本堂の前に松が見えますが、その根本に塩塚と呼ばれる塚があります!

その塚に、行徳の俳人たちが松尾芭蕉の百回己を記念して句碑を建てたのだそうですよ(*^_^*)
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それにしても歴史に触れるような散策をすると、松尾芭蕉という名に出会う確立は、か~なり高いですねぇ!

「法善寺」さんを後にして、5分足らずで到着しましたこちらは「圓頓寺(えんとんじ)」さんです!
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寺社が集中する一帯と言っても、↑の「徳願寺」さんのような立派な山門を構えたお寺もあれば、「圓頓寺」さんのようなこじんまりしたお寺もあって、いろいろですね(^_-)-☆

「圓頓寺」さんの次に訪れたのは「豊受(とようけ)神社」です!
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昨日の記事でご紹介した「稲荷神社」とこちらの「豊受神社」、そして「神明神社」の三社が、行徳のお祭りでは重要な役割を担っているそうですよ(^^)v

きょう最後の画像はこちらです!
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何の変哲も無い、住宅街の路地なのですが、実は徳川家康が鷹狩りの際に通ったと伝えられる、その名も「権現道」という道なのですよv(。・・。)イエッ♪

こんな細い路地を権現様ご一行が通ったとは、にわかには信じられないのですが、当時はまわりも田んぼだったでしょうから、それなりの広さがあったのかもしれませんね!?

さて、きょうも寺町通りに沿った辺りの様子をいろいろご紹介しましたが、「ぶらり」はさらに続きますので、またまた「次に続く」ということでお願いします(^^)