市川を「ぶらり」~その二~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日の散歩おじさん地方は、予報通り「曇りのち雨」という天気でした!

予報を聞いて、散歩おじさんは勝手に「雨は昼ごろからかな!?」なんて思っていたのですが、午前中のわりと早い時間から降り始めましたよ(@o@)

だいぶ秋が深まってますから、雨が降るとひんやり感じられますね!

さて記事の方は昨日の続きで、市川を「ぶらり」の2回目ですv(。・・。)イエッ♪

昨日の記事にも書きましたが、今回「ぶらり」した辺りは何度も「ぶらり」して記事にもしている場所ですので、以前にアップした記事とダブる部分も多いので、あらかじめご了承くださいね(^_-)-☆

なお今日の記事では昨日の記事でご紹介した「手児奈」が何度か出てくるのですが、この記事で再び説明すると長くなりますので、ご存じで無い方は、お手数ですが昨日の記事をご覧ください(^_^;

昨日の記事でご紹介した「手児奈礼堂」から細い道を挟んだすぐ隣には「亀井院」というという寺がありまして・・・
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「亀井院」さんの本堂の裏には、手児奈が水を汲んだと伝えられている井戸があります!
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今は「亀井院」さん自体が民家に囲まれているので、井戸の周りも狭いのですが、手児奈が水を汲んだ頃はどんな眺めだったのでしょうね!?

続きまして、立派な仁王門を構えるこちらは「弘法寺(ぐほうじ)」です(^_^)
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このお寺も元々は、手児奈の霊を供養するために建立した「求法寺(ぐほうじ)」が始まりとされているのだそうですよ!

弘法寺のHPの説明ページに拠りますと・・・
ここ真間山、弘法寺(ぐほうじ)は奈良時代、天平九年(737)、行基菩薩がこの地にお立ち寄りになられた折、里の娘、手児奈の哀話をお聞きになり、いたくその心情を哀れに思われ、一宇(いちう)を建てて「求法寺(ぐほうじ)」と名づけ、手厚くその霊を弔われた。
 それからおよそ百年ほど経た平安時代、弘仁十三年(822)に弘法大師(空海)が教えを弘められるためにおいでになられた時、求法寺を七堂伽藍に再建され、寺運を一新して、「求法寺」を「弘法寺」と改称された。
・・・と言うことだそうです(@o@)ナルホドォ~!

もっとも境内の諸堂は明治21年(1888年)に火災のため焼失したそうで、現在の諸堂は明治23年(1890年)に再建されたものだそうです!

明治23年に再建とは言っても、↑の仁王門も、この鐘楼堂も立派な造りで、再建の年代以上の歴史が感じられる気がするのは、周りの木々の様子などの影響もあるのでしょうね(^_-)-☆
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境内には樹齢400年と言われる「伏姫桜(ふせひめざくら)」という枝垂れ桜がありまして、春には多くの人が訪れますが、いまは静かな境内でした!
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・・・ん? 樹齢400年!

・・・ってことは明治の火事の際にも、この桜は生き残ったってことですねw(@o@)w

伏姫桜の隣にある「祖師堂」の前では、幼稚園の子供たちが、「今日も仲良く元気に遊びます!」というような事を、声を合わせて「元気に」言いながら、みんなで手を合わせる様子が可愛かったですよ(^^)
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弘法寺から次なる目的地に向かうには、本堂裏の墓地の脇を通るのですが、桶を置いてある棚の所にはこんな立て看板が・・・
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お墓参りに来た方を襲うとは、不届きなカラスですね~<`ヘ´>

いくら不届とは言え、カラス相手にそんなこと言っても奴らの襲撃が収まるとは思えませんから、どうか気を付けてお参りしてくださいね(^_^;

ところでこの辺りには、周辺の見どころを案内してくれるこんな案内板があるのですけどね・・・
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実はこの案内板を見て、散歩おじさんは「そうだっ! あそこにも行ってみようv(。・・。)イエッ♪」って思っちゃったので、さらに散策が続くことになりました(^_^;

・・・ってなわけで、まだ市川を「ぶらり」が続きますので、よろしかったらまた遊びに来てくださいな(^^)