日本の近辺にある二つの台風のうち、伊豆諸島の辺りにあった18号は、次第に日本列島から離れる様な進路予想になりましたが、南の方にあった17号は九州、四国から本州に近づく気配も見えてきました(-.-)
今後の台風情報に、注意が必要ですね!
さて昨日の記事では、「ぶらり」の前段で、小湊鉄道の車両などをアップしましたが、今日からいよいよ「市原をぶらり」の本編ですよv(。・・。)イエッ♪
記事タイトルの通り、小湊鉄道を上総村上駅で降りた散歩おじさんは、上総国分寺を目指して歩き始めました!
例によって道中も辺りをキョロキョロしながら歩いてましたら、パチンコ屋さんの駐車場入り口に、こんな幟を見つけましたw(@o@)w
お店側がこんな幟を立てなきゃならないのは、車の中に子供を放置したままパチンコに夢中になっていて、子供が亡くなるという事故が後を絶たないせいでなのでしょうねぇ(-"-)

ちょっと残念な幟を目撃してしまいましたが、気を取り直してさらに進みますと、こんな行き先表示がありました!
どうやらこの辺りには「房総ふれあいの道」と言うのがあるようですね~!?

散歩おじさんは「房総ふれあいの道」の事はまったく知らずに行ってまして、この日のコースもこの道とは関係無かったんですけどね!
やがて「上総村上」駅から20分ほどで「上総国分寺」に到着です(*^^)v
より正確に言うならば、「古代の上総国分寺跡」に到着と言わなければならないのですが、ここで「国分寺」について、簡単なご説明を・・・

国分寺は、今から千二百五十年ほど前、聖武天皇の詔によって、国の平和と繁栄を祈るために全国六十ヵ所余りに建てられた僧寺と尼寺による国立寺院で、地方の仏教や文化の中心となりました。上総国分寺は、その中でも規模が大きく、伽藍も良く整った代表的な国分寺といわれています。 ~上総国分寺跡のパンフレットより~・・・ということで、古代の国分寺跡を見てみましょう!
こちらは「西門跡」です!
太い丸太の様な物は、発掘調査によって明らかになった当時の柱の位置を示しているとのことです(@o@) ナルホド~

門前に写っている道路との比較で、おおよその大きさがご想像いただけると思います(^_-)-☆
「西門跡」のそばにあった案内板には、当時の伽藍の図があったのですが、その図から推察すると、「金堂」はこの辺りにあったようなのですが、今は夏草が茂るばかりです(^_^;
何らかの形で復元されるのも分かり易いですが、何も無い所に当時の建物を想像するのも興味深いですね(^^)

国分寺の特色の一つとしてあげられるのが七重塔なのだそうですが、この石は七重塔の礎石です!
上総国分寺の七重塔は高さが63m以上で、法隆寺の五重塔の2倍近くもあったそうですよw(@o@)w

当時の一般の人の住居は、まだ竪穴式住居だったそうですから、その人たちにとって63m超の塔と言えば、現代の東京スカイツリーどころの騒ぎじゃ無かったでしょう(;^_^A アセアセ・・・
そして七重塔は、現在の市原市庁舎よりも高かったってことが、復元図で説明されてましたよ!
それにしても1200年以上前に、これだけの塔を建てる技術があったとは驚きですよねw(@o@)w

現在でもこの場所には「医王山清浄院国分寺」というお寺があり、古代の国分寺の法灯を伝えているとの事ですが、こちらは現在の「国分寺」の薬師堂です!
分厚い茅葺屋根が立派ですね~(*^_^*)

ところで↑の枠内の説明にもありますが、僧寺と尼寺がセットになって「国分寺」と呼ばれるそうで、尼寺じゃない方の国分寺は、より正確に言うならば「国分僧寺」ということになりますね!
そう言えば、市川にある下総の国分寺も「尼寺跡」がすぐ近くにあったなぁw(@o@)w
・・・と書けば察しの良いみなさんは既にお分かりの事と思いますが、「国分僧寺」跡を見物した散歩おじさんは、この後「国分尼寺」も見て来たのですが、それは続きの記事とさせていただきますので、よろしかったらまた遊びに来てくださいね(^_-)-☆