今日は、朝からどんより曇り空だった散歩おじさん地域!
予報通り昼ごろに雨がパラついたのですが、その後は降るんだか降らないんだかはっきりしない・・・そんなうっとうしい天気でした(-.-)
さて記事の方は、前回に続きまして足立区内にある「歴史と文化の散歩道」をぶらりした時の様子をご覧ください(^.^)
前回の記事でご紹介しました「鷲神社」を後にして、道標の地図を頼りに歩くこと15分弱で、次なる目的地であります「炎天寺」に到着しましたv(。・・。)イエッ♪
あっ、「道標とか地図とかって、何のことさ?」・・・って方は、よろしければ「西新井大師からスタート~足立区を「ぶらり」~」の記事をご覧くださいな(^.^)

ちなみに「炎天寺」がある場所の地名は「足立区六月」という地名でして、「六月」は素直に「ろくがつ」と読んで良いのですが、以前から地名としては変わってるな・・・と思っていたんですけどね!
加えて、そこにあるお寺の名前が「炎天寺」と、これまた暑そうな、お寺の名前としてはちょっと変わってますよねぇ~!
そんなちょっと変わった、地名とお寺の名前の由来を、「炎天寺」の境内にありました説明板から、ご紹介しますネv(。・・。)イエッ♪
この寺の歴史は古く、八幡太郎義家が奥州下向の際、この地で野武士と戦い、苦戦の末勝利を得たので、炎天寺を建立しました。 戦が六月の炎暑の最中であったので、村名を六月村、寺の名を炎天寺と名付けたといわれています。なるほど、そういう由来であったのか~(@o@)ナルホド~
歴史に詳しくない散歩おじさんは、帰ってから確認してみましたが、八幡太郎義家(源義家)と言えば平安時代の武将ですから、たいそう歴史のあるお寺なんですね~w(@o@)w
ただ、本堂は比較的新しい建物のようでしたよ(^_-)-☆


また小林一茶が「蝉鳴くや六月村の炎天寺」と詠んだことから、一茶ゆかりの寺としても有名だそうで、一茶の像がありました!


そして境内の池のほとりにはその句の碑が建てられてましたよ(^.^)


他に「やせ蛙 まけるな一茶 是にあり」の句碑もあって・・・


池では「やせ蛙」が頑張ってましたよ~(^_-)-☆


ところで他の説明板には、八幡太郎義家は野武士との戦いに苦戦した際、石清水八幡に祈願して勝利を収めたので、八幡社を建立したという説明も書かれていまして、その八幡神社が炎天寺の隣にあります!
それにしても、ホントにお隣さんですねぇ~w(@o@)w

どんくらいお隣さんかと言えば、境内には柵なども無く、お寺の本堂と神社の拝殿が仲良く並んでるんですよ!

さてさて、連載3回目は「一茶ゆかりのお寺」などご覧いただきましたが、いかがでしたでしょうか?

さてさて、連載3回目は「一茶ゆかりのお寺」などご覧いただきましたが、いかがでしたでしょうか?
連載はまだ続きますので、よろしかったら、また遊びに来てくださいね(^_-)-☆