今日の散歩おじさん地域は午後6時過ぎ、いきなりもの凄い雨音とともに土砂降りになりました!
まあ、午後の早い段階で西の方から大雨っていう情報が流れていたんで、降った事には驚きませんでしたが、その激しさにはビックリでしたよw(@o@)w
昨今ゲリラ豪雨などという言葉も、普通に聞かれるようになっちゃいましたから、天気の急変には気を付けないといけませんよね!
さて記事の方は「旧日光街道ぶらり」の2回目になります!
橋の南詰に立っていた、「大橋」の説明が掘られた碑を撮って来ましたので、興味がおありの方は「右下クリック」で大きくしてご覧ください!
今の橋が昭和2年に架けられたとの説明ですが、1枚目の画像を大きくして見ていただくと、橋の中央上部掲げられた文字が、右から読むように「橋大」となっているのがご覧いただけます!
今の橋が昭和2年に架けられたとの説明ですが、1枚目の画像を大きくして見ていただくと、橋の中央上部掲げられた文字が、右から読むように「橋大」となっているのがご覧いただけます!
そういうところにも時代を感じつつ、「なるほど~っ!」などと言いながら眺めるのも楽しいですね(^^)
橋の北詰には「おくのほそ道矢立初の碑」がありました(^_-)-☆
↑の橋の説明にもありますが、見送りの人々と別れた芭蕉が、まず筆を取った場所ということでしょうね!
↑の橋の説明にもありますが、見送りの人々と別れた芭蕉が、まず筆を取った場所ということでしょうね!
千住大橋から120mほどの所の信号は「足立市場前」という名称なのですが、そこから見える現在の足立市場を右手に見てさらに北へ向かうと、「やっちゃ場通り」という通りがあります(^_-)-☆
その名の通り、むかし青果物問屋が軒を連ねていたという通りでして、通りの南北には「やっちゃ場」の説明が掲出されていましたよ(^^♪
この画像もクリックで大きくなりますので、ご用とお急ぎでない方は説明も読んでみてくださいね(^_-)-☆
この画像もクリックで大きくなりますので、ご用とお急ぎでない方は説明も読んでみてくださいね(^_-)-☆
そして「やっちゃ場通り」の建物には、そこが元々どんな商いをしていたところだったのか・・・を示す看板が出ているんですよ!
どの看板も、律義に「元・・・」と書かれているのも面白いですね(^^)
どの看板も、律義に「元・・・」と書かれているのも面白いですね(^^)
建物や通りはすっかり現在の眺めですが、こういう看板を見ていろいろ想像しながら歩くのも興味深いです♪
こちらは「やっちゃ場通り」の途中にあります「千住歴史プチテラス」ですよ!
写っている蔵は、千住四丁目の元地漉き紙問屋の横山家にあった内蔵を移築したそうで、現在はギャラリーになっています(^.^)
写っている蔵は、千住四丁目の元地漉き紙問屋の横山家にあった内蔵を移築したそうで、現在はギャラリーになっています(^.^)
ギャラリーが開いている時は蔵の中を見ることもできる・・・ということで、この日は運良く(?)オープン中でしたので、中も見て来ましたよ(*^^)v
「やっちゃ場通り」の看板を興味深く眺めながら通り抜け、さらに300mちょっと北上した交差点の際には「千住高札場跡」の碑がありました!
・・・と言っても、ご覧の様なサイズの碑ですので、予め場所が分かっていないと見落としそうですね~(^_^;
・・・と言っても、ご覧の様なサイズの碑ですので、予め場所が分かっていないと見落としそうですね~(^_^;
さらに同じ交差点にありました「一里塚跡」に至っては植え込みの陰で、たまたま近くで行われていた道路工事の、作業の人の荷物置き場になっちゃってました(^O^;タハハッ!
高札場跡を通り過ぎたという事は、いよいよ千住の宿という事ですが、高札場跡のちょっと北側にあったのは「千住問屋場・貫目改所跡」ですv(。・・。)イエッ♪
問屋場(といやば)とは、人足や馬の手配をする所、貫目改所(かんめあらためじょ)とは、運賃算定のため荷物の重量検査をする所という事ですから、いずれも宿場の大切な機能を果たす場所だったんですね!
問屋場(といやば)とは、人足や馬の手配をする所、貫目改所(かんめあらためじょ)とは、運賃算定のため荷物の重量検査をする所という事ですから、いずれも宿場の大切な機能を果たす場所だったんですね!
跡地は今ではブロックが敷き詰められた広場ですが、それぞれの建物の場所が分かるように、実物大で区画の線が描かれていました!
さてここからはいよいよ千住宿の様子になりますが、またまた次回に続くということでお願いしますね(^_-)-☆
さてここからはいよいよ千住宿の様子になりますが、またまた次回に続くということでお願いしますね(^_-)-☆