今日の散歩おじさん地方は、曇りと言えば曇りなんですが、薄っすら影が出来るほどの日も差しているという、なんとも中途半端な天気でしたよ(^_^;
いっそ今日、明日あたり天気が悪くなっても、週末に回復してくれた方がありがたいのですが、そう都合良くはいかないようです((^┰^))ゞ テヘヘ
さて「船橋ぶらり」の連載も今日で4回目、最終回になりますv(。・・。)イエッ♪
まずは「その三」の記事でご紹介しました、古い建物の商家が残る通りの歩道にあります、この碑(と呼んで良いのかな?)からご覧ください!
画像では見難いですが「寺町入口」と掘られています(^^)
つまり、「ここから先はお寺の多い地域に入りますよ」・・・ということを案内してくれているんですね!
案内の通りいくつものお寺があって、いろいろ見て来ましたが、その中でも印象に残った二つをご紹介したいと思います(*^^)v
画像では見難いですが「寺町入口」と掘られています(^^)
つまり、「ここから先はお寺の多い地域に入りますよ」・・・ということを案内してくれているんですね!
案内の通りいくつものお寺があって、いろいろ見て来ましたが、その中でも印象に残った二つをご紹介したいと思います(*^^)v
一つ目は覚王寺というお寺にあった「難陀龍王堂(なんだりゅうおうどう)」です!
難陀龍王は海上守護の神として信仰を集めたそうですが、このお堂は嘉永3年(1850年)の再建との事ですから、160年ほど前に建てられたお堂ということになりますね(^_-)-☆
保護のためでしょう、ご覧の様にお堂をスッポリ覆うように小屋が掛けられていましたよ!
保護のためでしょう、ご覧の様にお堂をスッポリ覆うように小屋が掛けられていましたよ!
そんな状態ですので、お堂全体を撮ることは叶いませんが、なんとか雰囲気が伝わる様な画像を撮って来ましたのでご覧ください!
お堂の正面には龍、側面には天人や天女の立体感のある彫刻が施されていました!
全体の古びた感じも伝わると良いのですが・・・
全体の古びた感じも伝わると良いのですが・・・
二つ目は不動院の大仏様なのですが、この大仏様と共に「大仏追善供養」という行事が伝わっていて、市の無形民俗文化財に指定されているそうです(@o@)ホォ~!
「大仏追善供養」は、ある事件をきっかけに行われるようになったのだそうですが、説明板によりますとその事件というのは・・・
「大仏追善供養」は、ある事件をきっかけに行われるようになったのだそうですが、説明板によりますとその事件というのは・・・
(前略) 文政7年(1824)年、船橋村と猫実村(現在の浦安市)との漁場の境界を巡る争いが続いていた時、船橋漁師の占有漁場に他村漁師の船が侵入してきました。その中に、一橋家の幟を立てた船があり、乗っていた侍を船橋の漁師が殴打し、幟を奪ってしまいました。大きな事件であったことから、船橋の漁師総代3名が入牢させられました。1名は牢死し、1名は牢を出て間もなく死亡しました。 (後略)・・・という事件だったそうで、この事件で亡くなった漁師総代と、それ以前の延享3(1746)年の津波による溺死者とを合わせ供養するため「大仏追善供養」が始まったのだそうですよ!
その「大仏追善供養」とは、食の乏しい牢内の苦労を慰めるという意味で、炊き上げた白米を大仏様に盛り上げるように付ける・・・ということなんですが、散歩おじさんも説明を読んだだけでは、いったい白米をどんな風に付けるか、にわかには想像できませんでしたので、説明板に載ってた写真をパチリして来ました(^^)
なんとまぁ~っ、大仏様の口の辺りに、まさに盛り上げるように付けるんですね~w(@o@)w
「たくさんお食べください」っていうことなんでしょうけど、これだけ盛り上げられちゃうと、ちょっと食べ辛そうですね~(^_^;
「たくさんお食べください」っていうことなんでしょうけど、これだけ盛り上げられちゃうと、ちょっと食べ辛そうですね~(^_^;
いろいろ見物しつつ寺町を抜けると、船橋市民文化ホールの前に出るのですが、ここでまたまた太宰治の登場です!
文化ホールの入り口には、太宰治が植えたというキョウチクトウがありました(^_-)-☆
昭和10年夏から11年秋にかけてこの近くに借家住まいをした際、その敷地内に植えたものだそうですよ!
昭和10年夏から11年秋にかけてこの近くに借家住まいをした際、その敷地内に植えたものだそうですよ!
その後、その敷地が整備されることになったので、今の場所に移植したとのことです!
ところで太宰治はこの船橋の家が最も愛着が深かったという事を、戦後の作品に書いているんだそうで、説明板には以下の文章が紹介されていました!
(前略)どうしてもその家から引き上げなければならなくなった日に、私は、たのむ!もう一晩この家に寝かせて下さい。 玄関の夾竹桃も僕が植ゑたのだ、庭の青桐も僕が植ゑたのだ、と或る人にたのんで手放しで泣いてしまったのを忘れてゐない。
そしてキョウチクトウの根本の碑には、その文章が刻まれていました(^_-)-☆
文化ホールを後に、次は古い時代の船橋の入口に行きますと、「西向き地蔵尊」がありましたよ!
場所が古い時代の船橋の西の外れだそうですから、「西向き」で(つまり外を向いて)船橋を守っていたと言う意味があるのでしょうね(^^)
場所が古い時代の船橋の西の外れだそうですから、「西向き」で(つまり外を向いて)船橋を守っていたと言う意味があるのでしょうね(^^)
さていよいよ今回の「船橋ぶらり」の最後のスポットは、またも「太宰治」縁の場所になります!
太宰治が20日ほど逗留して「めくら草子」などを書いたと言われる、「割烹旅館 玉川」です~(*^-゚)vィェィ♪
大正10年創業の純和風料理旅館とのことで、平成20年には国の登録有形文化財に指定されたそうです!
大正10年創業の純和風料理旅館とのことで、平成20年には国の登録有形文化財に指定されたそうです!
それにしても、今回の「ぶらり」では「太宰治」関連のスポットが思いがけず多かったですよ~w(@o@)w
ふう~っ、・・・ということで、ようやく最後のスポットまでご紹介出来ましたね~(〃´o`)=3 フゥ
途中でも書きましたが、思いがけずたくさんの見どころで、連載も4回になりました(;^_^A アセアセ・・・
なにしろ町歩きをしますと、大喜びでいろいろ眺めてくるもので、文章も多く記事も長くなっちゃうのですが、お付き合いくださったみなさん、ありがとうございました~!