皇居東御苑(続き) | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

散歩おじさんの「ぶらりWalk」

散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

なんですか、いつの間にやら台風の進路の予報円が本州にもかかってきてますね~(@o@)

奄美大島の方たちは引き続き大変でしょうけど、進路方向の各地も台風の方向に注意して用心しないといけませんね!

さて記事の方は「皇居東御苑」の続きになりますよ(^_-)-☆

昨日の記事でご紹介した「百人番所」から坂を登りますと、そこは江戸城本丸の入り口だったそうで、「中雀門」という門があったそうです!

「百人番所」の手前にあったという「中之門」同様に、こちらも門その物は残っていませんが、両側の石垣の下に門柱の土台になっていたと思われる石が残っていました
イメージ 1


上の画像の坂を上りきった所を左に折れて、ちょっと林の中を進むと見えてきますのが、こちらの「富士見櫓」ですv(。・・。)イエッ♪
イメージ 2
柵があるので間近まではいけないのですが、お堀越しに見る櫓とは違った角度の眺めを楽しめますよ

ところでみなさんは「赤穂浪士討ち入り」の発端ともなった「松の廊下」の事件はご存知でしょう!

正確には「松之大廊下」と呼ばれるそうですが、吉良上野介に恨みを抱いた浅野内匠頭が殿中で刃傷に及んだという事件の舞台ですよね

そして皇居東御苑は江戸城本丸があった所なので、「松之大廊下」も当然そこにあったわけですが・・・

はいっ!こちらがその「松之大廊下跡」ですよ~!
イメージ 3
まあ、本丸の建物自体が無いんですから当然と言えば当然ですが、「松之大廊下跡」も草が生えていて、場所を示す石碑があるだけです(^_^;

もっとも、半端な物を復元されるくらいでしたら、想像を働かすほうが面白いとも言えますけどね(^_-)-☆

こちらは「富士見多門」と呼ばれる建物で、防御を兼ねて石垣の上に建てられた倉庫だそうです!
イメージ 4
戦の時には格子戸を開けて狙い撃つことが出来るように作られているそうです(@o@)ホォ~!

石垣にポッカリ開いた穴は石室の出入り口です!
イメージ 5
説明板によりますと、諸説あるものの、大奥の近くという場所から、非常の際に大奥の調度などを納めた所と考えられているそうです

さてさて、今回入りました大手門から見ますと、一番奥まった所と言う事になるのですが、江戸城の天守台が残されていますv(。・・。)イエッ♪
イメージ 6
この上に建っていた天守閣は三代将軍家光の代に完成したそうで、当時国内最大の天守閣だったとのことですw(@o@)w

地上からの高さが58mあったと言いますから、周りに高層ビルなど無い時代、上からの眺めはさぞ良かったことでしょうね~

もっとも完成からわずか19年後に「明暦の大火(振り袖火事)」で焼失して、その後は再建されなかったそうです!

天守台から北西方向には日本武道館の屋根が見えますよグッド!
イメージ 7
今では武道に限らず、いろんなスポーツの大会やコンサートなどに利用されてますね(*^^)v

ちなみに正式な呼び方は「にっぽんぶどうかん」だそうですねw(@o@)w

この画像は天守台から南の方向を見た眺めですが、苑内にある案内図と照らしてみますと、見渡せる部分はほとんど本丸の建物だったようですね目
イメージ 8
一番手前に見える広い芝生の部分は、「大奥」だったようですよ!

この日の「大奥(跡)」には、芝生でくつろぐ楽しそうなファミリーの姿が見られました(^_-)-☆