今朝の散歩おじさん地方、自転車で風を切って走るには手袋が無いと手がかじかんじゃう様な寒さでした(>_<;
真冬と比べればまだまだなのでしょうけど、体か寒さになれていないせいか、殊のほか寒く感じましたよ!
インフルエンザも気になりますが、こう急に寒くなると風邪にも気をつけなくちゃいけませんね(^_^;
さて、今日も10月31日に歩いた「隅田川テラス散策」の続きです(^.^)
昨日の記事の最後に、勝鬨橋のことをちょっと勉強したと書きました!
実は散歩おじさんも行ってみて初めて知ったのですが、勝鬨橋の築地側の橋のたもとに「かちどき 橋の資料館」というのがあったんですよ!
実は散歩おじさんも行ってみて初めて知ったのですが、勝鬨橋の築地側の橋のたもとに「かちどき 橋の資料館」というのがあったんですよ!
勝鬨橋を渡っている最中から見えていたのですが、行ってみるとありがたいことに、散歩おじさんの好きな「入場無料」でしたので、早速入ってみることにしましたv(。・・。)イエッ♪
勝鬨橋は、海運と陸運の共栄を意図して建造した特殊な構造形式で、国内唯一のシカゴ型双葉跳開橋として貴重である。また国内最大規模の可動支間を有する技術的完成度の高い構造物であり、近代可動橋の一つの技術的到達点を示している。 ~「かちどき 橋の資料館」のパンフレットより~
元の勝鬨橋の変電所が資料館になっているんだそうです!
どうですか、この看板!
周りの壁などは綺麗になっていましたが、この看板だけは残されているようですね(^_-)-☆
右から古い字体で書かれてるのも良いですよね~!
どうですか、この看板!
周りの壁などは綺麗になっていましたが、この看板だけは残されているようですね(^_-)-☆
右から古い字体で書かれてるのも良いですよね~!
中には当時の配電盤などがそのまま残されていましたよ~w(@o@)w
配電盤に付いていた部品ですが、木製の部品に墨で文字が書かれていましたよ!
こちらも字の古さが、面白いですね(^^)v
こちらも字の古さが、面白いですね(^^)v
この同じ形の2つの大きな装置は発電機だそうです!
当時の技術では交流電流だと電気を上手く制御できなかったそうで、交流電流で発電機を回して直流電流を作って、モーターを動かしていたそうです(@o@)ホォ~!
当時の技術では交流電流だと電気を上手く制御できなかったそうで、交流電流で発電機を回して直流電流を作って、モーターを動かしていたそうです(@o@)ホォ~!
最後の跳開の写真がありました!
昨日の記事に何人かの方から「最後に開いたのはいつ?」というようなコメントをいただいたのですが、リコメで返事しちゃうと、今日書くことがなくなっちゃうので、保留させていただきました(;^_^A アセアセ・・・
最後の跳開は昭和45(1970)年11月29日だそうです(^_-)-☆
昨日の記事に何人かの方から「最後に開いたのはいつ?」というようなコメントをいただいたのですが、リコメで返事しちゃうと、今日書くことがなくなっちゃうので、保留させていただきました(;^_^A アセアセ・・・
最後の跳開は昭和45(1970)年11月29日だそうです(^_-)-☆
開閉回数は、戦前は一日5回。戦後の昭和22年からは一日3回、昭和36年からは一日1回だったそうです!
船の通行のための最後の跳開は昭和42(1967)年だそうで、その後は年に1回ぐらい試験のために跳開されていたのが、↑の写真の跳開を最後に開かずの橋となったそうです!
でも試験のためとは言え、大阪万博の年までは開いてたんですね~w(@o@)w
動く模型もあって、開閉の時の要員配置などテープで分かり易く説明されてました!
その説明によると、可動部は70°まで70秒で開いたそうですよ!
その説明によると、可動部は70°まで70秒で開いたそうですよ!
「重要文化財指定書」という物を初めてみました(゜o゜)
清洲橋と永代橋も同時に指定されたようで、3枚の指定書が並んで掲げられていましたよ!
清洲橋と永代橋も同時に指定されたようで、3枚の指定書が並んで掲げられていましたよ!
ところで勝鬨橋の名前は「勝鬨の渡し」に寄るそうですが、そもそも「勝鬨の渡し」は、日露戦争の旅順陥落を機に、京橋区民の有志がそういう名の渡船場を設置して東京市に寄付したものだそうです(@o@)ヘェ~!
・・・というわけで、橋の資料館の前にあった「勝鬨の渡し」の石碑です!
正面の文字は「かちときのわたし」となってますね(^_-)-☆
正面の文字は「かちときのわたし」となってますね(^_-)-☆
今日は「かちどき 橋の資料館」のみのご紹介ですが、地図にはまだコースの青い部分が残ってますね~(;^_^A
なんとか次の記事で最後まで行きたいと思いますので、よろしかったらお付き合いください<m(__)m>