明暦大火横死者等供養等~回向院~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

昨日に続いて今日も日中は晴れて暖かかったですね(^.^)

日が落ちてからもそんなに気温が下がっていません。朝は寒かったので、それなりの格好で出掛けたんですけど、帰りは上着が要らないくらいでしたよ!

ただ、明日はまた寒くなるらしいです(+_+)

さて、隅田川沿い散策の最終回です。
両国の回向院にある「石造明暦大火横死者等供養塔」を見てきました。

国技館(両国駅北側)から向かいますので、駅の南側にある回向院に向かうには、駅を通り過ぎて200mほど歩くことになります。

イメージ 1これは、両国駅を出てすぐの所にある像です。
 
特に歴史のある物というわけではありませんが、やはり相撲の街の駅なんだなって感じさせてくれますね(^.^)

イメージ 2あ~っ!両国が散歩おじさんの真似してる~!!!
 
・・・って、そんなわけないですよね(^_^;
 
なんでも、両国橋架橋350年とかで、8月ごろからいろんな催しが行われてきたようですよ
(^.^)

イメージ 3回向院へ向かう通りには、こういう像がいくつか置かれています。
 
台座の部分には力士の手形の銅版が埋め込まれていますよ!
 
自分が好きな力士の手形など見つけたら、楽しいでしょうね
(^O^)

イメージ 4「火打石」とは、また渋い物を売ってますね~w(@。@)w
 
・・・っていうより、他所じゃなかなか手に入らないんじゃないですか?
 
お出かけ前に、これでカチッ!カチッ!・・・なんてやったら、気分はすっかり銭形平次ですかね(^◇^)

「石造明暦大火横死者等供養塔」の写真の前に、「回向院」の由来などを簡単に・・・

回向院
明暦3年(1657)、江戸史上最悪の惨事となった明暦大火(俗に振袖火事)は起こり、犠牲者は十万人以上、その多くが身元不明、引き取りてのない有様でした。そこで四代将軍家綱は、こうした遺体を葬るため、ここ本所両国の地に「無縁塚」を築き、その菩提を永代にわたり弔うように念仏堂が建立されました。
有縁・無縁・人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くという理念のもと、「諸宗山無縁寺回向院」と名付けられ、後に安政大地震、関東大震災、東京大空襲など様々な天災地変・人災による被災者、海難事故による溺死者、遊女、水子、刑死者、諸動物など、ありとあらゆる生命が埋葬供養されています。
門前の説明板より
そんなわけで、回向院はペットの供養をしてくれる、ということでも知られてますね!

イメージ 5これが「石造明暦大火横死者等供養塔」です。東京都指定有形文化財となっていました。
 
1675年頃の建立ということですから、330年くらい前ですね。
風雨にあたっているせいでしょうか、やや黒ずんだ石の表面が歴史を感じさせます。
 
後ろに建てられているのは、何基かの海難事故死者の供養塔だそうです。

回向院といえば、小屋掛けで相撲が行われていた江戸の頃からの定場所だったそうで、戦前には旧両国国技館があった場所ですので、相撲との関わりも浅からぬものがありますね!

イメージ 6「相撲関係石碑群<力塚>」だそうですよ。
 
昭和11年に歴代の相撲年寄の慰霊のために建立されたとありました!

両国は、知らない街っていうわけじゃなかったのですが、こんな風に歩いたのは初めてだったんです。
思いの外、近現代の歴史に関わる史跡などが点在し、非常に興味深く巡ることが出来ました(^O^)

歴史と文化の散歩道のコースは回向院から先も、門前仲町という所まで続きがありまして、もちろん歴史に触れられるものがあるようです!
またの機会に続きの散歩道を歩いて見たいと思います\(^o^)/